東海メールクワイアー

創立60周年記念 東海教会コンサート

生誕60周年
東海メールクワィアー
東海教会 MEMORIAL CONCERT
「源へ、そして未来へ」

I
作詩:高野喜久雄 作曲:田三郎
男声合唱組曲「水のいのち」

みずたまり


海よ

II
作曲:田三郎
男声合唱のための「典礼聖歌」
「おお 神の富」
「谷川の水を求めて」
「栄光の賛歌」(ミサ曲 I)
「主は与え」
「ちいさな ひとびとの」
「行け 地のはてまで」

III
思い出の「愛唱曲集」
「野ばら」
「わが歌」ほか

指揮:飯沼京子、高木秀一、鈴木順
オルガン:木島美紗子
ピアノ:津野有紀

2006年12月9日(土) 18:00 開演
日本基督教団 東海教会 聖堂
主催:東海メールクワィアー
共催:日本基督教団 東海教会


◎「心の泉から湧き出る水は清新である」
―東海教会メモリアルコンサートCDを聴いて   北村 正之

 「男声合唱のための典礼聖歌第3集」に収録されている答唱詩編「たて琴をかなで」の詩篇唱3番です。コンサートの曲目には入っていませんが、創団60年を祝う東海メールクワィアーの姿にどんぴしゃり。
みずみずしい生命感。弾むようなアンサンブル。メール発祥の地で歌う喜びが伝わってくる演奏会でした。
この生きのよさは、疲れを知らぬ若者たちの勢い。枯れることのない清新な心の泉から湧き出ている。流るる水は腐らず・・・です。
出演したのは全団員80人の六割。合唱界のトップランナーとして長年走り続けてきたシニアメンバー主体の編成ですが、老・中・青の声が一つにとけあった美しさと迫力はオンリーワンにして、ベストワン。これから先も、どこまでも新しい地平を切り拓いて行くことでしょう。メールは還暦を節目として、さらなる前人未踏の美しい冒険に乗り出したのだと思います。

メールサウンドの素晴らしさは一言に集約しきれません。60年の歴史に磨かれたふくよかなハーモニーは、若々しさとみずみずしさだけではありません。音楽としての面白みを超える深い味わいの世界です。
この度は田三郎の作品が柱ですから、心をひとつにした一途な合唱から、紡ぎだされるのは、片山和弘(B2)言うところの「ことばというもののもつ力」「ことばの魂」でしたね。
 怒濤のような激しい最強音が連続するパッセージから、ささやくような最弱音の語りまで、ことばが常にはっきり聞こえてきます。「水のいのち」でも、典礼聖歌でも、一つひとつのことばにしっかり意識が置かれているのがよく分かります。メールの発出することばは「道」でもあると改めて実感しました。
これこそメールの芸道の真髄でしょう。
 一つひとつのことばから、天地万物に向けて、幸いあれとの言霊(ことだま)が放たれ、注ぎこまれていくのを感じるのは私ひとりでしょうか。現代日本からとうに失われてしまったいのちの言祝ぎ(ことほぎ)を、メールは日本人として心の底から歌うことのできる合唱作品をとおして、復興しつつあるのだと思います。
ここ数年、メールの果敢な働きによって、すべての日本人のための言祝ぎの歌、祈りの歌である典礼聖歌が広く浸透しつつあることは、有難いことです。
東海メールに続く男声合唱団が一つでも増えるほど、日本は純化され、人間本来のあり方に目覚める人たちが増えることでしょう。

ところで、還暦記念の手づくりコンサートは、普段は表舞台に立たない団内指揮者中心の珍しいコンサート、あるがままのメールの素顔に接するまたとない機会でもありました。
東海教会の、さして広くはない祭壇スペースに、43人もの団員がよくぞおさまりましたねえ。オルガンは昔懐かし足踏み式。神戸から駆けつけた木島美紗子は、合唱とのバランス調整にさぞ苦労したに違いありません。
メールにとってはこの年、10回目のコンサート。晩秋に入って急きょ、決まった記念演奏会です。そこは転んでもただでは起きないメール、難しいがやり甲斐のある意欲的なプログラムを組んでいます。
第一ステージは11年ぶりの男声版「水のいのち」。第二ステージ(典礼聖歌)では「栄光の賛歌」(ミサ曲1)を初演。塩田保(B2)の詩編先唱初舞台もさりげなく盛り込まれていました。第三ステージ(思い出の「愛唱曲集」)は、この日のために復刻した1952年版東海メール愛唱歌集から外国曲を6曲。半世紀ぶりに蘇らせた楽譜の歌い初め。
結果的には、いくつもの新たなメール伝説を生んだまことにドラマチックで画期的なコンサートとなりました。おそるべきメールの底力と団結力、本領です。ビッシリ内容の詰まったプログラムには、驚嘆。エッセンスを言い尽くしている曲目解説には唸りました。

