バチカンより
1990年夏 イスラエル聖地巡礼
2011年10月3日22時14分、サンピエトロ大聖堂聖歌隊楽長Maestro di Cappella ピエール・ポール神父より、私宛てにメールが届いた。内容は2013年の「ジュリア聖歌隊500年祭」に東海メールクワィアーを招待したいという驚きの内容だった。2010年5月に東海メールは、高田先生の親友であられたブロドー神父のご尽力により、バチカンのサンピエトロ大聖堂で「荘厳ミサ」に聖歌隊として参加、グレゴリオ聖歌をジュリア聖歌隊とポール神父の指揮で交唱して、ミサを進行し、須賀先生の指揮で高田男声典礼聖歌を歌い、バチカンの高位の方達から高い評価を受けた。この実績で今回の招聘となったのである。ジュリア聖歌隊は1513年創立、サンピエトロ大聖堂付きの聖歌隊で初代楽長がなんと、パレストリーナという名門で、ポール神父はパレストリーナから数えて第27代目の楽長である。東海メールクワィアーは、ポール神父からグレゴリア聖歌のご指導を受け、信頼を得たのだ。それには、我々の真摯な態度もあったろうが、通訳を務めた東海メールの塩田さんの存在が大きい。これからは塩田さんがキーマンになって行く。塩田さんを中心に事態は徐々に動きだしていた。 それは2010年4月30日より始まる。 実は、この2010年4月30日に行われたポール神父のグレゴリア聖歌のレッスンの後、塩田さんの通訳で中日新聞の長谷さんが、取材された際、ポール神父が「2013年にジュリア聖歌隊500年祭を行う。その時に東海メールクワィアーを招待出来るかも知れない。」とふともらされた。この言葉を私も塩田さんも長谷さんも聞き逃がさなかった。5月2日、コンサート終了後の打ち上げの席上でポール神父は、「荘厳ミサでの歌唱が素晴らしかったのでバチカンでは感謝状の贈呈を考えている。」とのお言葉があった。えっ、バチカンからの感謝状が頂ければ大変な名誉になる。帰国後、長谷さんのローマツアー中日新聞記事、「ローマ・アッシジ 平和の祈りツアー帰国報告・没後10年高田三郎作品特集」第53回定期演奏会プログラム、「平和祈りツアー 記念文集、DVDとCD等を、ポール神父に送附しつつ、感謝状が頂けないかとメールを送りつづけたが、返事がない。事態が動いたのは、9カ月たった、2011年2月11日のことである。塩田さんがイタリアへ旅行された際、ローマ滞在中にポール神父と面談を試みたが会えず、ようやくミラノから電話でポール神父と話すことが出来たのである。ポール神父はとても多忙でこちらからのメールに返事する暇がなかったとのこと。「2013年のジュリア聖歌隊500年祭に東海メールを招くことを検討中で、計画が決まれば、すぐレターを送る。」とのことだった。2013年と言えば高田先生生誕100年に当たる。これは、是非、実現させねば。2月23日、ポール神父にメールを送る。「バチカンで高田典礼聖歌と東海メールクワィアーが高い評価を受けたことは日本国内に広く知れ渡り、その後の高田典礼聖歌に普及と、私達、東海メールの活動に大いに貢献しています。改めてポール神父様のご厚意に深く感謝申し上げます。さて、塩田さんから2013年、ジュリア聖歌隊500年記念行事にお招き頂ける計画をお聞きし、大変に名誉なことで大いに喜んでおります。なにをおいても是非、お伺いいしたいと考えています。もし、出来ますことならゴールデンウィークの時期であれば、多くの人員が参加出来ます。2年後のことなので、すぐにも準備をはじめなければなりません。ご計画が決まりましたら、早急にお知らせ下さるようにお願い申し上げます。感謝の気持ちをこめて。」 なんと、3月4日5時38分にポール神父から返信が入った。「Dear Maestro Tsuzuki Peace and Joy!早速、ジュリア聖歌隊500年祭招待を承諾してくれてとても嬉しい。計画が決まり次第お知らせする。東海メールクワィアーの皆さんによろしく。I pray for all of you」とあった。ああ、大変なことになって来た。私の胸は喜びに震えたが、果たして皆が参加してくれるだろうか。責任の重大さにずしりと、重荷を負うことになる。その後が、また、長かった。 2011年10月3日ポール神父より心の籠ったメールが入る。 2011年10月3日22時14分 ポール神父からようやく、メールが入った。先回から7カ月ぶりのことである。文面は「貴方達と最後に交信してから、かなりの長い時間がたちました。その間に、色々な出来事があり、その時々に貴方達のことを思っていました。数日前にジュリア聖歌隊500年祭の日程を正式発表することが出来ました。貴方からの前回のメールで、ローマ訪問に都合の良い時期は、ゴールデンウィークの4月27日から5月5日と聞いています。その場合、4月28日か5月5日の荘厳ミサで私達と共に歌うことが出来ます。昨年、私はサンタチェーリアのコンサートに行きました。そして私はそこでの混声合唱に大変感銘を受けました。2013年にもし貴方方が望むならば、混声合唱も歌うことが可能です。バチカンには制度化されたプログラムがあり、私は一つの団体に貴方達の為のローマ市での歓迎プログラムを依頼しました。歓迎プログラムには、ローマ市内の歴史的にジュリア聖歌隊とパレストリーナに縁のある教会でのコンサートも考えられます。私が歓迎プログラムを承認して、私もそれに同道するつもりです。これらの日程・プログラムについての連絡を下さい。待っています。また、ご依頼のあった高田音楽についてのレターも書きます。また、仙台と釜石の被災者のためのレターもお送りします。すべてのクワィアーのメンバーに、よろしく。そして、2013年の再会を心から待ち望んでいます。ローマから、祝福を送ります。Fr ポール。」 これは、凄い。バチカンからの招待である。ポール神父は我々のことを真剣に考えて下さっていたのだ。ジュリア聖歌隊500年祭はバチカンにとって重大な行事。その責任者であるポール神父が、ただ一度の出会いで、これほどの力を注いで下さり、親身になってお世話して下っているのだ。5月5日の「荘厳ミサ」で、また、ジュリア聖歌隊とグレゴリオ聖歌を交唱出来るのだ。後で分かったことだが、この時点で、我々東海メールクワィアーは、名誉ある世界から招待される15の聖歌隊の中に入っていたのだ。この招待の凄い価値を、どのくらいの人が理解してくれるのだろうか。塩田さんと私は「ジュリア聖歌隊500年祭」参加の実現に向けて決意を固めた。 10月6日15時 塩田さんに次の内容のメールをポール神父あてに送信してもらう。「お知らせを頂き大変嬉しく思います。このような機会を与えて頂いたことに深く感謝申し上げます。ご招待状が頂けると動きやすくなります。1.5月5日に、「荘厳ミサ」で歌わせて頂くことで準備したいと思います。どのような内容でしょうか。お知らせ下さい。2.ご提案のあった「ローマ教会でのコンサート」を希望します。ポール神父が同行し参加して下さるとのことなので、是非とも、ポール神父のご指導、指揮でパレストリーナなど歌いたいと思います。3.混声合唱の件ですが、私達、東海メールクワィアーとは、別の取り組みになりますが、可能であれば、実現するよう働きかけます。4.ツアー自体は、4月30日発 5月3日か4日 コンサート 5日「荘厳ミサ」 6日 ローマ発 にしたいと考えています。ご返事お待ちしています。」 さあ、2013年5月3日まで、後、1年半しかない。果たして、ポール神父のご厚意に応え、「ジュリア聖歌隊500年祭」に参加出来るのだろうか。 |
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2011年10月3日の、サンピエトロ大聖堂聖歌隊楽長Maestro di Cappella ピエール・ポール神父からのメールを受けて、東海メールの役員会で団参加が決定した。2010年のツアーでお世話になったJTBの加籐知浩さんに早速、連絡をし、5月3日か4日に教会コンサート、5日にミサということで4月27日〜30日の間に出発する一番安くとれる便を探してもらうことにする。10月20日、塩田さんからポール神父へ次のようなメールを送ってもらう。「4月28日〜5月1日の間に到着、リハーサル2日と3日、4日コンサート、5日荘厳ミサというスケジュールでお願いしたい。」 それから1カ月たった11月24日 12時12分 ポール神父から返事が届く。「1.ミサの日取は2013年5月5日を東海メールのためにリザーブした。2.コンサートの世話をI.T.C.International Tours Centreに依頼しました。3.ミサへの参加は混声でも可能です。2013年ジュリア聖歌隊は混声で歌います。貴方方の希望をお知らせ下さい。」ポール神父は5月5日の荘厳ミサを確保して下さったのだ。12月1日 1時35分に ITCのLuongo氏から挨拶のメールが届いた。それには、5月5日の荘厳ミサを中心に、パレストリーナ市訪問などのスケジュール提案が記されてあった。なかなか、これは面白いなあ、と思っていたのだが、マネージメントに関しては意外な展開が待っていた。12月5日に塩田さんからポール神父に次の内容のメールを送ってもらう。「1.ジュリア聖歌隊500年祭への東海メールに対する招待状を頂きたい。2.コンサートに”ジュリア聖歌隊500年祭記念”と銘打つことを許可願いたい。3.コンサートでジュリア聖歌隊との共演は可能か。4.コンサートでポール神父の指揮で、パレストリーナを歌いたい。夢が実現することを望む。」とても叶えられそうもない夢だが、言うだけ言ってみようというつもりだった。そして、2010年ツアーのアッシジのミサ、サンピエロ大聖堂での荘厳ミサ、チェチーリア音楽院のコンサートを収録したDVDとCDと「平和の祈りツアー記念文集」、「ローマ・アッシジ 平和の祈りツアー」帰国報告 没後10年高田三郎作品特集 東海メールクワィアー第53回定期演奏会プログラムなどを、ポール神父に送附した。思いは届くのだろうか。2012年に入る 事態は急激に進展する 岡田智子さんから電話 2012年1月1日 ポール神父からメールが入った。「パッケージは受けとった。VERY HAPPYである。荘厳ミサのDVDを観たが、very well done。是非とも、また、東海メールの歌声を聴きたいと思う。ジュリア聖歌隊は特別の機会を除きコンサートはやらないが、私がパレストリーナのモテットを指揮することは検討してみる。」とのことであった。資料を送った甲斐はあつた。パレストリーナ直系のパレストリーナの権威、ジュリア聖歌隊第27代楽長ポール神父に指揮して頂く可能性が出て来た。更に驚くべきことが起こる。2010年にローマでのマネージをお願いした岡田智子さんから、1月2日ローマからお電話が入る。「年末に、私が一緒に仕事をしている”ツムラーレ”という現地手配会社に顔を出したら、東海メールクワィアーがジュリア聖歌隊500年祭に招待されて、5月5日の荘厳ミサとコンサートを開催することを聞いた。とても優秀な会社で日本人のスタッフもいる。ここにマネージを依頼されたらどうか。」という内容だった。この時ほど人間関係の大切さを知らされたことはない。2010年ブドロー神父のご努力で、バチカンで高田典礼聖歌を歌うことが決まった時、マネージをお願いしようと思った松本康子さんが健康上の問題で辞退され、代わりにマネージをお願いしたのが、岡田智子さんだった。岡田さんは「水のいのち」がローマの教会で歌えるようにイタリア語の歌詞を見せて内容を説明して回って下さったが、どの教会も駄目で、最後にそれではと、サンタ・チェチーリア音楽院を見事に押さえて下さった恩人である。今回も岡田さんは、様々な場面で救いの神となる。岡田さんからの情報なら信用出来る。塩田さんと相談の上、1月2日に次の内容をFAXする。「今回、岡田さんの関係する事務所にコーディネートして頂ければ嬉しいです。その旨、お伝え下さい。ITCとは連絡済みなので関係調整が必要です。ポール神父の了解を得て話してもらえるでしょうか。現在の予定をお知らせします。いろいろとお世話になりますが、よろしくお願いします。」 1月5日 18時25分 にツムラーレの大野祐子さんからメールが入った。「イタリア・ローマの現地手配会社ツムラーレコーポレーション日本ビジネスマーケット部門責任者の大野と申します。岡田智子さんの助言の元、「Maestoro」部門責任者アンドレア・フィエスコを中心に、私ども一同で都築様のコ−ラスグループをトータルサポートさせて頂ければ幸いです。1月3日付けで岡田さん宛てに送られたFAXの方も拝見させて頂きました。私どもはバチカン、並びにポール神父とは平素より大変懇意にさせて頂いておりますので、直接ご連絡を差し上げたところ、弊社手配に移行された場合にも、5月5日のハイ・ミサ参加に支障を来すことはないと確約頂きました。コンサート会場の調整・手配に関しても岡田さんと共に、都築様のご要望に沿った形で進めさせて頂きます。」1月6日 12時52分 大野さんへ返事を送った。「岡田さんのご紹介ということで全面的に信頼しています。ポール神父に正式招待状はどうなっているでしょうか。ジュリア聖歌隊500年祭とはどういうものなのか、教えて下さい。ハイ・ミサの件。教会コンサートの件。日本語歌唱ミサの件、コーディネートお願いします。旅行関係は名古屋JTBの加籐さんにご連絡下さい。」後で分かったことだが、このツムラーレは、JTBの子会社だったのだ。これからJTBとの連携プレーでマネージが順調に進んで行く。1月9日にポール神父へ「ツムラーレにマネージが移行したことの報告。パレストリーナを是非、指揮して頂きたいとの再度のお願い。教会コンサートの場所の推薦をお願いしたい。」とメールする。1月19日にツムラーレの大野祐子さんから返事が来た。「1.ハイ・ミサへの正式招待状は、レターヘッド付きの招待状を送るとのことです。(この招待状は塩田さんが2月にローマへ行かれてポール神父から直接頂くことになるが、2011年9月12日の時点で書かれていたのだ。)2.ジュリア聖歌隊500年記念祭は英文の趣旨書を添付します。3.コンサートは問題なく手配出来ます。すでに我々はポール神父の助けを得て、いくつかの教会(ローマの歴史的な市の中心にありオルガンを備えた)を候補として選びました。確認が出来次第お知らせします。残念ながらジュリア聖歌隊も他のバチカンのコーラスも動かすことの出来ないスケジュールの為に、あなた方のコンサートには参加出来ません。ポール神父は必ずコンサートに参加し、パレストリーナの曲を指揮するお考えです。現在のところ、これと重なる500年祭行事がないので、あなた方のコンサートを”ジュリア聖歌隊500年祭記念コンサート”と呼ぶことが出来ます。以下はポール神父から都築様へのメールを転送します。”都築様。下記は荘厳ミサへの参加についての補足的説明です。今回、ジュリア聖歌隊は全員でゲストの聖歌隊と共に参加します。聖歌隊は大聖堂の両側、オルガンの二つの台に位置します。以下、入祭から閉祭までミサの進行の説明をしておきます。”何事でもご相談下さい。」おお、ポール神父にパレストリーナを指揮して頂けることが実現した。夢は叶ったのだ。岡田さんからお電話があってから20日間で事態は急速に進展した。正に、岡田さんは救いの神であった。 |
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2011年10月3日 22時14分、サンピエトロ大聖堂聖歌隊楽長Maestro di Cappella ピエール・ポール神父から、私宛てにメールが届いた。2013年の「ジュリア聖歌隊500年祭」に東海メールクワィアーを招待したいという驚きの内容だった。2010年5月に東海メールは、高田先生の親友であられたブドロー神父のご尽力により、バチカンのサンピエトロ大聖堂で「荘厳ミサ」に聖歌隊として参加、グレゴリオ聖歌をジュリア聖歌隊とポール神父の指揮で交唱して、ミサを進行し、須賀敬一先生の指揮、木島美紗子先生のオルガンで高田男声典礼聖歌を歌い、バチカンの高位の方から高い評価を受けた。この実績で今回の招聘となったのである。しかも、世界15聖歌隊の一つに選ばれての招待である。ジュリア聖歌隊は1513年創立、サンピエトロ大聖堂付きの聖歌隊で、パレストリーナが楽長を務めたいう名門、ポール神父は第27代目の楽長である。それから、1年半に亘り体制を整え、練習に励み、現地と密接な連絡をとり、準備万端の上、4月30日から5月7日にかけて「ジュリア聖歌隊500年祭」ツアーを挙行した。高田男声典礼聖歌を歌い始めて22年、くしくも高田先生生誕100年に、今回は、バチカンから招待を受け、カトリックの大本山であるサンピエトロ大聖堂で歌う栄誉に浴することになったのである。今回は、東海メールを中心に、熊本、長崎、岡谷、東京、仙台、名古屋の典礼聖歌合宿に参加した男声が加わり結成した高田典礼聖歌男声合唱団と、大阪で須賀先生、木島先生のご指導のもとに精鋭が参集した混声「平和の祈り合唱団」を加え、総勢165名が参加した。 まず、5月3日、ローマ市内のサンタ・マリア・アンジェリ教会(1561年建立。新法王が最初にお詣りに行かれたマリア像が有名な由緒ある教会、イタリアの国家的行事が行われる重要な教会)で、名古屋から同行された西脇純神父の司式により、高田典礼聖歌と"やまとのささげうた"による「日本語歌唱ミサ」。平和の祈り合唱団に、東海メールクワィアーと高田典礼聖歌男声合唱団が加わり113名、指揮は須賀先生、オルガンは木島先生。会衆として参列された約300人の殆どは外国人、言葉はわからないが、とても感動したとの声が聞かれた。驚いたのは、ノルウエーからの旅行者が「以前、ベルゲンで日本語の典礼聖歌を聴いて感動した」との話があったことである。東海メールは2006年4月にベルゲンの新教会で松原千振先生指揮、吉田文さんのオルガンで、"やまとのささげうた"を中心とする高田典礼聖歌を歌った。その大和風メロディーが印象に残っておられたのであろう。時空を超えて結び合った縁に高田音楽の力を感じた。5月4日、ローマ市内のサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会にて「ジュリア聖歌隊500年祭&高田三郎生誕100年記念コンサート」を開催した。この教会は、1591年建立。プッチーニ「トスカ」の第一幕の舞台になった巨大な歴史的建造物。第1ステージは、鈴木順の指揮、木島先生のオルガン、東海メール(TMC)と高田典礼聖歌男声合唱団(TTMC)46名で「高田男声典礼聖歌」5曲「神を求めよ」「アレルヤ」「天は神の栄光を語り」「ちいさな ひとびとの」「おお 神の富」。教会の高く広い巨大空間に男声聖歌が立ち昇って響いて行く。やはり、大教会に合っているのだ。高田男声典礼聖歌がその真価を発揮した瞬間だった。1曲毎に拍手が起こるには驚いた。内容が理解されたのであろう。これまでの典礼聖歌合宿の成果が実った。第2ステージは、須賀先生指揮、木島先生のピアノ、平和の祈り合唱団(CPFP)84名で「ヨハネによる福音」。須賀先生渾身の指揮、木島先生入魂のピアノで天に届く圧倒的壮絶名演。特にソプラノが素晴らしい。終わった後、しばらく間があつて大拍手。第3ステージは、ジュリア聖歌隊第27代楽長ポール神父の指揮でパレストリーナの男声モテット2曲、混声2曲「Sicut cervus 」「Super flumina Babylonis」、須賀先生と鈴木の指揮する、それに対応する高田典礼聖歌「谷川の水を求めて」「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」の2曲。流石、パレストリーナ直系の指揮。顔、表情、指先、身体の動きにより、我々から流れるように音楽が引き出されて、堂内は満たされる。ポール・マジックである。なんという神秘であろう。500年の歳月を遡り、我々はパレストリーナの世界を体験した。第4ステ−ジは「水のいのち」、須賀先生の指揮、木島先生のピアノ、CPFP、TMC、TTMC総勢133名。ロ−マの教会で初めて響く「水のいのち」。心と力の籠った演奏に、1曲毎に拍手が起こる。言葉は分からなくても内容は聴衆の心に届いたのだ。「平和の祈り」を高らかに歌い上げた後は、大拍手に応えて「行け 地のはてまで」。木島先生が駆け上って弾くヴァッレ教会の大パイプオルガンの響きに相呼応しての歓喜の歌声に、約600人の聴衆からは"ファンタスティック"の歓声が挙がり、全員のスタディングオーベーション。ヴァッレ教会の合唱長ペーター神父は「これまでこの教会で聴いたコンサートの中でベストワン。いつでも自分の家だと思って来て下さい。歓迎します。」河野のりこ駐伊日本大使夫人は「初めて日本語典礼聖歌を聴きました。心に沁みました。高田先生の音楽は素晴らしいですね。」最初からずーっと聴いていて下さったポール神父は「すべてに亘って音楽的に優れていた。招聘した価値があった。特に"水のいのち"に感動した。」高田先生も喜んで下さったと思う。今回はポール神父に特にお願いして、パレストリーナをご指導して頂いたことに重要な意義があった。この貴重な体験を日本で伝えたいと思う。5月5日は、サンピエトロ広場の歴史的「法王ミサ」に参列。感激の醒めやらぬまま、「枢機卿ミサ」にTMC、TTMC、CPFPの140名が聖歌隊として参列。TMC とTTMC が上手聖歌隊席に座り、下手聖歌隊席のジュリア聖歌隊とグレゴリア聖歌を交唱してミサを進行、CPFPが高田典礼聖歌4曲を式次第に従って歌うという構成で、堂内一杯の会衆と共に厳かに執り行われた。なにしろ、カトリック大本山のバチカン、サンピエトロ大聖堂に於いて、ジュリア聖歌隊500年祭に招待されてのミサである。緊張が高まる中、須賀先生の指揮により「主を たたえよう」をしつかりと歌い出すと、初めて聴いた日本語混声典礼聖歌に満場がどよめく。グレゴリア聖歌による交唱もスムースに進み、最後に「平和の祈り」で閉式になると、ポール神父の合図でアンコールに「行け 地のはてまで」が、サンピエトロ大聖堂に響き渡り、深い感動を胸に抱いてジュリア聖歌隊ツアーは終了した。枢機卿がミサ内のイタリア語説教の中で、その部分だけ英語で「東海メールの典礼聖歌は素晴らしい。」とのお言葉を述べられたのに感激した。全ては「高田音楽」の勝利である。 旅の終わりに、丸林栞さん(15歳)を会長に、芹澤佑実さん(16歳)、中村悠香さん(12歳)の三人が、「高田典礼聖歌を歌い継ぐ会」を自発的に結成したと聞き感涙。高田音楽の将来は明るい。 今回のツアーは、参加者とすべての会衆、聴衆に豊かなあがないをもたらした。 高田先生、これにすぐる喜びがありましょうか。 |
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塩田さんが、2012年2月にローマへ行かれたので、具体的になって来た。ローマに於けるマネージ会社ツムラーレとJTB加籐さんとが緊密に連絡を取り合って準備が進んで行く。3月27日にやまびこ男声の鈴木きよしさんから参加者名簿が届く。なんと、男声は11名の参加である。これで東海メール21名を加え、この時点で男声の中心は固めることが出来、一安心。3月末に塩田さんとバチカンからの招待状を持参して、中日新聞の長谷義隆記者に取材して頂く。これは、4月8日の中日新聞夕刊に「再び響く日本語聖歌 サンピエトロ大聖堂 荘厳ミサ」という記事で大きく掲載され、大反響を呼び、参加申し込みが相次ぐ。4月17日、大阪側からの参加について、打ち合わせを行う。「日本語歌唱ミサ」は、大阪側中心でメンバーを集める。コンサートでは、「水のいのち」を是非、歌いたいとの要望が出る。「水のいのち」を歌うことが出来る会場選びが課題となる。一方、ポール神父に指揮して頂く、男声パレストリーナの楽譜探しが混迷を極めていた。思い余って岡田智子さんに相談すると、なんと、岡田さんは、聖チェチーリア音楽院の蔵書から、男声パレストリーナの楽譜64ページをコピーし、日本へ帰郷の際に持ち帰り、私宅へ郵送して下さったのだ。なんという、ご厚意であろう。今回のパレストリーナをポール神父に指揮して頂くことの重要さを岡田さんは良く理解されていたのだ。これには、後日談がある。2013年5月3日、ローマ・アンジェリ教会のリハーサルの際、ポール神父から楽譜「LIBER POLYPHONIAE」第一巻、第二巻(出版 Associazione Italiana Santa Cesilia Rome) を頂いた。内容はパレストリーナ、ディ・ラッソ、モンテヴェルディの、すべて男声三部の合唱曲。これが、岡田さんがコピーして下さった原本だった。ポール神父は、私達のパレストリーナの日本における普及活動を支援して下さる意志を示して下さったのだ。これに我々は応えねばならない。直ぐに、仙台の園部さんに連絡し、2013年12月22日の「仙台・元寺小路教会オルガン記念コンサート」でパレストリーナを歌わせて頂くことを依頼する。岡田さんのコピー譜を元に、男声パレストリーナの選曲にかかる。コンサート曲は、混声「水のいのち」、男声典礼聖歌、男声パレストリーナ、田典礼聖歌とパレストリーナまでを予定した。後は大阪側の第二ステージだけになっていたが、最大の難関は「水のいのち」が演奏出来るかであった。4月26日にJTB加籐さんからツムラーレのからの現地費用と会場の回答が来た。5月2日(木)のリハーサルは、サンタ・マリア・アンジェリシ教会。5月4日(土)のリハと5日(日)のコンサートはジェズ教会とサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会がすべてOKという朗報である。ただし、5日は日曜日なので時間の制約があるとのこと。教会で「水のいのち」が演奏出来なくなる恐れがあるので、聖チェチーリア音楽院ホールを押さえおくよう要望する。ツムラーレの優秀なマネージで、1年前にここまで構築されて来たことに感謝する。この時点で、東海メール中心の名古屋発組は60人、やまびこ中心の成田発組は20人、総数80人になっていた。4月28日にJTB加籐さんに次の回答をツムラーレにするよう依頼する。「5月2日のリハーサル会場は無し。3日午後のリハーサルはアルフォンソ教会、4日の午前「日本語歌唱ミサ」はアルフォンソ教会。4日午後のリハ、5日午後のリハ、夕方のコンサートはジェス教会。」4月30日にブロドー神父に「2013年5月4日の午前中にアルフォンソ教会で日本語ミサを挙げさせて下さい。」とメールする、しかし、その後、いつまで待っても、ブロド―神父からは返事が来なかった。5月11日、ブロドー神父からお返事がないので、5月4日の「日本語歌唱ミサ」をアルフォンソ教会で挙げることに関するマネージを、ツムラーレに依頼する。「日本語歌唱ミサ」とコンサートの会場決定に至るまでは、困難がまだ続く。 8月13日、ポール神父からメールが届く。
「貴方達が準備された荘厳ミサの式次第を送って頂きました。その優れた内容と、また膨大な作業に心からの祝意を送ります。これは実に正確で、完璧です。ミサ式次第については、"拝領"を除いてはすべて正しいです。私が前に"Super flumina Babylonis"をお送りしたのは、ミサの中ではなく、コンサートの為との考えでした。この詩篇137の歌詞はイースター期間のミサには調和しません。この詩篇は大変悲しみに満ちたものなのです。従って、この曲はミサではなくてコンサートで、田先生の日本語と同じ内容の聖歌と共に演奏することを勧めます。これは大変効果的と思います。代わりに、貴方達がまだ時間的に余裕があるならば、別の美しいパレストリーナの混声4部モテットをミサで歌うことが考えられます。それは"Sicut cervus"(谷川の水を求めて)で、イースターシーズンのために作曲されたものです。それ以外はすべて正しいです。 主の恵みを。」以前に西脇純神父に作成して頂いた荘厳ミサの式次第をお送りしてあった返事である。西脇神父が原本作成、鈴木順さんが楽譜を加え監修、金森さんが印刷した式次第はポール神父から「完璧だ!」とお墨付きをもらったのである。これで、式次第は「Sicut」と「Babylonis」を入れ替えることで完成。さて、次はコンサートである。すでにポール神父から、「ジュリ聖歌隊500年祭記念」の冠を付けることの了承は得ていた。そこで、コンサートの名称は「ジュリア聖歌隊500年祭・田三郎生誕100年記念コンサート〜パレストリーナと田三郎作品による〜」とした。世界合唱史上初めて、宗教音楽の父パレストリーナと日本宗教音楽の巨人、田三郎の作品によるコンサートが、記念すべき年にローマで開催が実現することになった。曲目の構成案は、このポール神父のメールを受けて作成。第一ステージ 男声典礼聖歌「神を求めよ」「アレルヤ」「天は神の栄光を語り」「ちいさな ひとびとの」「おお 神の富」。第ニステージは「ヨハネのよる福音」全曲。第三ステージは"パレストリーナ&田三郎"。男声パレストリーナ 「O Salutaris Hostia」「Jesu Rex Admirabilis」(ポール神父指揮)。男声「谷川の水を求めて」。パレストリーナ「Sicut cervus」(ポール神父指揮)。混声「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」。パレストリーナ「Super flumina Babylonis」(ポール神父指揮)。第四ステージは「水のいのち」全曲。「平和の祈り」。パレストリーナ直系のジュリア聖歌隊第27代楽長ポール神父の指揮で、日本の合唱団がパレストリーナが歌えるのは、初めてで画期的なこと。責任は重大だが、期待に胸は震える。曲目が決まったので練習計画を立てることにする。これで「ジュリア聖歌隊500年祭ツアー」の計画は大体、目途がついたので、私は8月17日から、左膝人工関節置換手術のため入院した。入院中の9月6日に、JTB加籐さんから「ジュリ聖歌隊500年祭記念コンサートで「水のいのち」が歌えるようにポール神父とツムラーレのアンドレアが本格的には話し合いを再開しました。」というメールが届いた。ただただ、上手く行くように祈るのみである。
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私は、手術が無事成功し、9月7日に退院した。リハビリに専念しながら、「ジュリア聖歌隊ツアー」のマネージに励んでいた。参加人員も名古屋発63名、成田発23名と合わせて86名に達し、5班に分かれての行程が決定していた。JTBの加籐さんの献身的努力で全行程の飛行機、交通機関とホテルはすべて確保されていた。今回は全国から参加する人すべての行程をJTB手配にしてもらったので、すべての行動は効率的になった。現地に行って、実際にこの判断が正しかったことが証明されたのだった。 10月9日に待望のメールがJTB加籐さんから入る。「一番心配されていた、"水のいのち"が、教会コンサートで歌えるかどうかの問題ですが、サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会で許可が取れました!」。やった!遂にローマの教会で「水のいのち」が演奏出来ることになったのだ!2010年の時は、岡田智子さんが、「水のいのち」のイタリア語訳を持って各教会を回ったのだが、どの教会でも断られたのだ。後で分かったことだが、ポール神父とサンタンドレア・ヴァッレ教会の合唱長ペーター神父とは親しい仲で、ポール神父の依頼でペーター神父が引き受けて下さったのだった。これは、ツムラーレのアンドレアが、ペーター神父の信頼を得ていることも要因として有った。岡田さんのお勧めでツムラーレにマネージを依頼したことが、今回のツアー成功に繋がる。人との信頼関係がいかに大事であるかを、痛感させられた。何事も誠意を持って事に当たるのが大事である。「水のいのち」が演奏出来ることになったことを、大阪を含め各方面に連絡をすると、すぐに喜びの反応が相次ぐ。「水のいのち」がローマの教会で演奏出来ることは、奇蹟で画期的なことである。これでヴァッレ教会でのコンサートが決定したので、現地と具体的打ち合わせに入る。曲目がすべて決定したので、11月25日から、「荘厳ミサ」を含めコンサー曲目の練習に入ることにする。11月4日にJTBから旅行日程と旅行代金見積もり書が届く。JTB加籐さんの完璧手配に感謝。大阪の吉原直美さんから、大阪合同練習が11月17日から開始する通知が届く。11月25日の川瀬医院ホールでの名古屋初練習は、全国から多数が参加し、西脇神父のご指導で「荘厳ミサ」式次第のグレゴリオ聖歌練習とパレストリーナのラテン語読み。鈴木順が西脇神父のご指示で作成し、金森さんが印刷した、「式次第」が威力を発揮。やはり楽譜が"命"である。12月13日、大阪の参加メンバー数の報告が届く。ソプラノが29名、アルトが30人、テナーが10人、バスが7人の76名。「水のいのち」がコンサートで歌えることになり、大幅に参加人員が増えたのだ。「日本語歌唱ミサ」の内容と曲目も決定。 12月19日 ポール神父より 5月5日「法王ミサ」決定の知らせ届く。
「荘厳ミサ」は夕方に移行。スケジュールは変更しなければならない。
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2013年1月8日 ポール神父との電話で状況判明 旅程と全体スケジュール決定。手配に入る。 2012年12月22日にポール神父へメールで質問を送ったのだがご返事がなく、2013年1月8日に塩田さんがお電話して連絡がついた。内容は次の通り。@5月5日朝に、「法王ミサ」が行われることにより、当日の「荘厳ミサ」(Chapter Mass)は無くなる。我々が参加する夕方のミサは枢機卿の司式によるミサ(Cardinal'Mass)となる。法王ミサはシスティーナ聖歌隊(すべて聖職者による)が奉仕し、ジュリア聖歌隊は参加しない。これに我々が会衆として参列出来るが、そのための許可が必要でツムラーレに手配を頼んである。A5月5日夕の枢機卿ミサ。ミサの場所、式次第は従来からの打ち合わせで良い。多少の省略等があれば、ローマに着いてから対応する。これに先立って行われる晩祷(Vesper)はポール神父とジュリア聖歌隊の担当で行われ、我々は会衆席に座ることが出来ると思われる。B5月3日と4日のリハーサルは、我々の申し入れ通りの予定で、ポール神父に参加願えることを確認した。C参加合唱団員の名簿を4月中旬頃までに提出。今回参加する合唱団員(Singers)一人ひとりに対して、バチカンからの参加記念証書Certificate/diplomaを頂けるとのことで、フルネームのリストを提出するよう指示された。D服装は男性は前回同様、女性はミサに相応しい服装。 ポール神父は、全て亘って凄く気を使い手配をして下さったのだ。「法王ミサ」にも参加出来、参加記念証書が頂けるとは凄い。これで大分、具体的になって来た。JTB加籐さんにフォローを依頼。 1月10日に、大阪側実行委員会の岩井孝司さんと電話で、法王ミサが5日に行われることに伴うスケジュールの見直しを検討する。4日は法王ミサのため、ローマ市内は混雑が予想される。参加者のスタミナも考え、4日に予定していた「日本語歌唱ミサ」を、3日午前中に変更することにした。そうすれば、3日「日本語歌唱ミサ」、4日がコンサート、5日が午前「法王ミサ」、午後「枢機卿ミサ」と、1日1箇所で1行事となり、移動の必要もなくなり集中しやすい。従ってスケケジュールは、5月3日聖アルフォンソ教会 10時 「日本語歌唱ミサ」 13時〜18時 コンサートと「枢機卿ミサ」のリハーサル。4日 ヴァッレ教会 13時〜15時半 リハーサル 16時〜18時 コンサート 5日 10時 「法王ミサ」参列 17時半「枢機卿ミサ」、19時 打ち上げパーティとする。 JTB加籐さんから、ツムラーレへ、会場、移動手段、食事場所などの手配を依頼する。さあ、後、4カ月を切った。コンサートのチラシ、プログラム作成など具体的作業に入る。 1月14日、名古屋からの参加者は84名。内、「枢機卿ミサ」「水のいのち」歌唱者はトップ・テノールが10名、セカンドが13名、バリトンが11名、バスが12名、 ソプラノが12名、アルトが6名の計46名。となった。旅程はA班が4月30日 中部国際空港発 5月7日 帰名。B班が5月2日中部国際空港発 5月7日 帰名。C班が 5月2日 中部国際空港発 5月6日 ローマ発。 D班が4月26日 中部国際空港発 ミラノ経由 5月1日 ローマ着 5月7日 帰名。E班が 4月27日 中部国際空港発 ヴェニス経由 5月1日 ローマ着 5月7日 帰名。 参加者全員が5月2日中には、ローマに入ることにした。 1月17日に大阪側の参加人数現況報告があった。ソプラノ 32名、アルト 34名、テノール11名、バス 8名の 計86名である。コンサートでの「水のいのち」歌唱者は、149名となる。ヴァッレ教会で、149名が歌えるステージ組みを依頼する。 2月下旬に塩田さんがローマへ行かれるので、ポール神父とツムラーレと打ち合わせと会場下見をお願いする。しかし、思いもかけず、重大事件が勃発する。
2013年2月11日 ローマ法王が退位表明!ツアーはどうなる。
2013年2月11日にローマ法王ベネディクト16世(85歳)が高齢による健康問題を理由に退位を表明された。存命中の退位はなんと約600年ぶり。誰もが予想しなかった事態である。5月5日に「法王ミサ」が決まってスケジュールを変更せざるを得なくなり、ようやく立ち直りつつあるところにこの事態。相当の混乱が予想される。ツアーは挙行出来るのか。心配は募るばかりである。
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「日本語歌唱ミサ」の教会決まる。 2013年2月22日、塩田さんがローマへ行かれ、ポール神父に次いで、ツムラーレのアンドレア氏と下見をされ、それに伴い打ち合わせをされた。ベテラン、能力あるアンドレアとの連携プレーで、こちらの要望をすべて満たした完璧手配。塩田さんでなければ出来ない仕事。本当に感謝。 @ サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会。5月3日の「日本語ミサ」およびリハーサル。 教会の合唱長・オルガニスト、Maestoro Osvaido Guidottiに面会、案内して頂く。ブロドー神父と連絡がとれず、予定していた聖アルフォンソ教会がとれなかつたので、アンドレアは、代わりにサンタ・マリア・アンジェリ教会を押さえてくれた。こちらの希望通り、160人が入れるリハーサル室が教会敷地内にあるという理想的教会である。(後で分かったことだが、ブドロー神父は病気療養のためカナダに帰られていたのだった。) A ミサ聖歌隊の場所は大聖堂の聖壇前、コーラスの位置に二つの選択肢はある。 (1) 聖壇の最奥の柵の中、最も高いところ、司祭、オルガンにも近く音楽的にべスト。しかしコーラスは立ったままとなる。不自由な人には椅子の手配が可能。 (2) 又は、聖壇の柵の手前に椅子を並べて座る。やや遠くなる。いずれかに、決めて事前に連絡せねばならない。譜面台、指揮台も依頼済み。(結局、2の聖壇前にする。) B パイプオルガンはイタリア"TAMUBRINI"(Crema)の古いもので、革の老化などのため10数年前に大改修した。新しく電気式に、コンソールも新しくした。コンソールの位置は聖壇右手。 C 日本語ミサの時間は10時半からで決定。10時頃に到着して正門より入り、直ぐに会場で準備。リハーサル 別棟のAUDITORIUM(音楽室)にて 13時〜18時まで 150人には少し狭い感じがするが何とか入れそう。天井は高い方で、練習に集中出来る。ピアノはカワイのグランドピアノ、オルガンは縦型のイタリア製PINCHI(5stops)良く使われている感じ。Aサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会。5月4日 リハーサルと教会コンサート。 教会のPadore Peter に面会、案内して頂く。ポール神父と大変親しく特別の便宜を計って頂いている。"水のいのち"が許可されたとのこと。 A リハ本番ともに最奥の聖壇前。柵に沿って3段の低い段があり、それに沿ってコーラスが並んで立つ、時間はリハーサル14時〜15時半。コンサート16時〜18時を予定。 B 聖壇の左奥に控室に使える部屋が大小3室有り。一番大きい部屋(Secretareia)は、女性の控室、更衣室に使える。 C ピアノとオルガンは、コーラス前の左右に搬入して使える。ピアノはスタインウェイのグランド、オルガンはAHLBORNを予定。5月4日早朝より運び込むため、前日のリハーサル後に、須賀先生、木島先生に位置決めをお願いする。 (特記事項)教会コンサートポスター原案を三月下旬に送ってほしい。印刷と配布のため。プログラム原稿は三月末までに送って欲しい。 B法王ミサ 5月5日 ポール神父との打ち合わせに従い、入場券の取得、当日のスケジュールの詰めを依頼。 この下見時に塩田さんが撮影して下さった写真がとても役に立つた。教会内の距離感、立ち位置、リハーサル室の様子、オルガンなどが良く分かり、準備が出来た。控え室も決定。 3月5日、ツムラーレのジュリア・シスモンド嬢からメールあり。「5月5日の法王ミサの入場券180枚(広場の席)を確保した。ミサは10時開始の予定だが、更に確認する必要がある。出来るだけ早く入場する方が良いが、いずれ当日の詳しいスケジュールを送るが、多分、新しい法王選出後になるだろう。」こうして、着々と準備は進んで行く。後は、新法王の誕生を待つばかりとなった。 新ローマ法王が即位。準備は急速に進む。 コンクラーベは、ようやく3月12日に始り、2日間、5回の投票で決まった。 第266代ローマ法王には、初めて中南米出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出され、フランシスコ1世となった。新法王は、「貧しい人のための質素なカトリック教会にしたいと強く望んでいる」と述べ、清貧で知られた12〜13世紀の教会改革指導者・聖フランシスコの名を頂いたのだ。思えば2010年にアッシジでミサを上げたことも、この2013年にフランシスコ法王の誕生に出会うことの瑞祥であったに違いない。今回も成功するに違いないと力が湧く。 3月25日、新法王が決まってから、少し落ちついて来たので、マネージを再開。ポール神父ともようやく連絡がつくようになった。5月3日の「日本語歌唱ミサ」、5月4日の「コンサート」、5月5日の「法王ミサ」と「枢機卿ミサ」の全て行事が予定通り執り行われることになったので、一安心。 マスコミと日本大使館関係、音楽関係者、教会関係者などに招待状発送を依頼する。また、コンサートの進行は、アンドレアに、司会はジュリアに依頼する。 3月25日現在、決定スケジュールは、 5月3日(金)サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会 10時半「日本語歌唱ミサ」 13時〜18時 リハーサル室 リハーサル 5月4日(土) サンタ・マリア・アンジェジェリ教会 礼拝堂 10時〜12時 男声練習 サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会 14時〜15時半 リハーサル 16時〜18時 コンサート 5月5日(日)サンピエトロ広場 午前中 「法王ミサ」 参列 16時45分 「晩祷」参列 17時半 「枢機卿ミサ」 聖歌隊として参加。 全行事の参加人数確定。 5月3日 「日本語歌唱ミサ」S 37名 A 35名 T 18名 B 21名 計111名 5月4日 「ジュリア聖歌隊500年祭&田三郎生誕100年 記念コンサート」 第1ステ−ジ 男声典礼聖歌 T 1 12名 T2 13名 B1 10名 B2 11名 計46名 第3ステージ パレストリーナ男声モテット T1 12名 T2 17名 B19名 計 48名 パレストリーナ混声モテット S27名 A16名 T29名 B30名 計 102名 第4ステージ「水のいのち」S 41名 A 36名 T 28名 B 31名 計 136名 会衆・同伴者 女性 19名 男性 5名 計 24名 4月5日 準備は大詰め。後、1カ月。 いよいよ最終段階に入った。チラシ、ポスターは校正の段階に入った。チラシ、ポスターには、 曲目もポール神父の名前ものせられないという。現地へ行って分かったのだが、「水のいのち」を歌うことも、ポール神父が指揮されることも公には出来ない事情があったのだ。プログラムに出演者名簿を日本語で掲載することにしたのだが、この校正に大苦労。イタリア人には微妙な漢字が読みとれない。指揮者、伴奏者名は日本語とイタリア語(ローマ字)を併記にしたのだが、イタリア語表記には、ポール神父の名前はのせられなかった。ポール神父が外部団体を指揮されるのは、よほど特別のことであるのだ。しかも、ツムラーレの反応が遅く、いらいらするばかり。宣伝は大丈夫なのか。 4月9日に、バチカンへ、5月5日のサンピエトロ大聖堂での「枢機卿ミサ」撮影許可を得るためカメラマン3名とビデオカメラマン4名のパスポート写しを提出。これで許可証をもらうのである。 4月19日、塩田さんからカナダにおられるポール神父と電話で話された報告が届く。「教会コンサートに、5th Centennal of Cappella Giulia と100th Anniversary of Birth Maestro Takata と使うことをOKしておいたよ、とのお話しがありました。ツムラーレに再確認するようにして下さい。またマグカップは来週水曜日までに必要な数量が分かれば、事前に手配可能とのことです。」ポール神父に前からお願いしてあった確認が間にあった。これでコンサートのチラシ、ポスター、プログラムに「ジュリア聖歌隊500年祭&田三郎生誕100年記念」と銘打つことが出来る。ポスターとチラシの校正は4月20日に済み、プログラムも4月25日に校了にした。正にぎりぎりである。 さて、マグカップである。2月21日、ローマで塩田さんがポール神父に会われた際、ポール神父発案の「ジュリア聖歌隊500年祭」のロゴ入り記念マグカップ、赤と青をお土産に頂いて来た。 1個10ユーロということ。これは記念品に最適。参加者から注文をとった。4月22日の時点で名古屋分は赤が56個、青が51個の計107個。大阪分を加えては最終的に200個近くになった。 4月21日(日)豊中市中央公民館で参加者全員参集の合同最終練習を行う。大阪、名古屋の他、長崎、熊本、仙台など、全国各地から150人が集まっての顔合わせである。「水のいのち」を中心に須賀先生の熱の入ったご指導で皆が一つになる。ハイレヴェルの演奏が期待できる。 4月23日17時にツムラーレのアンドレアからメールが入る。「コンサートのオルガンが技術的トラブルで予定したものが使えなくなり、HYMNUSVに代わります。」最終段階で、いろいろ起こるなあ。添付資料を木島先生に送る。まあ、5月4日の当日早くに対応するしかない。 打ち上げパーティのテーブル配置図は、JTB加籐さんから、ツムラーレに連絡し、再度、会場下見に行ってもらって、写真を撮影し送ってもらった。何度も加籐さんと相談し、ようやく決めた。 合唱団配置図の作業が困難を極めた。5月4日のコンサート、第一ステージの「男声典礼聖歌」は全国から参集した田典礼聖歌男声合唱団と東海メールの46名と第3ステージの男声パレストリーナと「谷川の水を求めて」の48名は、顔も歌声も分かっているので、スムースに出来たが、混声パレストリーナと「エルサレム」143名、第4ステージ「水のいのち」136名は、大阪側と何度も折衝を重ねようやく出発日前日に決まった。この配置図に基づく合唱台をツムラーレに発注。 こうして、完璧とは言えないが、全ての準備は整った。私は、4月30日の本隊出発に先立ち、 4月27日に中部国際空港を旅立った。 |
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2010年以来、3年間の念願が叶い、サンピエトロ大聖堂聖歌隊楽長Maestro di Cappella ピエール・ポール神父のご尽力により、2013年の「ジュリア聖歌隊500年祭」に東海メールクワィアーが招待された。1年半に亘り体制を整え、練習に励み、現地と密接な連絡をとり、準備万端の上、4月30日から5月7日にかけて「ジュリア聖歌隊500年祭」ツアーを挙行することになった。田男声典礼聖歌を歌い始めて22年、くしくも田先生生誕100年という記念すべき年に、今回は、バチカンから招待を受け、カトリックの大本山であるサンピエトロ大聖堂で歌う栄誉に浴することになったのである。現地手配会社は、2010年にコ―ディネイトして下さった岡田智子さんのご紹介で「ツムラーレコーポレーション」のMaestro(音楽専門部門)に決定していた。この担当者アンドレア・フィエスコが、とてつもなく優秀で、ポール神父とも親しく、教会側の信頼が厚く折衝も巧みで、アンジェリ教会と、ヴァッレ教会が会場として使用出来たのだ。ツムラーレの働きが成功の基となった。 私は、ヴェニス、フィレンツェを経て、5月1日の16時、ローマへ入った。本隊は、JTB加籐さんのアテンドで4月30日に到着している。早速、18時から現地スタッフとホテルロビーで打ち合わせ。出席はツムラーレの大野祐子さん(しっかりした有能なデスク)、アンドレア・フィエスコさん(眼がくりくりと雄弁なキビキビした態度のいい男)、ジュリア・ジスモンドさん(日本語がまあ、しゃべれる美女)、岡田智子さん、JTB加籐知浩さん、中村貴子さん(4月26日発に添乗して頂いた)に、塩田さんと私。@全体スケジュールの確認。A各会場へのバス行程と時間。B食事場所。Cコンサートの合唱台。D法王ミサの入場方法。新法王が就任してから1カ月半、大分、落ちついて来て、すべて行事は滞りなく行われるということで安心。すべての手配が完璧であるのに感心。ただ、5月5日の新法王による初めてのサンピエトロ広場での「法王ミサ」に参列のため、全世界から信者が大挙して集まって来ているため、混乱しているとのこと。5日のバス手配が大変に困難を極めているとのことである。19時から長谷さんも交え、全員で夕食。岡田さんに3年ぶりにお会いして今回のツムラーレを紹介して頂いたことと、パレストリーナの楽譜を送附して頂いた御礼を申し上げる。元ローマ歌劇場合唱団員であり、永年に亘り、ローマでガイドをして見える。2010年も、大変、御世話になったが、今回は岡田さんなくしては実現出来なかった。出会いは大事に繋がなければならない。岡田さんが希望してらしたローマの合唱団とのジョイントコンサートも、いつか実現したい。ジュリアはローマ大学で日本語を学んだということで、こちら側の英語よりはよっぽど通じる。日本への親愛の情が良く伝わってくる。今回の我々のツアーマネージのモーティベーションになっている。色々話しをするうちに、今回のマネージがいかに大変であったかが良く分かって来た。ローマの教会で日本人の司式により「日本語歌唱ミサ」を上げること、ローマの教会で日本人がコンサートを開催すること、しかも、「水のいのち」を歌うこと、ポール神父が日本人の合唱団を指揮されること、サンピエトロ大聖堂で招待されてミサに聖歌隊として参加すること。どれ、一つをとっても、実現が難かしいことだったのだ。本当に、ポール神父のご援助のおかげであり、ツムラーレのスタッフが能力を発揮した成果が実ったのだった。 5月2日 教会下見とポール神父との打ち合わせ。 5月2日、アンドレアとジュリア、JTB加籐さん、塩田さん、長谷さん、私と家内で、教会下見に出かける。まず、5月3日、「日本語歌唱ミサ」を上げる、サンタ・マリア・アンジェリ教会へ行く。ホテルから10分ほどである。木島先生が合流。古代大浴場跡にミケランジェロの設計により1561年建立、イタリアの国家的行事が行われる重要な教会。BASILICA全体が巨大な十字架の形をしている。入り口から向こうが見えないほど広く、天井画がよく見えないほど高い。ベルリオーズの「レクイエム」など巨大編成の作品などが演奏されるそうだ。そりゃ、この教会くらいしかないでしょう。内部はサンピエトロ大聖堂から移された祭壇画が多く飾られ、華やかにして荘厳。重要な国家的行事が行われることも納得出来る。ここで「日本語歌唱ミサ」が上げられるなんて夢のようである。流石、アンドレアの実力。聖歌隊席は検討の結果、聖壇柵前に女声と男声が別れて椅子に座ることにする。オルガンからは遠くなるが、オルガンそばに少数の聖歌隊を置くことで解決する。入り口の右脇に我々のコンサートのポスタ−が貼ってあるのに、感激。アンドレアによるとローマ市内の主要教会には全て貼ってあるそうだ。3日「日本語歌唱ミサ」後、午後のリハーサル室は、Auditorium教会付属の音楽室で、BASILICAを一度出た敷地内にある。ピアノもパイプオルガンもあり、椅子も160は並べられるという最適な室である。つくづくアンドレアは凄いと思う。ミサと同じ教会内で最高の条件でリハーサルが出来るなんて理想的である。続いて、5月4日の午前中に男声が練習するのに用意してもらった礼拝堂に案内してもらう。これは教会の別室で、小さい聖壇と50人くらい座れる会衆席がある。ため息がもれるほどの、癒しの空間である。ここに座れるだけでも、このツアーに参加した意義がある。しかも、この部屋でポール神父にグレゴリア聖歌とパレストリーナをご指導頂けるのだと思うと胸が躍る。そして、いよいよ、5月4日の、コンサート会場であるサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会へ。遠くからの見ると、サンピエトロ大聖堂に次いで2番目の高さを誇るクーポラが聳え立つ。正面は高いが割と挟い。入り口を入るとまっすぐに壮大な空間が広がる。アンジェリ教会と違って縦に長いのである。入ってすぐ左側の礼拝堂内に「ここがプッチーニの歌劇トスカの第一幕舞台になった。」と書いた碑が掲げられている。ドミンゴがカヴァラドッシを演じたオペラ映画で何度も見ているが、実際に立って見るとその荘厳な雰囲気、壮大さに感激。左右の壁のキューピッドと礼拝堂内のヨハネの像はベルリーニの作で、まるで美術館の中でコンサ−トを開くような贅沢。特に後陣の半円天井に描かれたドメニキーノ作の「聖アンドレアの殉教」が圧倒的輝きで迫る。この画の前で田典礼聖歌とパレストリーナを歌えるとはなんという喜びであろうか。合唱長のペーター神父を紹介して頂く。この方がポール神父と親しく、「水のいのち」も歌えることになったのだ。まず、聖壇前に合唱台の配置を決める。最大134名。柵前に4列、柵内に2列でなんとかいけるだろう。ピアノとオルガンの位置を木島先生とご相談の上、決める。ペーター神父のご案内で控室を見せて頂く。女声用の部屋は立派な家具と聖画が一杯で圧倒される。控室にはもったいない。こんな環境でコンサートを開催出来るなんて、贅沢の極みである。最後に、ペーター神父がパイプオルガンを見せて下さる。入り口の真上に向かって、らせん階段をぐるぐる何回回ったことだろう。ようやく上へ着くと、あっと驚く堂内を一望出来る絶景である。凄いスケールの教会であることが、良く分かる。カメラマン垂涎のカメラアイ。木島先生はここでオルガンを弾かれるつもり。オルガニスト冥利に尽きる。ペーター神父は了承して下さったが、はたしてどうなるだろうか。 ホテルへ一度帰り、午後、ポール神父のお宅へ伺う。ホテルから10分ほどの住宅地の一角。バチカンの高位の方の集合住宅らしい。係の女性に案内されたのは、15疂くらいの居間。3年ぶりにお会いしたポール神父は満面の笑みと暖かい抱擁で迎えて下さった。塩田さんのお人柄のおかげもあり、深い信頼関係に結ばれていることが感じ取られ、話が早い。打ち合わせはスムースに終わり、明日からのスケジュールを確認して終わる。玄関口に大きな段ボール箱があり、ポール神父が「これは記念のマグカップで、昨日届いた」とのこと。間に合せて下さったのだ。 ホテルへ帰り、今日しかチャンスが無いので、ローマ三越へ家内と買い物に出かける。三越に入ると、入り口右側の目の付くところに、コンサートのポスターが貼ってあるのは、嬉しい驚き。日本人男性店員の方が応対に出て見えた。名刺を交換するとゼネラルマネジャーの樽見秀爾さんとおっしゃる方で「東海メールの会長さんですか。」と胸には東海メールのバッジが光っている。昨日、東海メールのバリトン勝田さんから贈呈されたとのこと。ご自身もローマの混声合唱団に歌ってらっしゃるとのことなので、「是非、4日のコンサートにお出で下さい。」とお誘いすると「仕事で行けない。」との事。では、明日のリハーサルにとお誘いしておいた。「これから、レストラン"TOMOKO TUDINI"で夕食です。」と告げると、「良く知っている店で、すぐ近くですからご案内します。」と送って頂いた。樽見さんは、翌日のリハーサルに、お出になり、差し入れまで頂いた。人の出会いは不思議なものである。帰国後、ローマツアーのCDDVDをお贈りしたら、9月2日に感激してお電話がかかって来た。東海メールのファンがまた、ローマで増えた。"TOMKO TUDINI"は日本人の、ともこさんが経営する庶民的レストランで、飾らないワイルドなともこさんの暖かい接待が心地よい。この日は野菜を中心とするメニューでローマ料理を満喫。東海メールの仲間と明日からの健闘を誓って杯を挙げた。さあ、1年半の成果がいよいよ、明日からと問われる。(つづく) 十時か教会名古屋から同行された西脇純神父の司式により、田典礼聖歌と"やまとのささげうた"による「日本語歌唱ミサ」。平和の祈り合唱団に、東海メールクワィアーと田典礼聖歌男声合唱団が加わり113名、指揮は須賀先生、オルガンは木島先生。司式の西脇神父(南山大学教授)は1994年の「叙階式」初ミサを田先生に指揮して頂き、その後、ご指導を受けた恩返しとして参加されたのだ。朗々たる声、正確なピッチ、堂々たる態度で、立派に努められたのは、誠に喜ばしい。「平和の祈り合唱団」は、しっかりとした歌唱で特に「しあわせなかたマリア」が心にしみた。会衆として参列された約300人の殆どは外国人、言葉はわからないが、とても感動したとの声が聞かれた。驚いたのは、ノルウエーからの旅行者が「以前、ベルゲンで日本語の典礼聖歌を聴いて感動した」との話があったことである。東海メールは2006年4月にベルゲンの新教会で松原千振先生指揮、吉田文さんのオルガンで、"やまとのささげうた"を中心とする田典礼聖歌を歌った。その大和風メロディーが印象に残っておられたのであろう。時空を超えて結び合った縁に田音楽の力を感じた。 5月4日、ローマ市内のサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会にて「ジュリア聖歌隊500年祭&田三郎生誕100年記念コンサート」を開催した。この教会は、1591年建立。プッチーニ「トスカ」の第一幕の舞台になった巨大な歴史的建造物。聖壇の後にはキリストの最初の弟子である「聖アンドレア(聖ペテロの弟)の殉教」の祭壇画が掲げられている。この素晴らし教会で歌えるのは一種の奇跡と言っても良い。第1ステージは、鈴木順の指揮、木島先生のオルガン、東海メールと田典礼聖歌男声合唱団の46名で「田男声典礼聖歌」を5曲。「神を求めよ」「アレルヤ」「天は神の栄光を語り」「ちいさな ひとびとの」「おお 神の富」。教会の高く広い巨大空間に男声聖歌が立ち昇って響いて行く。やはり、大教会に合っているのだ。田男声典礼聖歌がその真価を発揮した瞬間だった。1曲毎に暖かい拍手が起こるには驚いた。内容が理解されたのであろう。これまでの典礼聖歌合宿の成果が実った。第2ステージは、須賀先生指揮、木島先生のピアノ、平和の祈り合唱団84名で「ヨハネによる福音」。須賀先生渾身の指揮、木島先生入魂のピアノで天に届く圧倒的壮絶名演。特にソプラノが素晴らしい。終わった後、しばらく間があつて大拍手。第3ステージは、ジュリア聖歌隊第27代楽長ポール神父の指揮でパレストリーナの男声モテット2曲、混声2曲「Sicut cervus 」「Super flumina Babylonis」、須賀先生と鈴木の指揮する、それに対応する田典礼聖歌「谷川の水を求めて」「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」の2曲。外部団体は指揮されないというポール神父に、パレストリーナ指揮をお願いし続けた夢が叶った。流石、パレストリーナ直系の指揮。顔、表情、指先、身体の動きにより、我々から流れるように音楽が引き出されて、堂内は満たされる。ポール・マジックである。なんという神秘であろう。500年の歳月を遡り、我々はパレストリーナの世界を体験した。男声は多く参集して熱心に練習に参加し、混声と共にポール神父からおほめの言葉を頂いた。長期間に亘り、混声をご指導頂いた飯沼先生に深く感謝したい。第4ステ−ジは「水のいのち」、須賀先生の指揮、木島先生のピアノ、平和の祈り合唱団、東海メールクワィアー、田典礼聖歌男声合唱団の総勢133名。ローマの教会では、宗教曲以外は歌えない。今回はポール神父とヴァッレ教会の合唱長ペーター神父が親しく、特別の計らいで「水のいのち」が演奏出来ることになったのだ。ロ−マの教会で初めて響く「水のいのち」。心と力の籠った演奏に、1曲毎に拍手が起こる。言葉は分からなくても内容は聴衆の心に届いたのだ。「平和の祈り」を高らかに歌い上げた後は、大拍手に応えて「行け 地のはてまで」。木島先生が駆け上って弾くヴァッレ教会の大パイプオルガンの響きに相呼応しての歓喜の歌声に、約600人の聴衆からは"ファンタスティック"の歓声が挙がり、全員のスタディングオーベーション。ヴァッレ教会の合唱長ペーター神父は「これまでこの教会で聴いたコンサートの中でベストワン。いつでも自分の家だと思って来て下さい。歓迎します。」河野のりこ駐伊日本大使夫人は「初めて日本語典礼聖歌を聴きました。心に沁みました。田先生の音楽は素晴らしいですね。」最初からずーっと聴いていて下さったポール神父は「すべてに亘って音楽的に優れていた。招聘した価値があった。特に"水のいのち"に感動した。」システィーナレ礼拝堂聖歌隊の花岡麻美さん「ローマで日本の合唱団が日本語で日本人作曲家の作品を歌唱するというのは、そんなによくあることではないので、在住日本人にとっては、貴重な機会であった思います。イタリア人や他の外国人の方々も多く見えていたので、文化交流という面でも、また現在の日本人の活動を紹介出来たのも日本と言う国を理解してもらう良い機会だったと思います。演奏についての感想は、やはり、音楽の表現方法がとても印象的でした。イタリアでは、圧倒的な声で包み込むことが多いのですが、今回の演奏を聞かせて頂いて、全体に静かで繊細に、言葉の子音の発音なども大切にされ、内にあるものを表現しようとされているように思い、それがとても印象的でした。それは、イタリア人の聴衆にもとても新鮮だったようです。また、次の機会に是非ローマにてコンサートされますことを期待しております。」ツムラーレはローマ三越を始め、ローマ市内の教会他にポスターを貼りチラシを配布し、主要人物に招待状を配布してくれた。今回のローマコンサートは多数の聴衆に理解され、計りしれない意義と将来への希望を与えて大成功であった。今回はポール神父に特にお願いして、パレストリーナをご指導して頂いたことに重要な意義があった。この貴重な体験を日本で伝えたいと思う。 5月5日は、サンピエトロ広場の歴史的「法王ミサ」に参列。8時に広場に駆け込んでツムラーレが 確保してくれた椅子席に着く。雨が降りだしたが、10時にミサが始まり、法王がお出ましになると雨が止み、法王が退席されると雨が降り出すという不思議。我々は式次第のネウマ譜によるグレゴリオ聖歌を歌ってミサに参列。これまでグレゴリオ聖歌を勉強した甲斐があった。眼のあたりに見た法王ミサに感激。会衆は11万人。昼食後、ポール神父のご案内でサンピエトロ大聖堂見学。我々の為に用意されたバチカン楽譜庫で門外不出の貴重楽譜を手にとり見せて頂いたことは収穫。東海メールがポール神父にお送りした田作品の楽譜、プログラムなどの資料、CD、DVDなどは、ここに収められること。バチカンに納められるとは名誉である。「晩祷」に引き続き、今回の主要目的である「枢機卿ミサ」に東海メールクワィアー、田典礼聖歌男声合唱団、平和の祈り合唱団の140名が聖歌隊として参列。東海メールと田典礼聖歌男声合唱団が上手聖歌隊席に座り、下手聖歌隊席のジュリア聖歌隊とグレゴリア聖歌を交唱してミサを進行、平和の祈り合唱団が田典礼聖歌4曲を式次第に従って歌うという構成で、堂内一杯の会衆と共に厳かに執り行われた。なにしろ、カトリック大本山のバチカン、サンピエトロ大聖堂に於いて、ジュリア聖歌隊500年祭に招待されてのミサである。緊張が高まる中、須賀先生の指揮により「主を たたえよう」をしつかりと歌い出すと、初めて聴いた日本語混声典礼聖歌に満場がどよめく。グレゴリア聖歌による交唱もスムースに進み、最後に「平和の祈り」で閉式になると、ポール神父の合図でアンコールに「行け 地のはてまで」が、サンピエトロ大聖堂に響き渡り、深い感動を胸に抱いてジュリア聖歌隊ツアーは終了した。枢機卿がミサ内のイタリア語説教の中で、その部分だけ英語で「東海メールの典礼聖歌は素晴らしい。」とのお言葉を述べられたのに感激した。全ては「高田音楽」の勝利である。 旅の終わりに、丸林栞さん(15歳、元東京荒川少年少女合唱隊指揮者 渡邊顕磨氏のお孫さん)を会長に、芹澤佑実さん(16歳)、中村悠香さん(12歳)の三人が、「田典礼聖歌を歌い継ぐ会」を自発的に結成したと聞き感涙。田典礼聖歌の将来は明るい。 今回のツアーは、参加者とすべての会衆、聴衆に豊かなあがないをもたらした。 田先生、これにすぐる喜びがありましょうか。 |
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9時半にアンジェリ教会に入る。アンドレア、ジュリア、教会担当者と聖歌隊席の椅子位置調整し、並べ、須賀先生の譜面台の高さと指揮位置を決める。オルガンは聖壇の上手後方、須賀先生の左後方に当たる。遠い、ぎりぎり見えるところだ。聖歌隊席から離れているので時差が生じる。8人選抜してオルガンの右側で須賀先生の指揮を見て歌うことにする。私も選ばれてしまった。こうすれば木島先生は歌を聴きながらオルガンを弾くことが出来る。司会を依頼された園部英俊さんが緊張している。それはそうだ。とてつもなくスケール大きく荘厳な場所である。続々会衆が参集される。この「日本語歌唱ミサ」は、2011年の時点では司式をされる方が見つからず、実現が危ぶまれていたが、それを知って私が折角の機会だから、なんとかならないのかと各方面に送ったメールに西脇純神父が応えて下さったのだ。ミサを挙げる教会は、田先生と繋がりの深いブロドー神父が主宰のアルフォンソ教会を了解の元、予定していたのだが、今年に入ってもお返事がなく、いろいろ苦慮しこれもポール神父のお力添えもあり、このアンジェリ教会をアンドレアが、押さえてくれたのだ。相当、苦労した。感無量である。 10時になる。名古屋から同行された西脇純神父の司式により、田典礼聖歌と"やまとのささげうた"による「日本語歌唱ミサ」が開始された。大阪で2010年のローマ・ツアー後、須賀先生と木島先生のご指導で田典礼聖歌を研修すべく結成された合唱団がいよいよその成果を披露する。東海メールクワィアーと田典礼聖歌男声合唱団が加わり113名の「平和の祈り合唱団」。司式の西脇純神父(南山大学教授)は1994年の「叙階式」初ミサを田先生に指揮して頂き、その後、ご指導を受けた恩返しとして参加されたのだ。朗々たる声、正確なピッチ、堂々たる態度で、立派に努められたのは、誠に喜ばしい。「平和の祈り合唱団」は、しっかりとした歌唱で特に「しあわせなかたマリア」が心にしみた。会衆として参列された約300人の殆どは外国人、言葉はわからないが、とても感動したとの声が聞かれた。驚いたのは、ノルウエーからの旅行者が「以前、ベルゲンで日本語の典礼聖歌を聴いて感動した」との話があったことである。東海メールは2006年4月にベルゲンの新教会で松原千振先生指揮、吉田文さんのオルガンで、"やまとのささげうた"を中心とする田典礼聖歌を歌った。その大和風メロディーが印象に残っておられたのであろう。こんな奇跡的なめぐり逢いがあるのだろうか。時空を超えて結び合った縁に田音楽の力を感じた。高田典礼聖歌を歌い続けていて良かった。 遂に、ポール神父に、パレストリーナのご指導を受ける 午後からは、アンジェリ教会敷地内の音楽練習室でリハーサル。初めて、ポール神父のご指導を受ける人は大緊張。須賀先生と木島先生はポール神父と2010年にお会いしている。その際のコンサートでの「水のいのち」混声演奏をポール神父が高く評価され、今回の、「枢機卿ミサ」は、混声田典礼聖歌で奉仕することになった。飯沼先生は、2010年に東海メールがポール神父にグレゴリオ聖歌の指導をされるのを見てらっしゃるので、ポール神父の指導法は良く分かっておられる。 今回のツアーの大きな目的の一つは、ポール神父の指揮でパレストリーナのモテットを演奏することである。今回の招待が決まってから、私はパレストリーナの最高権威であるポール神父に、是非、パレストリーナを指揮して頂きたいと懇願し、その願いは叶った。そこで、コンサートの第三ステージは同じ詩篇による田典礼聖歌とパレストリーナの曲にした。「谷川の水を求めて」と「Sicut Cervus」、「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」と「Super Flumina Babylonis」の組み合わせである。これは以前、豊中混声で田先生が高田典礼聖歌、須賀先生がパレストリーナを指揮されて演奏されたそうだ。1年前から混声は飯沼先生にお願いして練習して来た。その成果が、いよいよ問われる。飯沼先生のご指導でパレストリーナの混声モテットを練習していると、途中でポール神父がお見えになり、ドアの外で耳を澄まされ、良い響きがしているとのお言葉に、一安心。ポール神父は、まず、詩の内容の深い理解して、それに合った表現を求められた。そして、各パートの大きいフレージングの積み重ねで曲を作って行かれる。パレストリーナのモテット、その真髄が解き明かされて行く、素晴らしさ。ああ、こういう名曲だったのだ!「Sicut Cervus」は、「巡礼が、神を求めて歩くテンポで」のご指摘に納得。そうだったのだ。ショツクを受けた。ポール神父の指先と眼の光から導き出される「Babylonis」の高潮して行くテンポとフレージングドライブの見事さ。歌う我々の身体の中からパレストリーナが引き出されてくる。皆、興奮。貴重な体験であった。この体験は、是非、日本の合唱人に伝えなければ。これも、飯沼先生のご指導があっからこそである。感謝。その後、ポール神父には、礼拝堂で男声のグレゴリオ聖歌と男声パレストリーナを指導して頂く。「枢機卿ミサ」内のグレゴリオ聖歌は、自らジュリア聖歌隊の部分と東海メールの部分を全て精力的に歌い分けて下さる。歌い回しと緩急の付けかたを丁寧に教えて下さる。こればかりは実際にポール神父からご指導を受けなければ分からない。まあまあ、なんとか付いていける程度まで歌えたところで、パレストリーナ男声モテットへ。流石の手と指の動きで、パレストリーナの流れが我々の声から生まれ出る。これこそ奇蹟!歌詞の内容を歌え、意味を説明しながら、フレージングの歌い方を何度も繰り返し曲を形作って行く。まったく無駄のないプロの仕事である。また、明日やりましょうと、いうことで仕上げずに終了。これも上手い。ポール神父のご指導は終わり、その後、須賀先生の指揮、木島先生の伴奏で、「枢機卿ミサ」内の混声高田典礼聖歌と「水のいのち」の全員が初めて揃っての練習。参加者も、無事、ローマのこの練習室に揃い、2010年とは違って、理想的なスケジュールと理想的な場所で練習出来る幸せ。明日のコンサートは、上手く行くと確信してリハーサルは終わる。さあ、いよいよ、「田三郎生誕100年記念・ジュリア聖歌隊500年祭記念コンサート」は、明日、その幕を切って落とす。3年間の労苦は報われるのか。 |
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5月4日、10時に昨日、「日本語歌唱ミサ」を挙げ、リハーサルを行ったアンジェリ教会の礼拝堂で男声だけの練習を行う。実はコンサートで歌う「田男声典礼聖歌」はメンバーが全国から集まっているため、今日がはじめて全員揃っての練習である。指揮の鈴木順は田先生と須賀先生から22年間薫陶を受け、このロ−マコンサートのために須賀先生から特別指導を受けて臨んでいる。メンバーは、今回のこのコンサートに関しては初顔合わせだが、2003年の仙台以来、10年に亘り九州から北海道まで典礼聖歌を歌って来た仲間である。田節を知り尽くした者同志、あっという間にアンサンブルが整い気持ちが籠ってくる。11時にポール神父が、お見えになり、パレストリーナのレッスン。昨日よりも深い。何度も繰り返しての細かいフレージングの指示。サビの歌わせ方、教会の響きを意識してのテンポルパートと曲の収め方など、神技である。たっぷり、パレストリーナを味わせて頂いた幸せ。 今回のツアーの目的の一つである「ジュリア聖歌隊500年祭&田三郎生誕100年記念コンサート」は、ローマ市内のサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会で行う。13時に準備のため、教会に入る。ペーター神父に、にこやかに出迎えて頂いて心が休まる。この教会は、1591年建立。プッチーニ「トスカ」の第一幕の舞台になった巨大な歴史的建造物。聖壇の後にはキリストの最初の弟子の一人である「聖アンドレア(聖ペテロの弟)の殉教」の祭壇画が掲げられている。この素晴らし教会で歌えるのは一種の奇跡と言っても良い。聖壇柵の前後に合唱台がこちらの希望した通据え付けらているのに驚く。アンドレアはキチンと仕事をしてくれたのだ。教会をコンサート会場に仕立てるのは大変な作業である。ピアノの位置変更が大変。床が大理石なので、傷をつけないため 布が敷いてある。位置変更に、ゆっくりとは布を引っ張って行く。なんとか収まった頃に、合唱団員が教会に入って来て、内部の荘厳さと素晴らしさに感嘆のあまり声も出ない。控え室の立派さに、また、びっくり。第一ステージ「男声典礼聖歌」のリハーサルに入る。木島先生が大パイプオルガンで弾きたいと上へ登られ、リハーサルが始まったが、オルガンの音がこちらまで届かない。時差もありすぎる。木島先生にあきらめてもらって、アンコールの「行け 地のはてまで」でのサプライズにとって置くことにする。第二ステージ「ヨハネによる福音」のリハーサルが済むと、ポール神父の登場である。男声パレストリーナを歌い出すと、ポール神父がこの教会の響きを熟知されていることが、良く分かる。パレストリーナは教会で歌うことで輝きを増す。聴いていた混声合唱の皆さんは、すぐに教会の響きを捉えて、混声パレストリーナのリハーサルは、ポール神父のフレージグに良くついて行き、素晴らしい音楽が生まれ出て来た。やはり、その曲を歌うべき場所があるのだ。眼と耳、五感と六感も駆使して、皆がポール神父からパレストリ−ナ音楽の真髄を教示して頂こうと真剣になった濃密な時間。これだけでも、このツアーに参加した甲斐があった。 いよいよ、開演である。ポスターを貼り、チラシを配布した効果があって、たくさんの聴衆が集まって来た。椅子が足らなくなって、アンドレア達が懸命に椅子を追加して並べている。800人以上、入ったのだ。最前列の招待者席も、音楽関係者らしい人で一杯。アンドレアは本当に良く手配してくれた。 ジュリアの司会で始まる。第1ステージは、鈴木順の指揮、木島先生のオルガン、東海メールと田典礼聖歌男声合唱団の46名で「田男声典礼聖歌」を5曲。「神を求めよ」「アレルヤ」「天は神の栄光を語り」「ちいさな ひとびとの」「おお 神の富」。「聖アンドレア殉教」の祭壇画を背景に、教会の高く広い巨大空間に男声聖歌が立ち昇って響いて行く。やはり、大教会に合っているのだ。神秘的な雰囲気に包まれ、田男声典礼聖歌がその真価を発揮した瞬間だった。1曲毎に暖かい拍手が起こるには驚いた。内容が理解されたのであろう。これまでの典礼聖歌合宿の成果が実った。第2ステージは、須賀先生指揮、木島先生のピアノ、平和の祈り合唱団84名で「ヨハネによる福音」。須賀先生渾身の指揮、木島先生入魂のピアノで天に届く圧倒的壮絶名演。特にソプラノが素晴らしい。終わった後、しばらく間があつて大拍手。第3ステージは、ジュリア聖歌隊第27代楽長ポール神父の指揮でパレストリーナの男声モテット2曲、混声2曲「Sicut cervus 」「Super flumina Babylonis」、須賀先生と鈴木の指揮する、それに対応する田典礼聖歌「谷川の水を求めて」「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」の2曲。外部団体は指揮されないというポール神父に、パレストリーナ指揮をお願いし続けた夢が叶った。流石、パレストリーナ直系の指揮。顔、表情、指先、身体の動きにより、我々から流れるように音楽が引き出されて、堂内は満たされる。ポール・マジックである。なんという神秘であろう。500年の歳月を遡り、我々はパレストリーナの世界を体験した。男声は多く参集して熱心に練習に参加し、混声と共にポール神父からおほめの言葉を頂いた。長期間に亘り、混声をご指導頂いた飯沼先生に深く感謝したい。第4ステ−ジは「水のいのち」、須賀先生の指揮、木島先生のピアノ、平和の祈り合唱団、東海メールクワィアー、田典礼聖歌男声合唱団の総勢133名。ローマの教会では、宗教曲以外は歌えない。今回はポール神父とヴァッレ教会の合唱長ペーター神父が親しく、特別の計らいで「水のいのち」が演奏出来ることになったのだ。ロ−マの教会で初めて響く「水のいのち」。心と力の籠った演奏に、1曲毎に拍手が起こる。言葉は分からなくても内容は聴衆の心に届いたのだ。「平和の祈り」を高らかに歌い上げた後は、大拍手に応えて「行け 地のはてまで」。木島先生が駆け上って弾くヴァッレ教会の大パイプオルガンの響きに相呼応しての歓喜の歌声に、約600人の聴衆からは"ファンタスティック"の歓声が挙がり、全員のスタディングオーベーション。ヴァッレ教会の合唱長ペーター神父は「これまでこの教会で聴いたコンサートの中でベストワン。いつでも自分の家だと思って来て下さい。歓迎します。」河野のりこ駐伊日本大使夫人は「初めて日本語典礼聖歌を聴きました。心に沁みました。田先生の音楽は素晴らしいですね。」最初からずーっと聴いていて下さったポール神父は「すべてに亘って音楽的に優れていた。招聘した価値があった。特に"水のいのち"に感動した。」システィーナレ礼拝堂聖歌隊の花岡麻美さん「ローマで日本の合唱団が日本語で日本人作曲家の作品を歌唱するというのは、そんなによくあることではないので、在住日本人にとっては、貴重な機会であった思います。イタリア人や他の外国人の方々も多く見えていたので、文化交流という面でも、また現在の日本人の活動を紹介出来たのも日本と言う国を理解してもらう良い機会だったと思います。演奏についての感想は、やはり、音楽の表現方法がとても印象的でした。イタリアでは、圧倒的な声で包み込むことが多いのですが、今回の演奏を聞かせて頂いて、全体に静かで繊細に、言葉の子音の発音なども大切にされ、内にあるものを表現しようとされているように思い、それがとても印象的でした。それは、イタリア人の聴衆にもとても新鮮だったようです。また、次の機会に是非ローマにてコンサートされますことを期待しております。」ツムラーレはローマ三越を始め、ローマ市内の教会他にポスターを貼りチラシを配布し、主要人物に招待状を配布してくれた。今回のローマコンサートは多数の聴衆に理解され、計りしれない意義と将来への希望を与えて大成功であった。今回はポール神父に特にお願いして、パレストリーナをご指導して頂いたことに重要な意義があった。この貴重な体験を日本で伝えたいと思う。 |
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5月5日は、サンピエトロ広場の歴史的「法王ミサ」に参列。7時半にホテル発。大勢の旗印を掲げた巡礼団に交じって、8時に広場に駆け込んでツムラーレが確保してくれた割と前方の椅子席に着く。回りを見渡せば、大会衆、11万人。後方はかすんでいる。立派なカラー表紙の式次第が配布される。宝物である。雨が降りだしたが、10時にミサが始まり、法王がお出ましになると雨が止み、法王が退席されると雨が降り出すという不思議。ミサの為に着て来た服はびしょ濡れ。我々は式次第のネウマ譜によるグレゴリオ聖歌を歌ってミサに参列。これまで、グレゴリオ聖歌を勉強した甲斐があった。眼のあたりに見た法王ミサに感激。ここまでは、全て順調に進んでいる。 サンピエトロ大聖堂に入る 昼食後、15時、正門ではなく、特別な聖職者とバチカン職員のための入り口から、ポール神父のご案内でサンピエトロ大聖堂に入れて頂く。我々一般人には二度とお目にかかれない風景を目に焼きつけながら、道を辿る、そして、ポール神父のご案内でサンピエトロ大聖堂見学。バチカン楽譜庫で、我々の為に英語の解説付きで用意された門外不出の貴重楽譜を手にとり見せて頂いたことは大収穫。東海メールが、ポール神父にお送りした田作品の楽譜、プログラム、CD、DVDなどの資料は、ここに収められること。バチカンに納められるとは名誉である。皆はクーポラ見学に出かけ、私と木島先生と塩田さんは「枢機卿ミサ」準備のため聖壇そばに残る。聖壇脇で一人の男性に話しかけられる。ジャンルッカ・リベルゥッチとおっしゃるサンピエトロ大聖堂付のオルガニストで、木島先生の助手を務めて下さるとのこと。今回は、ジュリア聖歌隊と平和の祈り合唱団が両側に分かれて歌うので、上手く進行出来るように、ポール神父が配慮して下さったのだ。リベルウッチさんが、「10月13日に名古屋へ行くよ。」とのこと。えーつ、それはどこでなの、と訊いたが分からない。帰国して、東海メールが9月に出演して典礼聖歌を歌う五反城教会の「名古屋オルガンの秋」のチラシを見てびっくり。なんと、10月13日にリベルトウィッチさんのリサイタルがあるではないか。定められた繋がりを感じた。 「枢機卿ミサ」感動の内に無事執り行われる。使命は果たした! 「晩祷」の時間が近ずく。皆もクーポラ見学から帰ってきた。私が木島先生に「二度とない貴重な機会だから、西脇神父も、ミサの共同司式に加われば良いのに。」と言ったら「本人はその気があるようよ。」塩田さん「ポール神父にお願いして見るわ。」すぐに戻って見えて「ポール神父が枢機卿の了承をとって下さった。準備があるからすぐ来てくれ。」えらいこっちゃ。純ちゃんは、今、クーポラに昇っているはず。添乗員の中村さんの携帯に電話。「すぐ、西脇神父に降りて来てもらって。」そうこうする内に、「晩祷」の時間は過ぎている。どうなっているのだろうか。法王ミサがあったら関係で、スケジュールが混乱しているようだ。ポール神父が急いで駆け込んで見えて、すぐ座席に着くようにとの指示。あわてて皆を誘導。席順は決めてあったが、その通り座っている時間はない。グレゴリア聖歌を歌う男声聖歌隊を聖歌隊席座らせるのが精一杯。「晩祷」の後、休憩なしに「枢機卿ミサ」が始まったのだ。今回の主要目的である「枢機卿ミサ」は、東海メールクワィアー、田典礼聖歌男声合唱団、平和の祈り合唱団の140名が聖歌隊として参列。東海メールと田典礼聖歌男声合唱団が上手聖歌隊席に座り、下手聖歌隊席のジュリア聖歌隊とグレゴリア聖歌を交唱してミサを進行、平和の祈り合唱団が田典礼聖歌4曲を式次第に従って歌うという構成で、堂内一杯の会衆と共に厳かに執り行われた。なにしろ、カトリック大本山のバチカン、サンピエトロ大聖堂に於いて、ジュリア聖歌隊500年祭に招待されてのミサである。鐘が鳴って、枢機卿と司祭たちが入堂される。ああ、良かった。西脇神父も加わってl見える。間に合ったのだ。緊張が高まる中、須賀先生の指揮により「主を たたえよう」をしつかりと歌い出すと、初めて聴いた日本語混声典礼聖歌に満場がどよめく。西脇神父も、共同指揮し郷土指揮志納二スァ気グレゴリア聖歌による交唱もスムースに進み、最後に「平和の祈り」で閉式になると、ポール神父の合図でアンコールに「行け 地のはてまで」が、サンピエトロ大聖堂に響き渡り、深い感動を胸に抱いてジュリア聖歌隊ツアーは終了した。コマストリ枢機卿がミサ内のイタリア語説教の中で、その部分だけ英語で「東海メールの典礼聖歌は素晴らしい。」とのお言葉を述べられたのに感激した。全ては「高田音楽」の勝利である。 今回のツアーは、「日本語歌唱ミサ」「コンサート」「枢機卿ミサ」に於いて、参加者全員の高い音楽性と熱意と努力で、田音楽の魂を、ローマの教会関係者と全世界から参集した方達に打ち込んで、その価値を認めて頂いたことにある。使命は果たされたのだ! 旅の終わりに、丸林栞さん(15歳、元東京荒川少年少女合唱隊指揮者 渡邊顕磨氏のお孫さん)を会長に、芹澤佑実さん(16歳)、中村悠香さん(12歳)の三人が、「田典礼聖歌を歌い継ぐ会」を自発的に結成したと聞き感涙。田典礼聖歌の将来は明るい。 正に、神の計らい!奇跡は二度起こった! 2010年5月4日にポール神父からささやかれた一言「2013年のジュリア聖歌隊500年祭に招待出来るかもしれない。」この一言を頼みとして塩田さんと私は活動を続け、2011年10月に招待が決定してから1年半のたゆまない努力。良く構築、実行出来たものだ。しかも、すべての企画が大成功。参加者すべてが感激、満足したという結果は、正に、奇蹟としか言いようがない。木下協さんが、「ヴァッレ教会で歌えること自体が奇蹟だ!」とおっしゃった通りである。長い努力は報われた。 今回のツアーに至るまでの、3年間、ポール神父と塩田さんに本当にお世話になった。実現、成功したのは、お二人のおかげである。実行に当たっては、岡田智子さん、JTBの加籐知浩さん、ツムラーレの大野祐子さん、アンドレア・フィエスコさん、ジュリア・シズモンドさん、芦辺竜也さんのご協力。 また、大阪実行委員の岩井孝司さん、吉原一郎さん、直美さんには、大阪側のとりまとめに大変、ご尽力頂いた。大阪側の参加がなければ、今回のツアーは成立しなかった。 音楽面の成功は、須賀敬一先生、木島美紗子先生、飯沼京子先生の1年半に亘る、辛抱強く、厳しくも暖かいご指導と、ミサ、コンサートに於ける卓越した演奏によるものである。 皆様に深く感謝申し上げます。 今回のツアーは、参加者とすべての会衆、聴衆に豊かなあがないをもたらした。 田先生、これにすぐる喜びがありましょうか。 (つづく) |
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5月3日 | サンタ・マリア・アンジェリ教会 | 10時30分 | 日本語ミサ 司式:西脇純 神 |
5月4日 | サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会 | 16時 | ジュリア聖歌隊500年祭・高田三郎生誕100年記念コンサート |
5月5日 | サン・ピエトロ広場 サン・ピエトロ大聖堂 | 9時30分 17時30分 | 法王ミサ 枢機卿ミサ 聖歌隊として参加 |
記念コンサート曲目
第一ステージ 東海メールクワィアー&高田典礼聖歌男声合唱団 指揮:鈴木順 オルガン:木島美紗子 高田男声典礼聖歌 1.神を求めよ 2.天は神の栄光を語り 3.アレルヤ 4.ちいさなひとびとの 5.おお 神の富
第二ステージ
第三ステージ
第四ステージ |
塩田提供ローマ写真