「水のいのち」
鮮烈、清冽、峻厳でありながら、これほど温かい「水のいのち」を聴いたことがありません。ことばの一つひとつにしっかり意識が置かれ、The Soul of Water(水の魂)を余すところなく歌い切っています。メールならでは、メールにしか、出来ない「水のいのち」。
グイグイ引きつけられ、気がついたら最高に癒されていました。11年に1回なんて殺生な。「水のいのち」と「典礼聖歌」が通底・照応していることをこころと身体で一番よく分かっているのは、メール。それが、たった2回の全曲通し練習だけで、本番を見事に決めた秘密です。メールの「水のいのち」をもっと頻繁に聴かせてほしいものです。

「典礼聖歌」
今回、村瀬輝恭(T1)の綿密な聴き取り調査によって、東海メールクワィアー命名の由来が明確になりました。私もおかげさまでコーラスとクワィアーの違いを学びました。クワィアーってのは、元来、教会聖歌隊なんですねえ。だからでしょうか、「メール再生の基となった典礼聖歌」(都築義高会長)は今や、血となり肉となって、団員の身体にしみわたっている。
それが証拠に、メールの典礼聖歌は同じ曲でも、演奏会ごと、会場ごとに違った歌い方で、典礼聖歌のこころ、祈りを表現しています。それでいいんです。それが正しいのです。他ならぬ田三郎がそう言っています。
「栄光の賛歌」初演が秀逸。メリハリのきいた早めのテンポは理想的な進行。全宇宙に響きわたる盛り上がり、讃美の爆発。精神が解放されてないと、こうはいきません。
どの曲もすべてよかった。「栄光の賛歌」初演の文句なしの出来栄えについて、誰も言及しないと思われるので、特に書いておきます。
中世古俊一(T1)の独唱、中嶌暁(T2)の詩篇先唱は、回を重ねるほどに、進境を見せ、味わいが深まる。コンサートホールと教会、それぞれの会場に最も相応しい歌い分けが的確、かつ、お見事。
塩田保(B2)の詩篇先唱デビュー。ヨカッタ。先唱を引き出し、支えるメールの答唱も実にいい。教会のチャペルにベストマッチの演奏でした。
前奏から指先で祈っている木島美紗子のオルガンによる支えも実に大きかった。パイプオルガンか、足踏みオルガンかは、本質的なことではない。要はいのりの心。それがメールからより深い祈りを引き出し、より昇華させるんですねえ。

「愛唱曲集」
二百人も入ったらいっぱいになる教会コンサートのために、1952版東海メールクワィアー愛唱曲集を復刻するとは。この演奏会に賭けるメールの意気込みに脱帽。里帰りコンサートを前に、村瀬ジュニアが「東海メール通信」に寄せた「東海メールクワィアー初期の愛唱曲集」についてが、これまたスゴーイ。「思い出の曲ではなく、新たなアプローチによる演奏方法の確立が必要と思われる」「原点回帰の今こそアプローチすべき課題である」と大断言しているところは、もっとスゴーイ!
メールの高い志、心の持ち方に打たれます。ともあれ、この日の聴衆は、秘められたドラマを知るや、知らずや、理屈抜きで6曲を心ゆくまで楽しんだと思います。 
「わが歌」この1曲だけ、紅一点飯沼京子(敬称略)による指揮。メールを最高に歌わせ、響かせるプロならではのコントロール、指揮効果のすごさ。いかなる会場でも、粗布(あらぬの)を一瞬にして晴れ着に変える離れ業。そしてメールとの感動を涙で共有する人間性に喝采。
「希望の島」都築義高会長6年ぶりのメール指揮。私が都築"内蔵助"太夫の指揮を聴くのはこれが初めて。イヤー驚きました。ダイナミックにして斬新、力強く、同時に繊細な美しさに溢れる演奏。心の底から希望が湧いてくる。これまで数え切れないくらい歌い、聴いてきた「希望の島」は一体、何だったんだろう。新鮮な感動で胸いっぱいになりました。都築会長は「昔風、40年前の指揮法」なんて謙遜していますが、音楽探偵、村瀬ジュニアが問題提起した「新たなアプローチ」を、いち早く具現した記念コンサート屈指の快演。名演でした。
(完)



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Ichiro Shimizu <i-shimizu@music.email.ne.jp>
Created: 11/02/2006, Updated: