2005年9月18日(日)15:00-
愛知県芸術劇場コンサートホール
入場料:3,000円
女声合唱組曲「遥かな歩み」
指揮:須賀敬一
ピアノ:木島美紗子
女声合同
「山形民謡によるファンタジーとフーガ」
オルガン:吉田文
男声合唱組曲「内なる遠さ」
指揮:今井邦男
ピアノ:中村有木子
東海メールクワイアー
混声合唱とピアノのための「イザヤの預言」
指揮:西岡茂樹
ピアノ:中村有木子
豊中混声合唱団
混声合唱とピアノのための 預言書による「争いと平和」
指揮:辻志朗
ピアノ:川井敬子
大久保混声合唱団
「典礼聖歌」
指揮:須賀敬一
オルガン:木島美紗子
男声合同
「ミサ曲I」
指揮:小松一彦
南山大学管弦楽団
南山大学合唱団
「五つの民族旋律」管弦楽編曲版
指揮:小松一彦
南山大学管弦楽団
混声合唱組曲「水のいのち」
管弦楽編曲版・委嘱初演
編曲:トーマス・マイヤー=フィービッヒ
指揮:小松一彦
南山大学管弦楽団
参加合唱団合同
「典礼聖歌」
指揮:須賀敬一 オルガン:木島美紗子
男声合同
混声合唱組曲「水のいのち」
管弦楽編曲版・委嘱初演
編曲:トーマス・マイヤー=フィービッヒ
指揮:小松一彦 南山大学管弦楽団
参加合唱団合同
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第一回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 9月20日筆
9月17日
10:00 セカンドの中嶋さんが豊田市の自宅に迎えにきてくれた。今日と明日は一日中、びっしりの大労働なのでゆっくり会場入りすることにしたのだ。今回は特に大事な演奏会なので、妻の和子(豊田市民合唱団団長)に手伝ってもらうことにした。こういうマネージは慣れているし、修羅場は何回もくぐりぬけている。メールの連中の顔も各先生方の顔も、見知っているので安心。各所に、私がこれまでCBCテレビ制作時代に一緒に仕事をして信頼している人をお願いした。ステージマネージャーは小松先生とも仕事しているセントラル愛知の福田さんである。先生方の呼び出しから照明、音響への連絡、ステージ進行、譜面台の高さ、指揮台の有無、ピアノ、コンソールの出し入れ、などまかせておけば安心である。助手は吉田敬一さんである。合唱団の誘導などをお願いする。舞台作成・設置は太田建治さん。なにしろ最大は男声合同270人、そして女声合同200人、さらに「水のいのち」の時はオーケストラを入れてその上166人の合唱団員をステージ上に配置しなければならない。そんなことが出来るのか。私は一週間前から166名の女声がステージに乗り、その前の場所にオーケストラ81人が入るかが、非常に心配であった。ハープが二台に、チェレスタ、コンソールオルガン、ドラ他打楽器多数。これらが入らなければ演奏会は開けない。時間とお金の都合で張り出し舞台は取りやめたので、どうしても入れなければならない。これがまず勝負である。フロントは音楽企画ドルチェの上田真由美さん。大ベテランである。西脇さんから、客が溢れやしないかと、毎晩、電話がかってきたが、彼女が入れば良い知恵をだしてくれるだろう。警備にはこれも専門で親しい警備会社エスカルゴの横地さんを頼んだ。客の誘導など上手いものだ。なにが起こっても大丈夫。まず完璧の布陣である。これで上手くゆくはずだ。金森君から電話がかかる。彼には「水のいのち」の合唱団員配置図による座席指定札を依頼しているのだ。また、問題が発生したのか。なにしろ、参加人員が毎日変わるので難しい作業になっている。これ以上、変更は止めてよ。頭はおかしくなるわ。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第二回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 9月26日筆
9月17日
11:00 東海メールのセカンド金森譲君(1999年入団)から電話がかかる。彼はサンケ−アデックスという印刷会社勤務(お父さんが創業)で、今回のプログラムも彼の担当である。プログラムは今日、3200部が納品の予定で、なんと校正に三週間かかった。毎日のように参加者人名が変わるのと、原稿が締め切り1カ月過ぎても来ず、納品1週間前の10日にようやく届いたのが二件あったからだ。12日からの印刷にぎりぎり間に合わせたのだ。将に神業である。金森さんは、各合唱団に対し事前に出演者以外の必要部数を聞いて、後日送るというきめ細かい気配りをしている。今回、彼には「水のいのち」の合唱団員配置図による座席指定札も依頼した。今回、座席表は三種類ある。合同合唱(女声と男声それぞれ)、「水のいのち」の合同、それに第一部で男声合同合唱団、第二部で女声合同合唱団がそれぞれオルガン席で聴いていただく座席表である。困難を極めたのが「水のいのち」合同配置図である。トップの永岡さん(1992年入団)が作成してくれた枠の中に約440名を収めなければならない。600人の大合唱団を女声の一部をステージ上に、残りをオルガン席に配置するのである。全体の合唱団の進行も頭に入れて作成しなければならない。第二部は最初が豊中混声(一部の団員が男声合同を歌うのでこの順序)、次が大久保混声、最後が男声合同。女声合同はオルガン席に座っている。9月5日から7日まで、結婚40周年記念の九州旅行に家内と出かける予定だったのだが、台風来襲のため飛行機欠航で中止になった。それで雨戸を閉めて座席表作成にいそしんだのである。西脇神父は「これこそ、恵みの雨です。田先生のお計らいです。」と喜んでいらしたが、こちらはそれどころではない。どうしたら皆さんに分かりやすく並んでいただけるか、苦労したのである。隣りでは、家内の和子が「そんなにきっちりやらなくても、最後はいい具合に収まるわよ。」と勝手なことを言いながら、本人も9月13日、万博EXPOドームで開催の「愛・地球の環音楽祭 第九演奏会」の合唱団員700名の座席割り表作成をしていた。一応、作成した後、各団に手書きの座席表を送り一週間かけて確認してもらったが、それでも間違いがあった。ようやく完成した座席表を永岡さんに送りパソコンで清書してもらった。金森君の電話は「それぞれ三種類の座席表をカラーコピーし、二種類の座席番号を人数分作成して合唱団それぞれの袋に分けて入れました。今日持ってゆきます。」という内容であった。一応、指示はしておいたが、これだけきちんとやってくれると心強い。合唱団のみなさんはこの座席番号を名札に張り、場所を確認する。(これがまた、私のミスでどんでん返しがあるのだが。)中嶌さんは、女声合同が5本、男声合同が7本、豊中・大久保案内用各2本、計14本のプラカードを積んできた。1列、2列・・・と表示してある。舞台に出る前の並び順を明示するためだ。中嶌さんが、三軒隣りの木工所に菓子折り持って相談しに行き、ベニヤで作った苦心の力作。他に、金森さんが「水のいのち」合同用に「水のいのち」と表示した張替え紙を用意するという周到さである。 12:00 中嶌さんが曽我さん(1996年入団)に電話する。「もう着くでよー。荷物がたくさんあるで、楽屋口まで取りにきてちょ。」私は曽我君の電話には怖くてでられない。この演奏会の出演合唱団は600人、オーケストラが81人、指揮など先生方とゲストが17人、総勢700人という大人数なので、合唱団員は大リハ、中リハを楽屋にして入ってもらわなければならない。申し訳ないがしかたがない。ご苦労をおかけした。曽我さんには1週間前の11日に図面を渡して、大リハーサル室と中リハーサル室に楽屋作りを頼んだ。彼は各団の人数とスペースを配慮し椅子と机を割り振って完璧な配置図をメールしてきた。南山大学管弦楽団と合唱団が、9時入りで練習することになっているので、多分苦労しているのだろう、と心配しているのだ。これが、上手くゆかないと後々きびしい。 12:10 会場のある芸文センターの楽屋口に着く。中嶌さんは、荷物を置いて車を駐車しに行く。おお、楽屋口に机をおいて受付けがあるではないか。名札もある。いよいよ、演奏会も始ったなあ、と感慨。ここまで、ようやく来た。曽我君がやってくる。「会長、あきまへんわ。大リハは、とても机が置けるような状態ではないです。"水のいのち"の合同が終わった19時半以降に作りますわ。それまで、中リハーサル室に臨時に作っておきます。」17時半からはコンサートホールが借りてある。楽屋が使えるようになる。中リハーサル室の控え室に入る。先生方の控え室を作らなければならない。もう一つの控え室には渡辺真理さんなど、オケのゲストが待機してみえる。大リハーサル室では、南山大学管弦楽団と南山学合唱団が「ミサ曲 1」の練習が小松先生の指揮で行われている。予定通りである。ここまでは、良い。大リハの控え室は、小松先生が一室と、もう一室は南山大学のスタッフが入っている。しょうがない。練習もあるし、4時間辛抱していただこう。 12:27 受付から電話がかかる。「吉田さんという方が見えています。」ステージ進行をお願いしている吉田敬一さんが見えたのだ。迎えにゆくと、聞きしに勝る巨漢である。早速、打ち合わせに入る。まず、演奏会の全体像、次に今日のリハーサルの進行である。「こりゃ、大変ですね。2時から中リハと大リハで同時にリハですか。」なんとかしのごうよ。 13:05 水貝さんが飛び込んでくる。「新居浜混声のみなさんは、ホテルへ入られました。これから、各団の到着状況を各ホテルへ行ってチェックしてきます。」飛び出して行く。水貝さんの作成した「各団別宿泊・行動表一覧」によると、新居浜混声は貸し切りバスで13:00到着になっている。水貝さんが万博で渋滞が予想されるから、早めに出発されるように助言したので、早朝、四国を出られたのであろう。無事に時間通り到着されてよかった。でも、さぞ、お疲れだろう。新居浜混声は、定期演奏会で須賀先生が指揮され、女声は「遥かな歩み」、男声「典礼聖歌」を演奏された。女声は大阪の合同練習に二度も新居浜から出て来られたという熱の入れようである。この演奏会にかける熱意に心打たれる。各ホテルへは東海メールの団員を団毎に配置してある。この会場まで案内して貰うためである。水貝さんは超多忙の業務の中、半年間各団のややこしい宿泊準備を完璧にやり遂げたのだ。でも、勝負はこれから。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第三回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 10月3日筆
9月17日
13:30 須賀先生、木島先生が入られる。須賀先生は相当、お疲れの様子だ。一昨日の15日に、名古屋の女声団体の指導をされて腕を痛められた。命を懸けた凄まじさに女声陣は合唱に対する真剣さを学んだようだ。これも今回の大事な意義である。中リハは、曽我君が臨時に机を並べ、そこに各団の表示がしてある。そこへ金森君が、各団別に人数分より少し多めの冊数プログラムと大事な「座席番号」を袋に入れ、団名を表示して置いた。ちゃんと届けばよいが。各女声合唱団の方が、にぎやかに嬉しく緊張して、中リハへ集まってこられる。先週の内に西脇さんにお願いして個人名表記の「名札」を各団代表宛に送っておいてもらったので、受付が無事に通過出来たのだ。受付で混乱しなくて良かった。これで明日、ぎりぎりに到着される豊中混声、大久保混声、京都男声も無事入れるだろう。 13:40 仙台から今井先生が到着されて入られた。中村先生もご一緒である。ホテル付きの澤田英一さん(1967年入団)、井部修さん(1970年入団)が案内してくれたのだ。皆さん、ご無事で時間前に入られた。ひと安心である。 13:50 中リハに女声合同練習用に椅子ならべの開始である。大体、並べておいたが、須賀先生のご指示でステージ通りに並べることになった。一列40人で5列である。が、どうしても入らない。よし、斜めに並べれば入るだろう。全員一度、立って出てもらう。吉田さんと曽我さん、野田美津枝さん、東海メールの団員、東海フィメールが大活躍である。1,2、3,4・・・と40まで数えて並べてゆく。分からんようになった。慌ててはいけない。もう一度、最初から。曽我君、もうまかせるわ。ようやく、並べられた。皆さんが座席番号に従って並び始める。やった。やった。これで座席番号がなければ、えらいことになるとこだった。でも、女声合同の方は、団別に固まっているので、まだ分かり易い。須賀先生とご相談して、関西勢と名古屋勢を一列毎に配列してある。効果が出ると良いが。衣装を着けてステージに並んだら綺麗だろうな。「隣りの人がいません。」今日はええのや。「今は、全部揃っていませんので、空けておいてください。」 13:55 中リハは、まかせておいて大リハの様子を見に行く。この後、東海メールの73人が大リハで「内なる遠さ」の練習を行うのだ。案の定、オケの打楽器が大分、はみだしている。場所を空けておいてくれるように頼んでおいたのに。オケの人を探して打楽器を中の方へ押し込んでもらう。中リハへとって返す。なんとか200人収まった。こちらはこれで良い。女声合同「遥かな歩み」、初の全員揃っての練習が始る。関西、四国、名古屋、埼玉と1年に渡って練習してきた成果が実る瞬間。感動である。須賀先生、感無量でしょう。名古屋市内で100人以上が入れてアクセスの良い練習場は音楽プラザの合奏場(名フィルの練習場)しかない。中嶌さんが須賀先生のスケジュールに合わせて、朝早く起き、抽選に打ち勝ち、曽我さんの協力も得て、確保してくれたおかげで、順調に練習が出来た。毎回の練習に出席簿を厚紙で作成して持参してくれた金森さん、椅子並べを奉仕し、立ち会ってくれた片山和弘さん(1975年入団)、森田良夫さん(1997年入団)にも感謝したい。思えば長い道のりだった。中部地区で「田音楽」に共感する女声合唱団を求めて2年。田音楽を長い間、熱心に指導してみえる矢野としゑ先生と親しいので、指導していらっしゃる「コール・フロイデ」をお願いした。コール・フロイデは定期演奏会を聞かせていただいているのでよく知っている。矢野先生が指導してらっしゃる、もう一つの「鷹来女声コーラス・エッレ」は合唱祭での演奏を聞かせていただいて決めた。「アトリエ」(須賀先生指揮)と「エッレ」は直前に長崎での「お母さんコーラス大会」に出場したという過密スケジュールだった。そして、「2000年ひたすら東京」も聴きに上京された熱心な田音楽ファンのグループ「原コール・フリンメル」、東海メール指揮者の鈴木順の奥さん、典子さんが指導している「刈谷女声コーラス」、原も刈谷も田音楽がレパートリーで「遥かな歩み」は歌った経験がある。松原先生が指導していらっしゃる国立音大卒業生が中心の「女声合唱団 クール・クレール」に、無理を承知で声をかけた。定期を控えてみえるので駄目かと思ったが、松原先生のご支援で加わっていただけた。それに、東海メールの奥様方の集まり「東海フィメールクワィアー」。田先生と親しくお付き合いさせていただき、東海メール同様、田いのちである。「東京ひたすら」にも参加した。昨年春、「クール・ピシェット」の寺尾さんから電話がかかってきた。「名古屋でひたすら、やるんですって。是非、歌わせてくださいよ。"東京ひたすら"に参加したメンバーからよりすぐって、名古屋へも練習に行きます。勿論、東京の練習も参加します。」熱心な勢いに打たれた。かくして総勢203名となった。みなさん、多忙なスケジュールである。良く集まってくださった。でも、絶対に参加した甲斐はありますからと口説いて。)さあ、いよいよ世紀の関西と名古屋の合同練習だ。 14:05 ああ、いかん。東海メールの練習時間に遅れた。今井先生を大リハへお連れする。オケの楽器で前がいっぱいだから、73人並ぶと勿論、椅子を並べる余裕もないし、ぎちぎちである。「先生、すみません。こんな状況です。」先生の上着を置く場所もないのだ。しかも団員は、90分間立って練習してもらわなければならない。その後も、「典礼聖歌合同」、「水のいのち」オケ合わせ合同、もう一度、「典礼聖歌」合同と東海メールだけは21時まで、それぞれ10分間の休憩をはさんで7時間つづく。今日は、過酷な状況になると予告しておいたのだが、これは辛い一日になりそうだ。みんな持つだろうか。今井先生には超多忙の中、5日間のべ19時間の練習に仙台から名古屋まで来ていただいた。その熱意に応えなければならない。がんばろう。(第4回につづく) |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第四回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 10月10日筆
9月17日
14:15 今井先生は、こんな状況にもかかわらず平然と熱の入った練習を続けられる。和音の展開を慎重に確認しながらの練習方法が実に効果的。中村先生もにこやかに応酬しながら、今井先生の意図に沿った音を紡ぎ出してゆかれる。なんとも見事なものである。田音楽が、この雑然と楽器が並んだリハーサル会場に醸し出される。みんなの集中力が高まる。お二人の力量が凄い。東海メールは今回も指導者に恵まれた。幸せである。 14:40 いつのまにか、全国から参集された男声合同の方が沢山このリハーサル室に入ってこられた。が椅子がない。申し訳ない。15時40分から典礼聖歌男声合同練習が中リハで始まるのだ。様子を見に廊下へ出る。朝早く出発された新居浜の男声の方が廊下で寝ておられる。休んでいただく部屋もないし、オケの学生たちで廊下はいっぱいである。 15:25 女声合同練習が終わる。皆さんには外に出ていただこう。美術館でも、町へでもお出かけください。17時の「水のいのち」合同まで時間がある。 15:33 3分遅れで今井先生、東海メールの練習が終わる。息つく暇も無く中リハで15時40分から、「典礼聖歌男声合同」の練習である。椅子についていただこう。女声は5列だが、男声は7列である。後の2列は立っていただかなくてはしょうがない。座席表を見ながら並び始められたが、混乱をきわめている。実は、男声は女声のように団毎に固まってなく、ばらばらであるからだ。もう時間がない。椅子なしで立って練習していただくことにする。和子が呼びにくる。「留奈子先生がお見えになって、あなたを探して見えたわよ。」ああ、いけねえ。留奈子先生は15時40分からの「五つの民俗旋律」の初演練習を聴くため、早目にお見えになる予定だったのを忘れていた。(留奈子先生には毎週、東海メール通信をお送りしているので、私たちよりスケジュールは良くご存知だ。)受付へ念を押すのをうっかりしていた。失礼はなかっただろうか。まさか、ホテルから歩いてみえたのではなかろうな。地下受付けまでの石段は歩きにくい。今回は三沢みよ子さんが同行してお世話されるので安心である。勿論、留奈子先生、三沢さんの名札も受付けに用意してある。廊下に飛び出すと、お見えになった。随分、嬉しそうである。「遂に実現ですね。」熱い握手を交わす。大リハまでお連れして、マイヤー先生のそばへ座っていただく。とって返して中リハへ。 15:45 並びの混乱で時間をとってしまった。ここからは時間との争いである。練習時間は16時50分までの1時間と5分。男声は変わり身が早い。もう臨戦態勢である。全国から参集された男声合唱団の強者揃い、豪華な顔ぶれである。北は八戸から、南は宮崎まで「田典礼聖歌」を「ひたすらないのち 愛知演奏会」で歌うために1年以上も各地で練習を重ね、4月の「典礼合宿」にも参加した、まことに奇跡の「田典礼合唱隊」が、今、ここに出現したのだ。須賀先生と木島先生をご紹介して、早速、典礼合同の練習に入る。史上初の典礼聖歌、約250名の大合唱が始まる。須賀先生のしなやかな田振りで「神を求めよ」の荘重な響きが湧き上がる。木島先生の「田いのち」眼の配りが凄い気迫である。「谷川の水を求めて」で東海メールの中嶌暁さんの詩篇歌唱が始まると、空気が変わる。淡々と歌うなかに「田音楽」が満ち満ちているのを、みなさんは感じられたのだ。ははあー、これなんだ。少しずつ何かが起こってくる。 16;15 休憩になる。須賀先生は各パートの音がなかなか一つにならないのを、心配してみえる。歌い方も今ひとつまとまらない。そりゃ、そうだ。典礼合宿で特訓を受けた127名の倍、270名がここにいるのだから、この細やかな内容の濃い、ただならぬ「田音楽」がそうは表出されないと思ったのだが。 16:30 休憩後、事態は一変した。須賀先生が神通力を発揮。みるみる内に「田典礼聖歌」に全員が迫ってゆくではないか。流石、一流合唱団員の集まり、1時間で「典礼聖歌」のなんたるかを掴みかけてきた。須賀先生も手応えを感じ始められたようだ。みんなの眼も輝いてくる。 16:52 中リハの「男声典礼聖歌」の練習は時間通りに終わった。大リハの様子を見に行く。こちらも終わっている。これから、この大リハーサル室にオケが90人の上に、合唱団400人が入らなければならない。「水のいのち」のオケ合わせが始まるのだ。大きな声でオケの方にお願いする。「これからここへ400人の合唱団が入ります。前へ詰めてください。」なかなか状況を把握していただけない。一人一人細かくお願いする。「すみません。ハープをもう少し前へ。」「すみません。チェレスタをこちら側へ詰めて。」「この楽器カバーを廊下へ出してください。」「打楽器を前へまとめて。」「この打楽器は"水のいのち"では使いませんよね。廊下へ出してください。」こらあかんわ。入らんぞ。小松先生にお願いに行く。「先生、合唱団400人はどうにも入らないようなのですが。」「どうしても、やるのだ。」小松先生は意気軒昂である。どないしたらええのや。無理やり入れても、ぎちぎちで、文句でるやろなあ。時間は迫る。400人の合唱団員は、廊下に溢れている。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第五回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 10月17日筆
9月17日
16:59 大リハーサル室へオケのほかに400人の合唱団員が果たして入るだろうか。考えていてもしょうがない。入ってもらおう。なんとかなるだろう。「どうぞ、女声からお入りください。ぐるっと、回りを囲んで詰めてください。もっと前へ詰めて。男声は後ろです。間をあけないで詰めてください。顔は前の人の間から出して。」と言ったものの小松先生の指揮は見えないかも知れない。なんとか入りそうだな。まだ、来てない人がいるらしい。留奈子先生が前へ行けず困ってみえる。みんな留奈子先生の顔知らないもんなあ。「空けてください。田留奈子先生が通られます。」ようやく前へたどりつく。小松先生が指揮台へ向かわれるのを確認して、中リハへ。17時30分から始まるコンサートホールでの、合唱台組みの打ち合わせをでしなければならない。今晩中に出来ないと明日のスケジュールが回らない。この合唱台組みが、上手くゆかなかったのだ。ああ。 17:05 西脇神父が呼びにくる。「都築先生、合同練習の司会やってくださいよ。みんな待ってます。」「純ちゃんが司会するはずだったでしょ。」「頼みますよ。」しょうがない。大リハへ飛び込む。5分も遅れている。大リハ内はぎちぎち一杯である。かきわけかきわけ前へ進む。急いだので上手から入ってしまった。みなさん、怖い顔して、お待ちである。マイクを下手からまわしてもらう。まず、挨拶から。「実行委員で東海メールの都築です。こんな狭い練習会場で申し訳ございません。このたびは遠方からこんなにたくさんお集まりいただきありがとうございます。田先生もさぞお喜びだと思います。いよいよ明日に迫りました。大成功の会になるようにご協力お願いします。まず、田留奈子先生にご挨拶お願いします。」留奈子先生のご挨拶は、感謝のお気持ちこもった立派なお言葉でみんなの心を打つ。この愛知演奏会をいかに大事に思ってらっしゃるか、また、お集まりくださった皆さんにいかに感謝しておられるか。この演奏会にかける留奈子先生の気迫が伝わった。企画意図も良く理解出来た。これだけの人数が一堂に会したことで、これは嘗て無いスケールの大きい大事な会であることを実感して、全員に緊張感が走る。つづいて、マイヤー先生にご挨拶いただく。マイヤー先生は予期せぬ指名にとまどってみえたが、「水のいのち」管弦楽編曲版編曲意図(同じ時期に作曲された「無声慟哭」のオーケストレーションを参考にされたことなど)を話された。合唱団全員が今回「水のいのち」を歌うに当たって、直接に編曲者マイヤー先生のお話を伺えたことは凄く参考になった。一気に気持ちが高まる。小松先生にマイクをお渡して、歴史的「水のいのち」管弦楽編曲版のオケと合唱合わせが始まる。 17:15 はじめて聞く響きに包まれる。今まで親しんできたピアノ伴奏版とは、大いに違うのだ。小松先生の懇切丁寧な熱の入ったご指導で、全国から参集された合同合唱の方は、この「水のいのち」管弦楽編曲版の響きと内容が良く理解出来て来たであろう。この「水のいのち」の初めての響きを聞けたことが、今回の「ひたすらないのち 愛知演奏会」に参加したことの一番の意義である。いくらお金を出してもこんな機会はない。全国にたくさんの「水のいのち」を何十回も歌って大ファンの方はたくさんお見えだろうが、こんな体験は、今日、この場にお集まりのみなさんだけだ。正に、孫の代に語り継がれる貴重体験である。しかも、留奈子先生のお話、編曲者マイヤーさんの解説付きで、この初演に命を賭けてみえる小松先生の指導を受けるのであるから、合唱冥利につきるというものだ。みなさん、オーケストラとの受け渡し、合唱の出入りなどの構成も含め、良く内容が理解出来たことだろう。明日の初演は、センセイショナルな成功になるだろうと確信。 17:25 もうじき、合唱台の搬入が始まる時間なので、受付へ急ぐ。 17:30 17時30分からはコンサートホール本体が借りてある。経費削減のため、夜間の部だけを借りることにしたのだ。だが、22時には完全に撤収しなければならぬ。時間はないぞ。搬入口からぞくぞくと合唱台が運び込まれて行く。思ったより大きく多い。最大男声合唱参加の270人をステージ上に乗せなければならないので大規模である。愛知県芸術劇場コンサートホールのステージではこれだけの規模は初めてということだ。この合唱台作成は太田建治さんという以前、仕事を一緒にしたこの道のベテランにお願いした。誠実に仕事をされる方なので安心だが、太田さんもこのような大人数が乗る合唱台は初めてだそうだ。こういう大規模演奏会では、まず信頼おけるその道のベテランスタッフを集めることが肝要である。今回はこれまでのコネクションをすべて生かして人選し、専門家をお願いした。太田さんには舞台設営・移動・撤去と合唱団進行統括である。オケのお世話とステージ進行は、セントラル愛知交響楽団ステマネの福田裕之さんと吉田敬一さん。各指揮者でそれぞれで違う指揮台の大きさ、譜面台の高さに対応すること。譜面台への楽譜出し入れも必要。ピアニスト毎で異なるピアノ椅子、ピアノ位置。細かい作業がたくさんある。リハーサル時間の厳守・進行も大事な仕事である。福田さんは、これが専門である。フロントの仕切りは音楽事務所「音楽企画ドルチェ」の上田真由美さん。彼女もこの道のベテランである。受け付け業務、チケット販売、場内外表示、場内係りへの指示、お客さんへの対応など任せておけば安心である。彼女にはもう一つ特技がある。それは「譜めくり」である。外国から演奏家が名古屋で演奏する場合、殆どのピアノ伴奏者から彼女が譜めくりを頼まれる。入り口の整理・並べと客入れ、場内整理指導には「エスカルゴ」の横地哲夫さんを頼んだ。彼とは古い付き合いで、数々の音楽関係イヴェントなどの警備を依頼していた。客入れ、聴衆整理、苦情処理などは専門である。特に今回は大事な会で、お客さまを上手く誘導して座席に空きがないように効率よくお座りいただかなければならない。特別招待席への誘導、対応もある。トラブルを避けるために、その道のプロをお願いした。この方々の経験が、物を言うのだ。これらの人選が、効果があった。やはり、有能なスタッフを揃え、きちんと準備すれば上手く行くのだ。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第六回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 10月24日筆
9月17日
17:35 セカンドの中嶌暁さん(1970年入団、谷川の詩篇歌唱者)、奥村祐一さん(1976年入団、セカンド・パートリーダー)、金森譲さん(1999年入団、今回のプログラム編集・印刷担当者)、トップの永岡衛さん(1992年入団、典礼聖歌楽譜浄書者、パートリーダー)、バリトンの井部修さん(1970年入団、一級建築士)、曽我雄司さん、東海メールのピアニストの津野有紀さんが、合唱台の搬入・設置が始まると同時にコンサートホールのオルガン席に上がってくる。これから、永岡さんが枠組みした配置図に私が書き入れた個人別の座席表に従い、金森さんが作成した番号札を床に貼り付ける作業を行うのだ。奥村さんは鹿島建設勤務でこのコンサートホールを作った(今まで全然知らなんだ。ホテル・トラスティを作ったのは知ってたけど)ので、ここの床に貼ってまたすぐはがせる素材のテープを持ってきてくれた。東海メールも各種職業の人がいるので便利である。「有紀ちゃん、あんたなんできたんや。忙しいやろ。」「話を聞いたら、大変な作業なので手伝うわ。」津野有紀さんは長い間、東海メールのリハーサル・ピアニストを勤めている。田先生の凄まじいレッスンも東海メールと共にしているし、田先生指揮、須賀先生の指揮による中村先生の譜めくり、木島先生のアシストを十数年に亘って経験している。田音楽を身を持って熟知している貴重な存在である。こうして、この大変な作業に進んで加わるのも、今回の田音楽重要音楽会の価値を良く認識しているからだ。この作業がうまくゆかないと、「水のいのち」の管弦楽版の初演も上手くゆかないし、全体進行もスムースに行かなくなる。なにしろ700人の出演者である。準備万端整わなければならない。こういう地道な作業こそが成功の鍵なのだ。それが分かっているから皆んな必死である。今回の「水のいのち」合同合唱出演者は、全部で615人。ステージ上にはオーケストの91名が乗るので、合唱は160人が限度とはじいた。合唱団別に固まることを考慮しステージに乗るのは、157人にしたので、オルガン席の番号札は458人分である。番号札貼り作業は7人いるから、一人が、約65人分貼ることになる。正確に貼らねばならぬので大変な作業である。座席の間に台を置き腰かけるようになっていて、一部を除き、全員座れるように座席表を作成した。第三部で「水のいのち」が始まるまで合唱団員は座ってオケの演奏を聴いてもらえるはずだったのだが。ここで、なんとドンデン返し。奥村さんが声を上げる。「会長、こりゃ座れませんで。」「ななんでや、わしゃ。徹夜して座席表作ったんやで。」「座れんものは、座れんわ。」良く見ると、なるほど。原因は分かった。コンサートホールのオルガン席合唱用資料の表示の読み違えで座席間の台座席数が重複し8人分多いのが3列ある。一列にもう8人は入れなければならない。奥村さんがすぐ、巻尺(もってくるところが凄いねえ。)で計り計算。「一人分47センチで貼りましょう。これでいけるはずです。」いけるもいけないも、しょうがない。もう、座席表は全団に行き渡り、個人に座席番号が渡してあるのだから。全員、床に膝をついて、狭い空間で身体を曲げながらの辛い作業が始まる。冷房が入ってないので、汗まみれになる。バリトンの度会光広さん(1994年入団、パートリーダー)が加わる。午後の14時から、練習を始め休みなしで4時間。その後、この辛い作業を文句もいわずしているのだから凄い連中である。暁ちゃんも明日は「谷川」の詩篇歌唱もあるし、有紀ちゃんは「内なる遠さ」と「イザヤの預言」で中村先生の譜めくりの上に、「典礼聖歌」木島先生のオルガンアシストという気力と体力を要する大事なステージがあるのに。 18:05 コンサートホールの楽屋表示作業を確認に行く。今回は人数が多いのでぎりぎり詰め込みである。楽器があるので、オーケストラの方をコンサートホール楽屋に入ってもらった。そのため合唱団の大半はリハーサル室に入ってもらう。食事も着替えも大部屋でお願いせねばならぬ。曽我さんが頭をしぼった配置で多少は使い易いと思うが、申し訳ない。録音機材の搬入が始まっている。担当の尾嶋さんは私の中部日本放送テレビ制作時代に一緒に仕事した仲で気心が知れている。9月11日のオケ合わせに立会ってもらい、スコアも渡したので大体の音像は掴んで見えるだろう。大体、スコアの読める録音技師も中々いないのだ。続いてコンサートホールの田先生の展示物設置作業を見に行く。手書き楽譜などを展示する。佐藤三絵さんが描かれたれたチラシ、プログラム表紙の原画が展示されるのも楽しみである。 (第七回につづく) |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第七回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 11月1日筆
9月17日
18:15 中嶌暁さん、奥村祐一さん、金森譲さん、永岡衛さん、井部修さん、曽我雄司さん、津野有紀さんに、コンサートの座席表番号札を床に貼り付ける作業を任せて、大リハーサル室の「水のいのち」のオケ合わせの様子を伺いに行く。物凄い熱気の真剣勝負である。さぞかし皆さんはびっくりされたであろう。普段の合唱練習にはない厳しい雰囲気である。 18:25 中リハーサル室へ入ると、和子が「ドルチェの上田さんがさがしていたわよ。」おお、上チャンは18時頃打ち合わせにくる筈だったのだ。コンサートホールへまた戻る。入れ違いなったらしい。コンサートホールの楽屋前で出会う。一緒に会場内の点検に回る。まず、正面受付から見よう。受付と当日券売り場の大体の配置を決める。次に5階の展示作業の確認。西脇純ちゃんのお兄さんの担当である。今回は田先生の資料を展示するパネルの位置決め。次ぎに客席内へ。特別招待席の表示を分かりやすくした。スティールカメラ席とビデオカメラ席の配置表示を確認する。まだまだ、ステージの合唱台作りはなかなか進んでいない。神経衰弱ゲームか、ジグソーパズルの様相を呈してきた。どの台をどこへ組むのか、設計図を見ながらの作業なのだ。コンサートホールで初めてのケースであるから手探りだ。間違って組むとやり直しに大変時間がかかる。同時に録音機材設置も始まっている。残り時間は、後、3時間35分。22時前に出ないと超過料金を取られる。オルガン席の座席表番号札貼りも必死である。早く、「水のいのち」の合同練習にも出たいし、その後、「典礼聖歌」の再度の男声合同練習も、あるのだ。 18:50 上田さんと中リハ前室へ戻る。これから、当日券の対応についての協議をしなければならない。西脇さん、上田さん、吉田敬一さんに、私と和子のメンバーで会議である。今回の「ひたすら愛知」のチケットは、1800枚印刷した。現在、90枚程度のチケットが、事務局に残っている。つまり1710枚が出ていることになる。コンサートホールの収容人員は1800人だが、オルガン席は合唱団員が歌うために約370席必要なので、残りは1530席、特別招待席などに60席とるので、使えるのは約1470席である。入りを90パーセントで計算すると1539席。前人気の具合、3000円という料金を考えると、こりゃもう、当日券は出せないというのが私の意見だが、西脇さんが当日券は若干ありますと、問い合わせ電話に応えたということで発売せねばならぬ。発売時間は12時と告知したので、とりあえずその時間には発売しなければならない。開場予定が、14時30分なので、もっとゆっくりしたかったのだが、そうもゆかない。まず、当日券を売るか売らないかを討議する。売ると言ってしまった以上、売らなければならない。最低限で10枚売ることに決める。売り出し時間だが、上田さんの意見で12時になったら13時から売ります、という表示にすることする。そして13時に10枚売り、後は様子見にしょうということにする。万が一、入場をお断りすることも考え、払い戻し金とお詫びの印に、この「ひたすら愛知演奏会のCDをお送りします」告知して、住所氏名を書いていただく用紙を準備することにする。これだけ対応措置をとれば大丈夫だろう。西脇さんは警備の横地さんに相談したら、「どんな苦情も対処します。」と明言され安心したらしい。 19:10 木島先生がこの中リハ前室に入って見える。「この後、コンサートホールのオルガンで男声合同、典礼聖歌の練習は出来るのでしょうね。」実は、最初の計画では、「水のいのち」合同リハーサル終了後、コンサートホールのステージ上で「典礼合同」のオルガン合わせを行う予定だった。昨日、どうも合唱台組みが22時までかかりそうなことが分かったので、オルガン席に合唱は上がり、須賀先生は客席で指揮してもらおうと思ったのだが、とてもそういう状態ではない。「木島先生、すみません。とてもオルガン付きの練習が行える状態ではないです。ステージをご覧になってください。」オルガニストにとっては一大事である。木島先生はステージとオルガン席を見に行かれてびっくりされたらしい。ステージ上は、台がいっぱいで足の踏み場もないし、オルガン席はメールの団員と有紀ちゃんが座席番号札貼りを汗を拭き拭き、はいつくばってやっているのだから。曽我君に中リハを「典礼合同練習用」に整備してもらうように頼む。 19:20 大リハから、酸欠と疲れで合唱団の人々が、次々中リハに逃れてくる。狭いとことに立って二時間休みなしでは大変だ。「水のいのち」の合同は、19時20分で終わるはずなのに、まだ、終わらない。もう、限度なのだが。座席番号札貼り部隊が帰ってくる。「なんとか終りましたわ。」「まだ合同オケ合わせはやっとるで、行ってよ。」「えー。まだやってるんですか。」大リハに入ると、熱気をはらんだ風。小松先生の疲れを知らぬ叱声が駆け巡る。こりゃ凄い練習だ。明日は良い結果が期待できるが、疲れるなあ。 19:42 ようやく、小松先生の「水のいのち」と「平和の祈り」のオケ合わせ合同練習が終わる。女声の方はこれで解散である。お疲れさまでした。皆さん、お疲れの様子だが、顔は充実感に満ちている。いよいよ、明日は「水のいのち」管弦楽版の初演である。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第八回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 11月7日筆
9月17日
19:45 小松先生の「水のいのち」と「平和の祈り」のオケ合わせ合同練習は終わったが、男声の方はこれから「典礼聖歌合同」の練習である。この「男声典礼聖歌合同」の練習に関しては二転三転した。まず、17日のスケジュールが中々決められなかった。一番最初の計画は、前日は予算がないので大リハでのリハだけの予定だった。でも、前日にステージでリハをした方が良い。ところが、どんどん「水のいのち」の合同人数が増えていって、とてもステージには乗らない。午後からコンサートホール自体を借りると膨大なお金がかかる。なら、夜間の部17時30分からだけ借りてステージを組もう。その後で、合同を練習しよう。考えは甘かった。専門家の太田さんに相談すると、そりゃ無理。通常のオケを乗せるとどう見ても150人だという返事が返ってきた。さて、編曲が出来上がりオケの編成をみると、エーツ、ハープが二台に、打楽器はテインパニ、大太鼓、シロホン他、場所を、とるものばかり。その上、小松先生は600人の合唱対抗するために弦を増強すると、おしゃっているということである。張り出しステージを作らないと合唱は150人乗らないぞ、との太田さんのご宣託。張り出しステージ作りは金と時間がかかる。600人の合唱にこのオケ編成では上演不可能だと思われた。まず、南山オケになんとか、オケ配置を工夫して張り出しなしで200人合唱を乗せるように頼んだ。(不可能だと思われ事は最後には実現出来たのだ。)その上、大久保と豊中は当日参加になったのでますます、前日に一度ステージ上で位置を決めておきたい。開演時間は15時に決まっているので、当日のスケジュールに限りがある。当日、「水のいのち」の並びと合同に時間を2時間はとりたい。そうすると「男声典礼聖歌」のオルガン合わせは前日にしておかねばならぬ。ということになる。ところがそうは問屋がおろさない。ステージを見に行くと、まだ合唱台の山である。設計図をにらんでの打ち合わせで一向に進む気配もない。どうなるのだ。 20:00 男声の方に再度、中リハーサル室にお集まりいただいて、「男声合同典礼聖歌」の二回目のリハーサルである。須賀先生のなんという精神力、木島先生の気迫。衰えることがない。田先生、乗り移りである。これに応える全国から参集した男声陣の気力、熱意も凄い。そりゃそうだ。みんな「田典礼聖歌」を歌いたいがために集まってきているのだ。好きな歌を歌いに来ているのだ。「男らが 熱き血潮の 田節」(義高)。である。 21:10 須賀先生の顔に笑みがこぼれる。後半、30分の完成度は凄かった。血潮が通ってきたのである。流石、全国よりすぐりの合唱人。掴めば早い。田音楽に肉薄してくる。須賀先生も満足のご様子。明日は最大規模の「男声典礼聖歌」の初演奏。「田男声典礼聖歌」の将来を賭けた闘いになる。今日は解散。だが、男達には名古屋の夜はまだ、早い。手羽先、どて味噌、エビフリャー、天むす、名古屋コーチンが待っている。 21:15 コンサートホールのステージに上がってゆくと、まだ舞台作りは終っていない。えーつ。 こりゃ、どうなるの。明日は、時間通り開演できるのだろうか。じたばたしてもしょうがない。吉田さんに22時までには何がなんでも撤収してね。と頼んで、和子とホテルへ。重い心と不安を抱えて向かう。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第九回
"いよいよ本番!"
東海メールクワィアー 会長 都築義高 11月14日筆
9月18日
8:45 会場、芸文センターの楽屋口に家内の和子と到着。会場へは9時丁度にしか入れない。舞台作りの太田さん、進行の福田さんの昨日17日は万博のオペラの仕事で来られなかった重要人物二人が揃ったので安心。曽我君以下の、東海メール実動部隊、南山大学の西脇さん以下お手伝い方もいる。朝早くからご苦労さんである。特に東海メールの連中はこれから「内なる遠さ」「典礼聖歌」「水のいのち」の3ステージ分のリハと本番を歌い、その上、お出で頂いた合唱団のお世話、楽屋準備、かたずけと20時まで働くのである。曽我さんに大リハと中リハの楽屋作りを確認。昨夜の練習後に作成し準備は終わっているとのこと。西脇さんに楽屋口の受付の準備確認。各合唱団を案内して東海メールの連中が続々入ってくる。ホテルへお迎えに行ってお連れしたのだ。9時10分にはステージ裏へ集合を頼んでおく。狭い楽屋口付近と前室は一杯になる。合唱台組みはどうなったかな。心配。 9:00 さあ、入り口が開いた。最初にエレベーターに乗り、ステージに駆け込む。ああー、なんたることだ。まだ、合唱台が組めていない。この後、9時10分から南山大学合唱団の場踏みから始まり、びっしりと分刻みのスケジュールが詰まっている。太田さんが来て「大丈夫ですよ。10分でやりますわ。」本当かいな。まず、楽屋の確認を和子に頼む。地下リハーサル室から男声合同のステージ裏への移動開始を連絡。東海フィメールの高木ひろ子さんに「大久保混声」の、清水美代子さんに「豊中混声」のプラカードを持っての出迎えとホールまでの誘導を頼む。今回は東海メールの奥様方もフル活動である。京都男声の三宅さんが入ってくる。「早く着いたねー。」「渋滞が心配で早く出てきました。」三宅さんは東海メールのOBで今回の典礼聖歌を東海メールと一緒に歌うことは念願だったのだ。大久保混声と豊中混声と京都男声は今日の入りである。普通、ゲネプロは最後のものから始める。それは、最初のステージをゲネプロの最後にすれば、そのままの状態で開演出来るのだが、今回は大久保と豊中が当日入りなので、なるべく遅くしたかったのだ。東京から来るには、ぎりぎり10時20分入りが限度だと思い、変則的だが真ん中に「水のいのち」合同をはさむ形にした。オケの出入りで時間をとられるが仕方ない。ということもあり、昨日中に合唱台を組んで欲しかったのだが。全員参加の合同練習は2時間は、どうしても確保したい。全員揃うのは今日しかないし、合唱団員の並びに時間がかかる。そのために各自の座席指定番号まで作成したのだから。調律師さんが楽器庫で調律を始める。 9:20 合唱台が組めた。と知らせが福田さんから入る。やった。ステージに、南山大学合唱団が合唱台に乗って各自の歌う位置を確かめている。なにしろ出入りの時間を短縮したいので、事前の位置確認が大事である。福田さんが指揮の上田正文さんと打ち合わせし指揮台の有無と譜面台の高さを確認しメモしている。ステージマネジャーはこれが大切な仕事である。同時にステージにオルガンのコンソールを出してくるよう頼む。吉田文さんがオルガンの音合わせを始める。「水のいのち」の管弦楽編曲版ではパイプオルガンを使うのだ。 9:25 舞台裏に「典礼聖歌男声合同」の出演者が集まってくる。懐かしい顔が揃う。これからステージで全員揃った練習である。皆さん、緊張気味だが嬉しそうである。これから一つの合唱団になるのだ。中嶌さん作成のプラカードの出番である。男声合同は270人。40人が一列で7列である。1から7までを表示したプラカードを40番の番号札の人に持ってもらう。その後に39名が並ぶわけであるが、なかなか揃わない。混乱の限りである。なにしろ、この舞台裏には270人が並べないのだ。よし、見切り発車である。出してしまおう。時間がない。出てしまえば、南山大学合唱団も出てくれるだろう。 9:38 南山大学合唱団の場踏みを終わってもらう。でも、なんとか8分押しだ。奇跡的危機回復である。須賀先生になんとか10時15分までに上げてもらうように頼む。7列目から、プラカードを持って男声合同の入場が始まる。木島先生とアシスタントの津野さんはオルガンのコンソールにしがみつき必死である。「典礼聖歌」の全7曲のレジストをすぐに仕上げなければならない。全員入場に3分30秒。これは良い調子だ。間髪入れず「典礼聖歌」の練習に入る。「神を求めよ」からである。オルガンの前奏が聞こえない。本番はお客さんが入るからもっと音は吸われるだろう。しばらく調整がつづく。鈴木順ちゃんと高木さんが客席でオルガンとのバランスを聞いている。大体、270人の男声典礼聖歌なんて誰も聴いたことがないのだから、どんな響きになっているのだろう。なかなか、入りが揃わない。1列目と7列目で時差が生じているのだ。多分、全体の響きも掴めないのだろう。「天は神の栄光を語り」の詩篇歌唱は東海メールのセカンドテノールのパートソロであるがなかなか揃わない。なにしろ270名の中の18名だ。このホールでは何十年も歌っているが、こんな経験はない。「谷川」の詩篇歌唱は中嶌さん。朗々と響きわたる。「おお 神の富」のユニゾンで俄然、全員、生き生きしてくる。まとまってくる。ホール全体が揺れているようだ。喜んでいるようだ。これは何事か凄いことが起こりそうだ。 10:05 大久保混声の皆さんが客席に入ってくる。豊中混声も入ってくる。おお、早く到着されたのだ。高木さん、清水さんのプラカード表示と直接会場に上がってもらう経路指示が効を奏したのだ。すぐにオルガン席に上がってもらうように指示する。両合唱団とも立ち位置指定表が送ってあるから各自に徹底してあるだろう。非常階段を空けてもらって、非常階段を空けてもらって、オルガン席に立つ人を舞台裏に整列してもらいオルガン席へ入ってもらうのだ。永岡さんと金森君が作成し、奥村さん達が貼り付けた座席番号札が役に立つはずだが。 10:18 流石、須賀先生「典礼聖歌男声合同」は時間通りに終わる。さあ、これからが恐怖である。まず、270人が乗っていた合唱台の前2列を撤去する。そして、そこへ「水のいのち」管弦編曲版の編成オケを設置するのである。最初の段階では、張り出し舞台を作る話も出たほどだ。これが入らないとこの演奏会は開催出来ない。果たして、南山大学のオケは無事入るのだろうか。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第十回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 11月21日筆
9月18日
10:20 合唱台の前2列撤去がはじまる。今のところスケジュールは10分押しだ。撤去が終わるとオケ用の椅子を並べる。福田、吉田両ステマネの腕の見せ所である。楽器配置図を見ながら上手いものである。南山大のオケが楽器を持って入ってゆく。おお、段々収まってゆくではないか。流石、太田さんの設計図も凄いものだが、南山大学のオケ担当者も良く工夫してくれた。優秀である。やはりステージに乗る合唱団の人数を200人に絞ったのも成功した。といってもオルガン席も400人がぎりぎりだもんね。同時に非常階段を空けてもらってオルガン席へ合唱団員400名に順番通に上がってもらう。こちらもスムースに位置について行く。座席指定券の効果である。主催者控え室にいる和子のところに地下受付からひっきりなしに電話がかかる。遅れてきた各合唱団員が続々到着しているのだ。当該団担当者を探して連絡しても「地下へ行く道が分かりません。」ああ、そうだ。当日着の団員はホール表から直接入ってもらったのだ。しかたがないので、いちいち和子が迎えに行って連れてくる。もうひとつ、事務局の西脇神父を探している人も多い。和子も、しびれをきらして西脇神父に「純ちゃん。なにしにどこへ行くのか言ってから行ってよ。」となる。「これから、ボールペンを持って右へ行きます。」てな問答が何度もくりかえされたらしい。私を探す人も多いので5分に一度くらいは控え室に戻ることにした。 10:35 時間通り、「水のいのち」の練習が始まる。全員揃ってのリハーサルは始めて。客席へ回ってみると、壮観、壮観。写真でお分かりのように正面から見るとステージからオルガン席、両横、右左の客席まで一杯の合唱団員で溢れている。凄い重量感に打たれる。オケも入れて約700人。良く集まったものだ。「平和の祈り」から始まる。中々コーラス全体が揃ってこない。タイムラグが相当あるのだ。小松先生が音を聞かないで指揮に合わせるように再三のご注意。段々合ってくる。流石、一流合唱団の集まりである。いよいよ、「水のいのち」、第一曲「雨」が場内一杯に響き渡る。なんという荘厳な音であろう。やっと、実現したのだ。しかしコーラスとオケの響きが中々に一体とならない。ホールになじまないのだ。そりゃそうだ。この愛知県芸術劇場コンサートホールは、東海メールの田先生、須賀先生の指揮による田作品の演奏は何度も聞いていて、田音楽は身に沁みている筈だが、今回は様子が違う。なにしろ「水のいのち」の管弦楽伴奏版である。でも、徐徐にホールも始めての響きに心を開いてきた。段々に合唱とオケが鳴り出す。堂を満たしてくるのだ。ホールに認められたのである。これは素晴らしい演奏になるに違いない。小松先生の厳しいチェックがつづく。オケとのバランス、出始め、終りの切り方。なにしろ初演である。小松先生の意気込みが凄く、それに応える大合唱団の集中力と情熱が吹き出てくる。なにしろ田音楽に命を賭ける600人である。ただの集まりではない。圧倒的迫力で歌いまくる姿に、思わず涙が溢れる。 12:40 夢のような感激のうちに、あっという間に2時間が経つ。出入りの確認をして合同は終わる。オケにハケてもらい楽器と椅子を撤去。合唱台の前二段をつける。女声合同200名の方に5列に舞台裏で並んでもらう。福田さん、吉田さん、太田チームも舞台転換で忙しく手が回らない。東海メールの奥様たち、東海フィメールの方々、鈴木典子さん、野田美津枝さん、高木ひろみさん、清水美代子さんがプラカードを持って先導する大活躍である。みなさんは番号札を見て位置確認をする。これが決まらないと進行できない。舞台へ出るのを見届けて、楽屋に戻ってみると、妙齢の美女が大きな荷物を持ってうろうろしている。なんと、今回の演奏会のチラシとプログラム表紙の原画作者、佐藤三絵さんだ。ロビーに展示する原画を持ってみえたのだ。ロビーへご案内する。場所は分かったが、絵を吊るものがない。栄地下街の画材屋をお教えする。「ああ、そこなら知っています。」とご一緒の旦那さん。名古屋出身の方でドイツで知り合われて結婚されたそうだ。佐藤三絵さんの原画は吉田文さんに紹介していただいた。文(あや)ちゃんは現在ケルン在住で、チラシのデザインを検討していた時、友達の佐藤さんの絵の中に「水のいのち」のイメージにピッタリの絵があるわよ。と佐藤さんのホームページを教えてもらった。早速、検索してイメージ通りの画が二つあった。そのうちのおとなしい方が今回、使わせていただいたものである。もう一つ、私が気にいったのは「情念の炎」のような感じの絵で、チラシは二種類作る予定だったが、経費の都合で今回のものになった。佐藤さんの原画は、ご案内しただけで遂に見られなかったのは残念。和子と原画を買わせていただければ良かったね。と話合ったのだが、後の祭りである。 12:50 「遥かな歩み」の練習に入る。200人の女声が一つの魂を共有する得難い瞬間である。世の中にこんなことが存在するのであろうか。須賀先生の田音楽をいつくしむ気持ちが、内部から200人の女声を揺り動かし、それぞれの感情をひとつの響きに昇華し、古代からの日本女性に先祖返りさせるのだ。そこ現出したのは、古代からの現代までのあるべき姿、理想の憧れの日本女性像であった。田音楽を会得した須賀魔術である。まあ、凄いことがこの演奏会では起きる。でも、これは偶然ではない。半年以上にわたる長い須賀先生の地道な練習の成果があってのことである。女声全員合同練習は昨日の2時間のみであるが、これだけの演奏が出来るのは、なにか不思議なことが起きているのに違いない。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第十一回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 11月28日筆
9月18日
13:27 女声合同に入れ替わって、東海メールクワィアーの練習である。今井邦男先生とは初顔合わせ。田先生に永年師事された魂の通ったご指導に一同、すぐ一体となる。ほのぼのとして暖かいお人柄に全員限りない親しみも持って接することが出来る。東海メールの連中は連日の労働疲労もものともせず、今井先生に身も心もゆだねる。ああ、田音楽にひたれる大いなる喜びよ。あれ、もう時間だ!東海メールはこのホールは慣れているので短時間で良いと思ったが、合唱台が普段より奥まっているので、響かせ方を考えねばならぬ。聴衆が入ればなおさら響きは吸われる。調整している時間はない。10分押しである。 13:51 いれ替わって、豊中混声がステージに上がってくる。西岡先生にすみません。押してますので、14時10分には空けてください、とお願いする。豊中も大久保もこのコンサートホールは始めてなのでなるべく時間をあげたいのだが、14時30分にはなにがなんでも開場しなければならない。楽屋へ戻る。食事と着替えをしたい。今回の昼食は先生方も、合唱団もお手伝いの方もすべて同じ、名古屋名物「天むす」である。なにしろ800個であるから3カ月前から水貝さんが、名古屋で一番美味な「千寿」に予約しておいてくれた。この「天むす」を温かみが残るうちに短時間で各楽屋へ届ける。搬入の時間から届ける順番と正確さ。水貝さんの神業である。フロント担当の上田さんがやってくる。チケットの当日券用手持ちはもうないですか。今の様子だとまだ入りそうなので、もっと売りたいのだが。我々はチケットがたくさん出ているので、売れすぎだと思って持ってこなかったのだ。そうか、お客さんは意外と集っていないのだ。もっと売れたのか。がっかり。主催者楽屋に西脇さんが、合唱団などで気分が悪くなる人や不慮の事故に備えて、看護士の荒井みえ子をお願いしてあった。誰も倒れる人がいないので荒井さんは手持ち無沙汰らしい。血圧を計ってもらうことにする。まず、水貝さんが計ってもらうと、なんと本人もびっくりするほどの高血圧である。やめておけば良かった。これでまた血圧が上がる。私も計ってもらったが、勿論、普段よりも高い。といっても仕事はやらねばならぬ。その時、主催者控え室に中世古俊一さんが「薄茶立てセット」を持って入ってくる。典礼合宿で絶賛された「薄茶」を提供しようとういうことである。ありがたい。こちらはくたくたである。身体もそうだが、神経の使い過ぎだ。早速いただく。ほっとするなあ。中世古さんの心ずかいに身体も気持ちもほぐれる。血圧もこれで下がるだろう。写真の中川さんが入ってくる。カメラ席は確保しておいた。「水のいのち」でオルガン席から客席の一部まで合唱団が立つことを説明する。ベテランの中川さんでも、これだけの規模は初めてとのこと。 14:05 表へ様子を見に行く。おお、2階の大ホール前からホール入口まで整然と聴衆が並んでいる。流石、エスカルゴ横地さんのプロの技量である。これなら事故はないだろう。受付も完璧の手配。フロント・マネージャー、上田さんの手腕。やはり、プロを頼んでおいて良かった。14時15分に時間通りロビー開場出来るだろう。田先生の自筆楽譜、佐藤三絵さんの原画などゆっくり見て欲しいのだ。 14:25 男声合同出演者に地下リハーサル楽屋から上がってもらう。オルガン席で第一部を聴いてもらうのだ。続いて南山大学合唱団が舞台裏のホワイエ集まってくる。みるみるうちに人で埋まってくる。まず、男声にオルガン席に上がってもらう。非常階段が使えないのに、愕然。ホールの人に聞くと開場してからは非常階段が使えないとのこと。早く、言ってよ。時間がない。真ん中のらせん階段で上がってもらう。やれやれ。主催者控え室にいる和子のところに、いろいろな人からひっきりなしに電話がかかる。開場したので、同時にいろんなことが発生しているのだ。こちらは、タイムスケジュールに従って、出演者の準備状態の確認で大童である。まず、男声をオルガン席へ。続いて、吉田文ちゃんをオルガン後ろにスタンバイしてもらう。オルガンへは椅子を跨いでいかなければならない。大丈夫だろうか。文ちゃんにとって、このホールは故郷である。オープン以来の本拠で皇太子殿下にもご披露した。南山大学合唱団をステージ裏、下手の一番前へ移動してもらう。その後へ、プラカードを持って、女声合同が5列に並んでもらうのだ。緊張が高まってくる。 14:35 お客さまが、わーっとホールに満ちてくる。特別指定席には留奈子先生、江里さん、トーマス先生、マルクス学長、加藤信朗ご夫妻、北村佳代子さん、釜石から菊池さんなど田音楽継承者と音楽界の重鎮が勢ぞろいである。 14:55 いよいよ、後5分で世紀の田音楽の祭典が始まる。「後、5分で開演でございます。ロビーのお客様はお席におつきください。」舞台裏がシーンなる。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第十二回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 12月5日筆
9月18日
14:45 オルガン席に座られる男声合同もみなさんが緊張の面持ちで上がってゆかれる。オルガン席に座って演奏を聞きながら聴衆から見られるというのも始めての経験であろう。 14:58 スーテージ・マネージャー福田さんに指示して南山大学合唱団にステージに出てもらう。15時丁度には演奏開始にしたい。万雷の拍手である。いよいよ開幕だ。 15:00 丁度に第一部の第一ステージ、南山大学合唱団の「平和のための祈り」が始まる。時間通り、事故もなく開始できた。よく間に合ったものだ。今朝はどうなるかと思ったのだが。西脇純ちゃんが南山大学へ企画を出し採用されてから3年の準備期間、西脇純ちゃんのたゆまぬ情熱と辛抱強い努力で実現出来た。彼がここまで力が続いたのに感心。勿論、南山大学のご協力がなかったらこの演奏会は、実現出来なかった。田留奈子先生の暖かい強力なご支援が心強かった。私は留奈子の嬉しいお顔を見たいがために、この会を開いたようなものだ。須賀先生のお人柄と音楽的識見の偉大さと田先生に対する今も変わらぬ尊敬の念に打たれた。結局、西脇純ちゃん、留奈子先生、須賀先生の三者と私とのチームワークの良さと南山大学のご協力が、この演奏会の実現に至る全てであった。それにしても関係者、参加者全員の田音楽への情熱、思慕の念が強いのには改めて驚嘆。参加合唱団には紆余曲折があった。2003年8月6日の私案の参加合唱団候補には、中部圏で考えていたので、辻正之先生の静岡合唱団の名前や三重県の有力団体の名も挙がっていた。辻先生がお亡くなりになり、三重の団体にはコンクールを理由に断られた。ということで、巾を広げ高名な田音楽演奏団体に声をかけた。豊中混声合唱団は森隆哉さん、大久保混声合唱団は箕島晋さんの献身的努力で全日本合唱コンクール出場への準備で忙しいにもかかわらず出演してくれた。名古屋で始めての日本を代表する二大混声合唱団の演奏が、次代を担う若い指揮者で聴けるという得難い機会となった。女声合同合唱は須賀先生が手塩にかけられた「アトリエ」と「ヴェルフィーヌ」の関西勢に、須賀先生の故郷、新居浜混声の新鋭女声部が中心となる。私は名古屋に是非、女声の田音楽伝統を伝えたかった。須賀先生の田先生直伝の指導を是非、受けて欲しい。そこで色々な女声合唱団を調査し愛知県合唱祭も2003年、2004年聞きにいった。ところが田音楽に真剣に取り組んでいる合唱団は中々見つからないのだ。結局、私が日頃親しくして信頼している人々の集まりとなった。田音楽は誠意である。今回ほど、そのことを感じたことはなかった。関西、新居浜、埼玉に名古屋の六団体が加わり、200名の誠意溢れる田女声合唱団が具体化し出現した。 15:01 舞台裏が戦場と化す。東海フィメールの鈴木典子さん(東海メール副会長で指揮者の鈴木順夫人。刈谷女声指揮者。)、野田美津枝さんがプラカードを持って先導し女声合同合唱団を整列させ始める。中々全員が揃わないのだ。2分を要して、ようやく治まる。須賀先生の奥様、美和さん、我等が東海メール客演常任指揮者、松原先生の奥様、美保さんも参加されている。お二人と熱い握手。美保さんは東京荒川少年少女合唱隊のご出身で、田先生の薫陶を受けられている。本当に我々は赤い糸で結ばれているのだ。埼玉のクール・ピシェット、寺尾妙子さんと4人の仲間が「今回、参加させていただいてありがとうございます。」と挨拶に見える。寺尾さんたちは2000年の「ひたすら東京」で歌った感激が忘れられず、「ひたすら仙台」にも参加。今回は5人の精選メンバーで是非、歌わせて欲しいと留奈子先生にもお願いして参加された。勿論、女声合同の名古屋練習にも出席。「水のいのち」の小松先生の名古屋合同練習に参加した帰りには、台風のため新幹線動かず、名古屋に一泊。万博期間中でホテルがとれず苦労したそうだ。埼玉から通うのは大変なご苦労だったろう。全ては田音楽への情熱である。「こうして、この演奏会で歌えるなんて夢のようです。本当にありがとうございます。」この演奏会が実現すると分かった1年前から、たくさんの人から参加申し込みがあったが全て断った。大事な大事な、ようやく実現出来た宝石のようなコンサートである。今更、結束を乱されたくはなかった。東海フィメールの清水美代子さんが泣きそうな感激の面持ちで挨拶に来た。「会長、今日はこのステージに立てて、とても嬉しいです。」美代子さんが感激されているには訳がある。美代子さんは東海メールの重要メンバー、バスの清水一郎さん(1985年入団。名工大合唱団を再生した功労者。)夫人で、二児の子育てに多忙の母である。前夜に女声合同「遥かな歩み」は暗譜ということになった。「暗譜はとても出来ないので下りる。」と泣いていたのだ。「折角、これまであなたのお母さんが子守りをしてあなたを練習に出してくれたのではないか。そのご好意を無駄にしてはいけない。私が須賀先生に了解を得るから、楽譜を持っても良いから出なさい。」今朝、清水君が嬉しそうな顔をして美代子さんと現れた。「会長にそういわれたので、引っ張ってきました。」良かった、良かった。200名もの女性が10カ月もの間、練習に出席し本番に参加するのは並大抵のことではない。それぞれドラマがあるのだ。名古屋での女声合同練習の緊張感、須賀先生の叱責、木島先生の鋭い真剣勝負に臨む眼光を思い出す。その成果がいよいよ出るのだ。 15:08 南山大学合唱団の演奏が終わり、いよいよ女声合同の出番である。和子が下手袖にやってきて、出てゆく女声の皆さん一人一人に声をかけている。「笑顔でゆきましょう。」「肩の力を抜いて。」「楽しい気持ちで。」「田先生が待って見えますよ。」皆さんの気持ちがほぐれてゆく。須賀先生、木島先生に「お願いします。」と万感の思いを込め、目と目を見交わし送り出す。日本初の大女声合同「遥かな歩み」が、始まる。輝かしい瞬間である。ぞくぞくと華やかな舞台衣装をまとった大女声合唱団出現に会場からどよめきが起こる。色気のない白ブラウス、黒スカートでなく、各団の衣装で本当に良かった。コンサートホールのステージ一杯に、華麗な花が咲き誇る。第一声が会場一杯に響き亘る。ああ、これだ、この響きだ!見事な田サウンドだ! 15:15 主催者控え室に戻りモニターテレビでしばらく女声合同を見ながら和子と感慨にふける。いやー、良くやったものだ。色々あったなあ。感慨にふけっている場合ではない。勝負はこれからだ。大リハへ東海メールの連中を迎えに行く。大リハは団ごとにきちんと机と椅子で楽屋が作られている。流石、曽我さんの手腕である。大リハを出てステージへ向かう。 15:24 女声合同が終わる。満場、大喝采である。舞台袖で待ち構えていた東海メール全員が須賀先生、木島先生と先を争って握手。女声合同の方々を拍手で迎える。みなさん、とても嬉しそうだ。少しほっとする。 15:28 吉田文ちゃんのオルガン演奏が始まる。コンソールではなく、本体での演奏である。このコンサートホールのオルガン本体での演奏姿も見て欲しいのだ。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第十三回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 12月12日筆
9月18日
15:30 吉田文ちゃんのオルガンで「山形民謡によるバラード」がはじまる。時間通りである。良い調子だ。最初を詰めておかないと後々苦労する。この曲は1941年に田先生が東京音楽学校研究科終了作品として作曲された第一作で、すぐ、翌年に、管弦楽版が出版された。総譜の出版としては異例なことだったそうで、銀座のヤマハ(?)でご自分の、この楽譜がベートーヴェンの楽譜と並んでいたのを見つけた田先生(27歳)は吃驚仰天して家へ走って帰られた(?)というエピソードが残っている。今日、文ちゃんが演奏しているのは1995年のオルガン編曲版である。今回はこの第一作と遺作の「五つの民俗旋律」を同じ演奏会で聴けるという貴重な機会となった。勿論、これは偶然ではなく留奈子先生の企画意思力であるが、出演者の選択、小松先生の思い、文ちゃんの思い、すべてが最高の形で組み合わさった成果である。やはり、三郎先生の意志力であろう。文ちゃんの奏でるパイプオルガンの響きが天に届いてゆく。☆チラシとプログラムの表紙の原画作家、佐藤三絵さんのホームページをお知らせしておきます。たくさんの素晴らしい絵がみられますし、購入も出来るはずです。http://mie-sato.i-elements.net/ 15:35 東海メールの連中が、舞台裏に集結してくる。最後の檄を飛ばす。「これからの演奏は我々東海メールにとって、また、我々の田音楽にとって非常に大事な演奏である。大久保混声、豊中混声と同じステージに立つことは始めてで、コンクールのような真剣勝負となる。その出来栄えは聴衆に比較検討されるのだ。今日の聴衆は田音楽に命にかけている人ばかりである。これまで田先生、須賀先生の教えていただいたことは、我々の身体にしみ込んでいるはずだ。自信を持とう。今井先生とは初顔合わせの初演奏である。今日までご指導いただいた事の全てを発揮出来るように集中力を持って臨もう。今井先生に恥をかかせないように。」今井先生のご指導は、目から耳からうろこのとても興味深いものだった。「深海魚を気持ち悪がらず、愛情を持って歌ってください。」のお言葉に感動。「釣り糸をたらしたのは、多分、神様でしょう。」「猿撃ちって、本当にいたんでしょうかね。」漢方医薬に詳しいバスの辻さん。「昔は猿から薬を作っていましたから、いたんでしょうね。」「かもしか」は現れたのか、現れなかったのか。話は尽きない面白い練習だった。練習日に前夜ホテルで書かれた和音展開図、倍音列配置図(水貝さんがコピーした)を持ってみえ「この"内なる遠さ"のKeyとなる増5度和音は各曲ではこの箇所である。この和音は、憧れ、願い、切なさ等、行き場の定まらない不安などを表現している。」「5度和声はドビュッシー(田先生好み)、ラヴェルが愛用した。」など、細かく説明してくださった。いやー、面白い。流石、大学生時代から40年間、仙台から田先生のところへ作曲の勉強に通われただけあって、田作曲法を熟知してみえる。誠に血の通ったご指導で、この「内なる遠さ」における田先生のお考えが良く理解できた。手元のキーボーを操作されて、厳しく「深海魚」の半音進行を、何度も何度も根気良く、最後の前夜の練習まで辛抱強く、チェックしていただいた。頭が下がる。おかげで、なんとか音はとれた。大感謝である。私「先生、この曲は第一曲から気が抜けない曲ばかり続いて、最後の「深海魚」に至っては半音階の連続ですが、何故、こんな難しい曲を高田先生は書かれたのでしょうね。」今井先生「それは、高田先生は、この曲を作曲される際、合唱団の能力に妥協せず、ご自分の書きたいものを書かれたのからです。」ようし、高田先生の申し子的合唱団、東海メールは高田先生にお応えせねばならぬ。指揮者の坂川典正さん(1966年入団。前副会長。)が注意を与える。「今日の合唱台は普段の我々が歌う位置より三列奥にある。いつもより、前に、響きを飛ばすように。」男声合同が7列になり、前にオケを入れるため、合唱台はいつもより奥にある。飯沼先生にいつも言われているように、ホールを鳴らすことを心がけよう。さて、いよいよ、我々東海メールが今井先生の指揮、中村先生のピアノで「内なる遠さ」を歌う運命の瞬間が近づく。 |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第十四回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 2006年1月10日筆
9月18日
15:47 時間通りに文ちゃんの「山形民謡によるバラード」が演奏終了。東海メールの連中が集結している舞台袖まで届く大拍手である。文ちゃんも大きくなったものだ。お母さんの徳子さん宅で初めてあった時は、まだ小学生だった。中学卒業と同時にドイツに渡り、ドイツ国立ケルン音楽大学カトリック音楽科に入学、1995年よりケルン南部司牧地区音楽家を勤め、典礼音楽の総責任者になっているというから立派なものだ。この会のために帰国、「水のいのち」のパイプ・オルガンも受け持つ。田先生を慕う人脈の広さ、深さに改めて感嘆。場内が田音楽の"気"で充満しつつあるのが感じられる。さて、いよいよ、我々東海メールが今井先生の指揮、中村先生のピアノで「内なる遠さ」を歌う運命の瞬間である。この"気"の中に出て行くのだ。今井先生との出会いは2000年「ひたすらないのち 東京演奏会」で、アンコールの「風がおもてで呼んでいる」(心象スケッチ)をご指導いただいた時が最初である。20分の短時間で見事に550人のアカペラ大コーラスを温かく纏め上げられたのに感心し、好感を持った。2003年の「ひたすらないのち IN 仙台」で仙台グリーン・ウッド・ハーモニーのゲネプロ、ご指導ぶりを見て、これは一度、指揮をお願いしたいと思った。「ひたすら仙台」の打ち上げで今井先生から「一度、東海メールを振りたい。」とのご希望があり、「是非、お願いします。」という約束が、今回、実ったのである。東海メールの今後の展開にとっても大事なステージである。東海メールの田いのちの強者が勢ぞろい。学務が多忙で休団し4年ぶりに復帰した中世古俊一さん(1975年入団、トップ・テノール)は、田先生に厳しく詩篇歌唱を叩き込まれて最後には「いい!」と激賞された。「来なさい、重荷を負うもの」と田先生直筆入りのTシャツを作成し着用している力の入れようである。この日はその直筆シールを配布。私も携帯電話に貼り付けてある。嶋田浩文さん(1984年入団、セカンド)は、叱られるのを承知で田先生の練習に自分の小学校生徒を連れて来た。田先生の教えを次代へ懸命に伝えている優秀な合唱指導者である。田音楽の信奉者として全国的に知られている片山和弘さん(1975年入団、バス)は田先生に会って人生が劇的に転換した一人である。田音楽があるところ彼がある。日本全国を回って田音楽普及のために尽くしている功労者で、名文家として知られ彼が書いた文章は各地で大きな影響を与え、田音楽の理解を深める助けになっている。また自費で田音楽の楽譜、CDなどの資料を購入し、日本全国の音楽関係者に贈って普及に努めている。彼が贈った典礼聖歌CDを聴く会を開催の教会があると聞く。落合良則さん(1988年入団、バス)は「田先生が東海メール再生のために残りの貴重な時間をつかってくださった。」ことへの恩返しが彼の田音楽信奉の原点である。それは、東海メール全員がそうなのだが。彼は現在の転勤地、木曽福島から勤務をやりくりし4時間もかかって何日間も練習に参加し今日この舞台に立つ。他にも、東京から、金子剛史さん(1996年入団、セカンド)、大阪から大塚康徳さん(1974年入団、バス)、田中直樹さん(1995年入団、トップ・テノール)、牧伸夫さん(2000年入団、バス)、豊田千之さん(2000年入団、トップ・テノール)等。みんなが、自宅学習を重ね、多忙な仕事の隙間をぬって貴重な時間と経費を使い、何日もの練習に参加し、こうして田音楽を一緒に歌う喜びを共にする。全員がそうなのだ。これまで、鈴木順さん(1974年入団、バス)、高木秀一さん(1989年入団、セカンド)二人の団内指揮者が、田先生と須賀先生からご教授いただいたノウ・ハウの蓄積を駆使して、長期間、一生懸命に準備してくれた成果が出る。しかし、私も含め、全員が昨日から今まで、各種準備とお世話で相当に疲れている。大丈夫だろうか。ここは気合だ。 15:49 さあ、我々東海メールの出番である。最後列から順番に舞台へ出て行くと歓迎の拍手が起こる。今井先生、中村先生と「よろしくお願いします。」と固く握手を交わして、私も舞台へ。前には田音楽いのちの精選された厳しい耳を持つ聴衆、後のオルガン席には日本中から集まった「男声典礼聖歌合唱団」という、これまで経験したことのない極限状況のステージとなった。こうやって舞台に立って見ると、凄い気迫に満ちた会場雰囲気である。なんとゆう大きな責任ある演奏会を企画したのだろう。この後の「豊中混声」と西岡先生、「大久保混声」と辻先生のプレッシャーを思いやり、事の重大さを感じる。「内なる遠さ」は、イメージの音楽である。私は、今井先生のこれまでの指示を、的確な指揮と眼の表情で確認し、私の内なる「白鷺」を「かもしか」を「猿」を「蜘蛛」を、そして愛し始めた「深海魚」を追い求め、ひたすら歌った。今井先生の奥に田先生が見えた。 16:07 演奏が終わった。みんな興奮していて、今井先生は握手攻めである。裏方の私は感動にひたっている暇はない。男声合同の約200人をオルガン席から降りてもらって、女声合同の約200人の方に入れ替わって座ってもらうのだ。勿論、豊中、大久保、男声典礼聖歌を生で聴いてもらうためだが、待機場所がないのと団ごとが集結していて欲しいのだ。 16:15 非常階段がまだ使えないから、舞台裏は次の豊中混声も入って来て大混乱となる。とりあえず、東海メールの連中に指示して男声合同に楽屋へ下りてもらう。女声合同は迷子になった人もいるらしく全員オルガン席へ上がっていないが、休憩時間切れである。主催者控室では和子が一人で大奮闘である。全ての問い合わせと連絡が集中しているのだ。西脇純ちゃんも私も舞台に出ているし、先生方のケアーと進行事務で手一杯である。流石、永年、豊田市民合唱団の団長を勤めているだけのことはある。合唱団員の扱いは心得ているし、先生方とも顔見知り。合唱関係事務は、手馴れたもの。修羅場は、何度もくぐり抜けている。まかせておいて心配はない。しかし、どうも、会場は満員ではないらしい。拍子抜けだが、入場をお断りするよりは良い。今のところ心配した混乱はないようだ。やはり各所に有能スタッフを配しておいた甲斐があった。こうなると、問題は、最後の合同合唱団員が全員、時間通り指定場所に立てるかどうかにかかってくる。19時までに全ステージ、「平和の祈り」までが終了しないと、今日中に自宅へ帰れない人が出てくるのだ。とりあえず、第二部を時間通り開けたい。なにがなんでも開始しよう。ここからは、進行の太田さんスタッフに、人員整理を厳しくお願いしたので、オルガン席へ上がれず、第二部を聴けなかった女声合同の方がいた。申し訳ないことをしてしまった。深謝。 16;20 予定通り、第二部開始5分前の1ベルを入れる。良く時間通り進行しているものだ。進行スタッフと出演者のみなさんに感謝。ステージ順は、一部が世俗曲、二部が宗教曲、三部が管弦楽曲という構成にした。最初の幕開けが「平和のための祈り」最終曲が「平和の祈り」となり、"平和への祈り"がモチーフとして全体が包含されたこと。最初の曲「山形民謡によるバラード」と遺作「管弦楽のための五つの民俗旋律」が同時に演奏出来たこと。次代を担う西岡茂樹先生、辻志朗先生が指揮されたこと。全国規模で「典礼聖歌男声合唱団」270名と「田女声合唱団」200名が結成出来たこと。南山大学管弦楽団が田作品を、小松先生の厳しいご指導で身につけたこと。そして「水のいのち」の管弦楽版を世に送り出すことが出来たこと。計り知れない種蒔きと収穫が見込める演奏会となった。誰がこのような充実ぶりを予言出来ただろうか。しかし、その結果が出るのはこれからだ。 16:25 豊中混声が舞台へ出て行くのを見届け、次の大久保混声が舞台裏に待機したのを確認して、主催者控室に戻る。「イザヤの預言」をモニターで見ながら、福田さんとカーテン・コールの進行と、解散式の段取り打ち合わせをする。「解散式」を全ステージ終了後、舞台で行うことにしたのは、良いアイディアだった。これなら、その時点で出演者全員が舞台上にいるわけだし、先生方のご挨拶を全員が聞ける。挨拶していただく人を留奈子先生、マルクス学長、小松先生にお願いし、司会は無理やり西脇純ちゃんに押し付ける。ここまで築きあげたんだから、最後は純ちゃんに締めてもらわなければ。マイクの準備を確認する。 16:40 男声合同の楽屋発を確認しに行こうと思ったら、もう上がってくるではないか。そりゃそうだ。ステージに早く上りたくて、うずうずしてくるはずだ。私も勿論、そうだが、みんな一緒にこうしているのが嬉しいのだ。これは凄い人数だ。良く集まったものだと感慨。 16:50 大久保混声の演奏が始まる。舞台裏は男声合同270名を並べるのに、大童である。ごちゃごちゃになっている。もう一度、中嶌、金森作成のプラカードを持ってもらって、並んでもらおう。ありゃ、大分いない人がいる。一番先端の人が揃わないとなんともならない。ステマネの吉田さんに半分に分けて並び直してもらう。まず、後の4列から並べる。演奏中なので大声が出せない。時間がないぞ。後15分しかない。(第十五回につづく) |
ドキュメント「ひたすらないのち 愛知演奏会」 第十五回
東海メールクワィアー 会長 都築義高 2006年1月17日筆
9月18日
16:55 「男声合唱のための典礼聖歌」ステージ 直前。男声合同典礼聖歌のステージ開始まで、後15分しかない。良く全国からこの270人という大人数が集まってくれたものだ。1991年、田典礼聖歌に電撃の如く打たれ、これこそ世の、日本の男性を力づけ救ってくれる歌に違いないと信じて、早や14年が経った。田先生に男声への編曲をお願いし、1992年東京演奏会で初演。2001年6月に楽譜を出版し、南蛮コールの国家さん、長崎の高林さんが取り上げてくださったのが嚆矢だが、更なる全国的広がりは、その年の11月にJAMCA石川での演奏である。この演奏を聴かれた全国の名男声合唱団はこの時、「典礼聖歌」を知ったのだ。全国展開となったことは、それと同時に全国の「男声合唱典礼聖歌」ファンを、生み出すことになる。聴衆も、その存在を知り感動し、「男声典礼聖歌」を聴きたいというファンが急増する。一方、そのファンが急増することが「男声典礼聖歌」演奏団体を増やすことになる。金沢メンネルは石川県合唱界の大立物、石川美代さんのご要望で東海メールを招聘して一緒に「典礼聖歌」を歌うことになった。グリークラブ香川の指揮者鬼無さんはこの時、いたく感激され、ご自身もプロテスタントの信者だが、熱心に「高田典礼聖歌」の普及に取り組まれ、このことは、大阪地区における「田典礼聖歌による歌唱ミサ講習会とミサ」実現という劇的展開をもたらすことになる。男声の世界のみならず「歌唱ミサ」の世界を揺るがす大事に発展したのである。ここまで、ここまで来たのだ。東海メールは、現在、日本男声合唱協会の事務局を引き受け、事務局長の川瀬さんが日夜、男声合唱の振興に大奮闘しているが、この組織網で14年間に亘り、「典礼聖歌」の資料を送り情報を提供してきたことが、ようやく実ってきたのだ。こうして、全国から男声270人が集まった。配置は全国から参加してくださった人々が、一応先輩である東海メールの間にはさまれ、他の合唱仲間と一緒に刺激しあって歌いやすく、また、これまで「男声典礼聖歌」を支えてくださった方々に報いるべく一生懸命に考えた。だが、私に情報がなくて失礼した方もあったことをお詫びしたい。 最前列、トップの下手端は所沢メンネルの金子英二さん、東海メールの典礼聖歌は何度も聴きにきてくださっている。隣はメールの中世古俊一さん。次が豊中混声の森隆哉さん。"田いのち"の森さんは今回、大阪合同練習を献身的に実行して成果を挙げて下さった大恩人である。田先生の指揮で長年に亘り「混声典礼聖歌」を歌っておられる筋金入り。一人おいて、いそべ男声の大西紹夫さん。東京聖心女子大で同じく、いそべ男声の木下協さんと共に東海メールに加わり一緒に典礼聖歌を歌ってくださった。お二人とも須賀先生の愛弟子で、長く「典礼聖歌」に親しんでみえる。一人おいて、京都男声、名文"南山教会ランプシェードの奇跡"で有名な野田常雄さん。「典礼合宿」の詩篇歌唱で美声を聞かせてくださった。多田武彦の「雨」のソロ録音などで全国的に著名。その隣が、大分・南蛮コールの国家俊作団長。国家さんは東海メールが三年連続優勝のメンバーで、大分へ帰郷後の1996年に東海メールを目標に南蛮コールを設立。東海メールの田先生指揮による演奏に打たれ、田音楽に傾倒、いち早く2002年に「典礼聖歌」を、東海メール以外で初めて1ステージ取り上げてくれた。その後、毎年のように、南蛮コールの定期で今日も参加の狭間文男先生の指揮で歌ってくれている。その隣には、国家さんが並んで歌いたいという希望で、東海メールの詩篇歌唱者、中島俊夫さん(2000年入団)が並ぶ。次は、いそべ男声の長田茂さんである。東海メールの田作品出版楽譜浄書は、長田さんの手による。長田さんの後ろ4列目には、大阪メールクワィアー代表で、現在、関西合唱界でなくてはならぬ存在の、具志堅政美さんがいる。彼は須賀先生の愛弟子で「田典礼聖歌」の普及活動を熱烈に進めている一人である。今回の大阪練習では大変に、お世話になった。具志堅さんの前に、八戸メンネルコールの類家正壽さんがいる。類家さんは4月の名古屋における「典礼聖歌合宿」に突然現れ、みんなを驚嘆させた。8時間かかって、八戸から名古屋に到着したのだ。JAMCA参加団体には、「典礼聖歌合宿」のことは告知してあったのだが、前触れなしにいきなり類家さんが現れた時には、「田音楽」の吸引力に驚いてしまったのだ。今回、類家さんは全曲、暗譜で歌う。 セカンドに入る。まず所沢メンネルの井花照光団長。2004年に「来なさい 重荷を負うもの」を取り上げてくださった。井花団長の後ろが、同じく所沢の堀田嘉一郎さんである。この方は1972年から4年間に亘り、東京の初台教会で日曜毎のミサを田先生の指揮で聖歌を歌ってみえた方である。ここまででも、既に凄く田典礼色の濃い集まりであるが、まだまだ続く。井花団長の隣は、いち早く「典礼聖歌」を、1ステージ、取り上げてくださった金沢メンネルコールの畠山通会長である。まだ、評価の定まらぬ初期の段階で、「田男声典礼聖歌」を取り上げて演奏してくださった、国家俊作さん、畠山通さん、そして今日は「林雄一郎先生追悼演奏会」で指揮されるため、涙を飲んで参加されなかった、グリークラブ香川指揮者の鬼無律友さんのお三方に深く感謝したい。この方たちのおかげで、「田男声典礼聖歌」は、広く世に出ることが出来たのだ。畠山さんから、一人おいて滋賀男声の渡邊顕信先生。東京荒川少年少女合唱隊に田先生をお招きして日本でいち早く「田典礼聖歌」の真髄を世に知らしめた功労者、故渡邊顕麿先生の実弟で田音楽の権威である。隣りが東海メールの詩篇歌唱者中嶌暁さん。彼は田音楽に触れ定年前に会社を辞め名古屋に帰り、余生を東海メールに捧げている。これまで各地で名唱を聴かせ感動を与えている。今回、「谷川の水を求めて」の詩篇歌唱を担当。二人おいて、東海メールの最長老、藤沢尊之さん(1948年入団)。東海メールではバスの塩田保さんと藤沢さんのお二人だけが信者(プロテスタント)である。この辺りは東海メールで固めてある。「天は神の栄光を語り」で、セカンドのパート・ソロを東海メールだけで歌うためである。セカンドの後列に京都男声の三宅正房さんがいる。三宅さんは東海メール黄金時代を築いた一人で、もう一度、東海メールと一緒に歌うのが夢だった。念願叶って、このステージに立つ。 バリトンに入って三人目が東海メールの長老、元会長の林友三郎さん(1950年入団)、名大男声合唱団初期の指揮者であり、数々の名編曲が残っている。その隣りが私。次が、今回、ほんとに大活躍、東海メール渉外担当、水貝英明さん(1977年入団)。その隣りが、宮崎・フルトン男声合唱団から、ただ一人参加された、荒川滋さんである。荒川さんは東海メールの活動に非常な共感を抱かれ、仙台の「ひたすら演奏会」も聴きにみえた。その後ろ2列目に東海メール副会長、川瀬治通さん(1995年入団)と田典礼聖歌の普及、発展、振興にまさしく命を賭けている北村正之さんが並ぶ。佳代子夫人は田先生から長年に亘り直接、典礼聖歌指揮法の教えを受けておられた。北村さんは、佳代子夫人ともども、東海メール「田典礼聖歌活動」を高く評価してくださって、2002年2月には東京・四谷のイグナチオ教会における「世界平和を祈るミサ&アフガン難民支援のための典礼聖歌によるチャリティーコンサート」に招聘して頂き、その折り、東海メール単独で「田典礼聖歌コンサート」を開催してくださった。計り知れない大反響があったこの会により、「田男声典礼聖歌」は、一挙に進展した。現在、東海メールの「田典礼聖歌」活動が全国的に支持を受け、今日、こうして全国から男声が結集して歌うことが出来るのも、北村夫妻のご援助のおかげである。今回のプログラムに「男声合唱のための典礼聖歌―誕生から合同演奏まで」という、歴史を概観する感激的名文を書いて頂いた。感涙にむせんだ。バリトンの後列には、私が深く敬愛している、南蛮コールの指揮者、佐藤信夫さんがおられる。佐藤さんは、プロテスタントの信者(無教会派)で「田典礼聖歌」についての深い見識と愛を持ってみえ、私の力強い礎となっている。須賀先生の、教えをしっかりと伝えておられる貴重な存在である。今回のプログラムに、この「典礼聖歌」の解説を書いていただいている。北村夫妻と佐藤信夫さんのご援助で、私も「田典礼聖歌普及活動」をつづけていけるのだ。 バスに入る。最前列に、まず東海メールの三人。名古屋中央教会(プロテスタント)で、聖歌隊の指揮をしていらっしゃる、塩田保さん(1995年入団)。名古屋中央教会で「田典礼聖歌」を広めるために奮闘してくださっている。4月「典礼聖歌合宿」では大変お世話になった。隣が、大阪から熱心に通っている大塚康徳さん(1974年入団)、次が木曾福島から通っている落合良則さん(1988年入団)と並ぶ。その後ろには、「東海メール私家版田CD」を、製作し続けている、清水一郎さん(1985年入団)、一人おいて、これこそ東海メール随一"田いのち"片山和弘さん(1975年入団)、その横が島貫秀淳さん(1973年入団)、その後ろが東海メール指揮者、副会長の鈴木順さん(1974年入団)、そのまた後ろに、東海メール指揮者、坂川典正さん(1966年入団)。これらの団員は、田先生の厳しいご指導を受け「田典礼聖歌男声版」を誕生期から歌っている初演メンバー。「田典礼聖歌」が骨の髄まで沁みこんでいる幸せな連中である。片山さんの隣が大阪メールの加藤策保さん。須賀先生の愛弟子で「おお神の富」ソリを歌う。片山さんと清水さんの間が、岡谷・やまびこ男声合唱団から参加の西澤睴雄さんである。西澤さんは、東海メールの典礼聖歌にふれ衝撃を受けた。東京・イグナチオ教会コンサートを聴きにこられた時の、真摯な表情は忘れられない。しかし、やまびこ男声では「典礼聖歌」は受け入れなかった。個人として望んでも「田典礼聖歌」が団として取り上げられることは、容易ではないし、一度、取り上げられても、それがレパートリーとして残ることは、もっと難しいのが現状だ。しかし、このステージの結果では大きな進展が訪れるかもしれない。西澤さんは、同じやまびこ男声所属でプロテスタント信者でもある鈴木v之さんと、私の勧誘に応じ岡谷から何度も名古屋まで練習に参加されて、今日、この場にいる。バスの前列に戻る。落合さんの一人おいて隣りに豊中混声の団長、塩崎計吉さんがいる。田先生の薫陶を受けた豊中混声から4人の方が、このステージに参加してくださったことは心強かった。塩崎さんの隣りが、いそべ男声の代表格、米川寛さんである。須賀先生が常任指揮者を勤めてみえる、いそべ男声からは、典礼合宿に多数参加していただいた。東京の「男声合同練習」では、大変に、お世話になった。東京での大久保混声といそべ男声、大阪での豊中混声、大阪メール、アトリエほかの方々の献身的お世話に心から感謝したい。一人おいて、滋賀男声の亀村弘夫団長である。熱血漢である亀村団長は「典礼聖歌合宿」に参加されて、東海メールの活動と、「典礼聖歌」に心を打たれ、定期演奏会で多忙にもかからわず、特別練習をこのステージのために組み、なんと48名の大量団員を参加させてくださったのだ。その隣りが市川男声合唱団の渡邉清団長である。東海メールによる田音楽の呼びかけに応じ、田音楽を取り上げてくださっている。この後、定期演奏会で「田典礼聖歌」を歌ってくださる。バスの前列上手最端が、南蛮コールの麻生篤さんである。麻生さんは熱心な田音楽ファンであり、何回も練習に参加して2004年の東京・聖心女子大学聖堂で東海メールと一緒に「田典礼聖歌」を歌ったほどである。2006年10月8日に「JAMCA大分」が開催される。南蛮コールは、狭間文男先生の指揮で「高田典礼聖歌」を歌うことになっている。こうして、お一人、お一人を見てみると物凄いメンバーが揃ったものだ。しかも、自ら「田典礼聖歌」を歌おう、という熱意と確固たる意思を持って参加されていることに、千金の重み、価値がある。正に、最高、最強の「田典礼聖歌」男声合唱団、誕生である。 「田男声典礼聖歌合同」ステージは、大分・南蛮コール 20名。新居浜混声合唱団男声 13名。大阪メールクワィアー 20名。豊中混声合唱団男声 4名。京都男声合唱団 21名。滋賀男声合唱団 48名。いそべとし記念男声合唱団 28名。所沢メンネルコール 11名。市川男声合唱団9名。金沢メンネルコール 10名。OSAKA MENS CHORUS 3名。やまびこ男声合唱団 2名。北村正之さん。荒川滋さん。類家正壽さん。金沢市中央公民館合唱団の本田大和さん。それに加えて東海メールクワィアー 73名。総計 266名という大布陣となった。誰がこのような大成果を想像出来ただろうか。こうして、様々な縁が織りなし、経緯と軌跡を辿り、熱情溢れる思いを秘め、いよいよ、世紀の「田典礼聖歌男声合同」ステージの幕は、上がろうとしている。 |
9月18日
17:13 「男声合唱のための典礼聖歌」ステージ 開始。 「男声合同典礼聖歌」のステージ開始まで、後2分しかない。最終点呼を行う。後列から出て行くのだ。 270人という大人数だから、7列に分かれている。私は最前列で、点呼をとっていると、中世古さんと北村さんがいない。二人がかけこんで来た。主催者控室で北村さんは中世古さんの薄茶サービスで一服しておられ、和子に「典礼聖歌が始まりますよ!」と声をかけられ、慌てて飛んできたのだ。 17:15 時間ピッタリに下手から2列ずつ、ステージに出て行く。私は須賀先生と「先生、男声典礼聖歌の運命がかかっています。よろしく。」と固く握手を交わしステージへ。次から、次へと怒涛の如く出現する男声の群れに、客席から、どよめきが起る。そりゃそうだろう。愛知県芸術劇場コンサートホールのステージにこれだけの男声が並んだのは、開闢以来の快挙である。それぞれ各団が良く分かるように、女声合同と同じく各団それぞれぞれの制服を着用していただいた。南蛮コールは鮮やかなブルー、いそべ男声は重厚な濃いグレイ、京都男声は白タキシード、黒シャツに白蝶ネクタイ、OSAKA MEN'S CHORUSは、白タキシードに白ズボン、滋賀男声は白タキシードに紫長ネクタイという具合である。客席からは迎える拍手が段々高まる。壁際ピッタリから前へ7段、一列に約40人、総勢270人。正に壮観である。14年間に亘る「田典礼聖歌」拡充普及活動の成果を実際に眼で見ると感無量である。これを、奇跡と言わずして、何を奇跡と言うのか。田先生も「典礼聖歌」を私がお願いして東海メールのために編曲していただき、1992年5月3日に東海メールの東京演奏会で指揮していただいた、「男声合唱のための田典礼聖歌」初演の時、今日ここで全国から270人に及ぶ男声が、殆ど1年以上に亘り練習を重ねて、このご自分の生誕地、名古屋に集結し歌うということを予想されただろうか。いや、お考えにはならなかっただろう。今は留奈子先生の隣りで嬉しそうに見守っておられるに違いない。ステージを一杯に埋め尽くした壮年男声合唱の大群に、場内はどよめきが収まらない。オルガン席には女声合同の方々、客席と共に固唾を飲んで、世界初の270人の大合唱「男声合同典礼聖歌」演奏を待つ。場内に男声全員の気迫がめらめらと燃え立つ。須賀先生が下手から、木島先生が上手から力強く登場である。めらめらと男声陣の気迫が燃え立つ。 第一曲は「神を求めよ」。東海メールが田先生に一番最初に教えていただいた「典礼聖歌」である。この「神を求めよ」から「男声合唱のための典礼聖歌」は始まったのだ。同時に、この曲から東海メールはどん底から這い上がり再生を遂げた。セカンド嶋田浩文さん(1984年入団)が当時、勤めていた小学校での壮絶な田先生の練習を思い出す。バリトンの井部修さん(1970年入団)が田先生からちょっと目を離して、厳しく叱られた。東海メールで田先生に最初に叱られた団員で、名誉である。曲の最初から田先生から目は離さない。歌い終わっても「動くな!」とみんな怒鳴られたものだ。真剣に音楽と対峙すること。すなわち、自分を厳しく見つめること。東海メールは田先生との出会いで、人生と音楽が変ったのだ。これだけが田先生の編曲でこの後は須賀先生がかきためられたもの、お願いして編曲していただいたものが続く。つまり、「男声合唱のための典礼聖歌」は須賀先生のご指導と編曲があったから、存続出来たのだ。これは「田典礼聖歌」と男声合唱にとって、とても幸運なことだった。須賀先生のおかげで、今日こうして歴史的な「男声合同典礼聖歌」のステージが持てる。 須賀先生の紫電一閃、木島先生のオルガンが鳴り響く。世紀の幕は切って落とされた。腹の底から鳴り渡る男達の祈り。場内が只ならぬ、引き締まった空気に変わる。地の底から天の高みへ、ずーんと。これが「男声典礼」だ。どうして男声合唱団が「典礼聖歌」を選ぶのか。指導者の中には南蛮の狭間先生、佐藤信夫さん、香川の鬼無さんなどプロテスタント信者もいらっしゃるが、それは「典礼聖歌」を知ってはみえても、男声合唱として出現するとは予想されなかっただろう。だから、こうも言える。狭間先生、佐藤さん、鬼無さん、これまで「男声典礼聖歌」を育ててくださった方々、そして勿論、東海メールクワィアーは、「典礼聖歌」によって指名されたのだ、と。選曲は並大抵ではない。第二曲「天は神の栄光を語り」は木島先生が「これこそ男声合唱で歌わなくちゃ。」とのご宣託だったが、男声編曲で真価を発揮した「典礼聖歌」は多い。「男声のための典礼聖歌」第ニ集は須賀先生が、これは男声にと長年書き溜めておられたのが殆どだが、第三集には私たちの希望も入れ編曲していただいた。さて、「天神」は詩篇の部分が原曲通り4パートに分かれているが、東海メールでの初演の際に、須賀先生がトップのメロディーをセカンドのパートソロで歌うようにとご指示があった。トップが楽々と歌うよりセカンドの音色で高い音に挑戦すると一生懸命さが出るからである。この辺が男声合唱4パートあればこその味わい。今日の東海メールのセカンドは18名。270名の中の18名である。彼らは名誉を賭けて懸命に立派に歌い挙げた。第三曲は「谷川の水を求めて」。この曲の男声版初演以来、詩篇歌唱はセカンドの中嶌暁さんの独壇場である。中嶌さんが東京に転勤していた1992年「田東京演奏会」の際、一家総出でマネージを一手に引き受けてくれ成功させてくれた。田先生が指揮された東海メールの「典礼聖歌」はずーっと中嶌さんを励まし続けていたのであろう。1999年4月、定年を前に中嶌さんは名古屋に帰り15年ぶりに東海メールに復帰した。第42回田作品定期で田作品を東海メールの仲間と共に歌うことが出来た喜びと感動は人生の転機にあった中嶌さんに自信と勇気を与えたのだ。その時のアンコールで、田先生は「来なさい 重荷を負うもの」を指揮され、東海メールの団員に「典礼聖歌」を歌う決定的奥義を伝授されたのだ。その田先生が東海メールを指揮された最後の瞬間に、中嶌さんは間に合ったのだった。勿論、中嶌さんだけではなく、東海メールの全員が田先生の教えに合唱人生の根幹がある。この「男声合同典礼聖歌」のステージで、なるだけ東海メールの団員を他の参加者と入り交じるように配置したのは、東海メールの「田魂」を、より感じてもらうためであった。「谷川」を演奏しようと決めたとき、詩篇歌唱は中嶌さんと決めた。田音楽は中嶌さんの人生に力を与えた宝物であったに違いない。高田先生の直接指導は受けられなかったが、須賀先生が掘り起こして下さるだろう。何度も何度も厳しい特訓がつづいた。内容の深い六行詞、たった六小節、音は八音しかない。至難の歌唱である。中嶌さんの「谷川」詩篇歌唱デビューは2003年10月、仙台・元寺小路教会コンサートだった。須賀先生は、この時、詩篇歌唱の部分も指揮された。次が2004年9月、東京・聖心女子大学聖堂コンサートである。「谷川」がある第一部は、二階の聖歌隊席で歌った。須賀先生は詩篇歌唱の部分は中嶌さんに自由に歌えと任されたのだ。何が中嶌さんに起ったのだろうか。感動的名唱に、私たちは胸がつまり答唱が歌えなかったほどだ。翌日、お電話された木島先生に聖堂のシスターは「あの歌声で生かされています。」と語られたそうである。「典礼合宿」で須賀先生による詩篇歌唱レッスンがあった。「谷川」も歌っていただいたが、流石に各団の精鋭もなかなか歌えない。最終仕上げの南山教会での中嶌さんの詩篇歌唱を聴かれて、皆さん一様に感嘆されていたが、どうしたら、このように歌えるのかは分からなかった。「谷川の水を求めて」が始まる。中嶌さんの詩篇歌唱が朗々と聴衆に滲み渡ってゆく。温かく温かく心が溶かされる。答唱を歌う東海メールを中心とする270人が一つになって応え、深める。「典礼聖歌」の奥義が伝わってゆく。 |
9月18日
17:32 「男声合唱のための典礼聖歌」ステージ 「おお 神の富」 「神を求めよ」は、最初の8小節のクレッシェンドが重要である。心をこめたクレッシェンドの緊張感がどれだけ保持出来るかが問題である。「天神」は4回ある同じ歌詞の答唱部分を、いかに説得力を持って聞かせるかが、課題。この曲は詩篇歌唱が合唱であるからまだ受け易いが、「谷川」は詩篇歌唱が独唱である。三回歌われる詩篇はそれぞれ内容が異なるので、中嶌さんがどのような気持ちをこめて歌うかを、その度に270人全員が瞬時に読み取り、心を打たれ、それに答えることが答唱の意義である。メッセージを聞き取る純な素直な心を持ち、人の心を汲み取り、一つになること。それが「典礼聖歌」の教え、目指すものなのだ。そこが「典礼聖歌」の奥義、免許皆伝を得る鍵である。この瞬間、270人の心は一つになった。満員の田会衆は、それが分かったらしい。これだけの男声が純真な気持ちで統一されたことが、深い感銘を与えたのだ。場内はなにか深い温かいカタルシスに満ちている。中嶌さんと男声たちの歌声が煩悩を取り去ってくれたのだろうか。次の典礼聖歌はユニゾンで歌われる「おお 神の富」である。この曲も、初期に田先生に教えていただいた曲だ。北村正之さんに伺ったところでは、東海メールによって演奏されるまでは知られなかった幻の名曲だそうだ。原曲「典礼聖歌(混声)第384番」を、田先生は男声の魅力、威力が最高に発揮出来る音域に移調された。さて、「おお 神の富」。木島先生の渾身の打鍵。剛音が天から響く。須賀先生の一撃に応え、朗々と深ぶかと270人の男声合同(会衆)の響きがひとつの輝く光となって堂に満つる。これぞ男声大合唱の真髄である。原曲では先唱の人数指定がないが、この男声版において田先生は、4、5人と指定された。今日は東海メールでの初演以来、不動の大塚康徳、落合良則、清水一郎、片山和弘の4人に、鈴木順、塩田保さんと大阪メールの加藤策保さんが加わっての熱唱。応えての会衆唱。これぞ日本男児の心意気。燃え上がる。歌う我等も聴衆もみんなが勇気を貰った。次が、田先生が須賀先生に贈られた遺作「神のみわざがこの人に」である。この曲で心に支えを得て救われている人がたくさんいる。超難曲である。歌い始める前から曲の内容に入っていなければならない。須賀先生が270人を一身に集めるカリスマ性を発揮。すうーっと全員が集中する。静かに、重い言葉を、一語一語紡ぎ出す。6分26秒の間、緊張感を保たねばならない。フレーズの隅々にまで心が通っている。血が通っている。大事な言葉が会場に浸み渡ってゆく。会場の中で泣いている姿があちこちに見える。須賀先生の想い全てを籠めての指揮に応え、田典礼聖歌を、人生の試練に耐えた壮年男子が心を一つにして歌うのだ。歌う方も嗚咽で声が出なくなる人、涙で歌えなくなる人。一緒に泣くことの出来る素晴らしさ。次の典礼聖歌は、田先生がご自身で作詞された「ちいさな ひとびとの」である。みんなこの曲が大好きである。一生懸命歌うと、田先生に包まれるような気がするからだ。佐藤信夫さんが2004年福岡での「無教会全国集会」で、この曲を歌唱指導された際の記録から抜粋してお伝えしよう。"「見守ろうでクレッシェンドする際に次のことを忘れると尊大な歌い方になりますので気をつけましょう。人間はだれも、最初は自力で「見守ろう」と頑張りますが、キリストの励ましを背後に聞きながら、そう歌いたいものです。「最後まで、本当に見守れるのは私(キリスト)のみであって、あなたたちではない。しかし自分に与えられたタレントでもって、精一杯、私の歌を歌いなさい。そうすれば私も「そのちいさなあなたを、きっと見守るであろう。」 この歌の後半の繰り返しの歌詞に出てくる、貧しい「人」、国を出た「人」、病気の「人」、牢獄の「人」、捨てられた「人」など、「人」という字は同じでもその境遇はさまざまです。それらをどのように歌い分けるかを考えるだけでも、「見守りの心」が与えられるかも知れません。どのような場合でも支えがなければ倒れるしかない人間の弱さを表している「人」という字。神の愛、人の愛がなければ一人ではやって行けない「人」という存在。それらのメッセージがいっぱいの、とても大切な歌だと思います。" 須賀先生は、この曲は、"「特派員報告」のように歌うな。"といつも仰しゃっている。告発と慰めの歌。須賀先生の教えを忠実に守っておられる、佐藤さんの声が後ろから響いてくる。最後には田先生の温顔が見えてくるように歌おう。さあ、ここまで良く歌い切った。いよいよ、最後の大団円、これこそ、男達の雄雄しき行進曲「行け 地のはてまで」である。私はオルガン席に座っている女声合同合唱団に最後だけ立ち上がって、一緒に歌って貰えたらと望んだのだが、須賀先生に「リハーサルの時間がないから」という理由で実現できず。返す返すも残念。さあ、出発だ。長い時間の緊張感から一挙に開放へと向かう。力いっぱい、声を限りに生きている喜びを歌い上げる。木島先生のオルガンの最後の音が終わらないうちに大拍手が堂を揺るがす。大成功だ!大拍手は最後の団員が舞台から去った後も続いている。ステージ袖で須賀先生は握手、抱擁ぜめである。私も須賀先生、木島先生と熱く握手を交わし、最後の大仕事に向かう。大舞台転換、最後の大勝負、管弦楽団の配置である。 17:41 第二部終了。休憩。舞台転換。 この休憩中に、合唱台の前ニ列を撤去し、オケの管が座る山台を設置するのだ。舞台監督太田さんの苦心の作である。オケは弦が56名、管が22名。打楽器が5名に、ハープが2台、チェレスタが渡部真理さん、そしてパイプオルガンのコンソールに吉田文ちゃん。総勢87人。合唱は4段に女声の一部が158名。これが楽器も含め、ぎりぎりステージに乗れる人数である。「水のいのち」の打楽器が予想より多く、ハープが2台でそれに、巨大オルガン・コンソールが加わる。合唱が総勢約600人になったので、200人はステージに乗せねばならぬ。最初は張り出し舞台も考えたが、予算も時間もない。いろいろ工夫したあげく合唱は158名にしぼった。これでようやく入った。さあ、これを15分の休憩時間内に入れ替えせねばならぬ。男声合同最後の人が引っ込むと同時に作業にかかる。一方、私は非常階段を開けてもらうように懇願。ようやく使用出来るようになる。順番にもう一度並び直して入ってもらうのだが、一度リハーサルしているし、流石、ベテラン一流合唱団、あっという間にオルガン席に上がり、座り始める。場内から、オルガン席からその横の2階観客席の上手、下手、ステージぎりぎりまで、埋め尽くしてゆく大合唱団にどよめきが起る。そりゃそうだろう。コンサートホール、開闢以来の出来事である。名札に貼った並び番号と床に貼った並び番号が、絶大の効果を発揮している。しかし、座れない人が数十人いる。全員座れるはずだったが私の計算違いで、この人数では、ぎりぎり立てるスペースしかないのだ。その方は非常階段で待機してもらうことになる。申し訳ない。10分で舞台が出来上がった。正に、離れ業。プロは違うなあ。早速、オケの椅子並べ楽器並べにかかる。福田さんと、吉田さんの手際の良いこと。良いスタッフを揃えた効果が出ている。後、4分である。 17:54 舞台転換終了。 よし。配置完了。時間読みはぴったりだ。福田さんが指揮者の通る道を確保しに行く。まず、南山大学合唱団からつづいて、南山大学管弦楽団に入ってもらう。ステージ上に並ぶために待機している女声陣の間を抜けて拍手を受けながら、舞台裏へ小松先生が入って見える。 17:55 第三部 「ミサ曲 1」 小松先生が下手からステージに登場される。万雷の拍手である。「ミサ曲 1」が始まるのを見届けて主催者控え室に帰る。和子が「典礼聖歌、凄かったわね。良くみなさん歌われて。田先生が喜んで見えるでしょう。」と感激の面持ち。和子は最初に、家へ田先生手書きの典礼聖歌楽譜が届いた時から、15年間、典礼聖歌と付き合っている訳だが、ここまで発展するとは思わなかったらしい。それは、誰でもそうなのだが。福田さんに来てもらって、カーテンコールと解散式の打ち合わせをする。「水のいのち」の後で、留奈子先生とマイヤー先生に客席でご挨拶していただくことは、先に打ち合わせ済み。カーテンコールでの出ていただく順番を決め、先生方には福田さんから連絡してもらうことにする。 18:04 ほぼ時間通りに、「ミサ曲 1」が終わる。歌っていた西脇純ちゃんが、ほっとした表情でステージから戻ってくる。良くやったね。純ちゃん。さあ、いよいよフィナーレだ。南山大学合唱団に非常階段に待機してもらうように頼み、私もオルガン席へと上がる。今のところなにも問題がないので、この分だと「水のいのち」は歌えそうだ。 18:06 「五つの民俗旋律」 「五つの民俗旋律」が始まる。非常階段に腰を下ろし、この二年間のことを思い出していた。しかし、良くここまで構築出来たものだ。西脇純ちゃんは偉いなあ。そして、全国各地から各男声合唱団、豊中混声、大久保混声、アトリエ、ヴェルフィーヌ、新居浜混声、愛知の女声合唱団、良く集まってくださったものだ。各先生方の献身的なご指導、ご援助、ご協力には本当に頭が下がる。偉い人は違うなあ。 この1カ月間は、中部日本放送の現役時代、テレビ番組を週3本制作していた頃以来の忙しさだった。中部大学の講義は7月で終わり、試験の採点も終わっていたからまだよかったが、8月に入って、この「ひたすら愛知」の準備、連絡、打ち合わせで連日寝る暇もないくらいの忙しさだった。家内の和子は、この演奏会の5日前、9月13日(火)に万博・EXPOドームで開催される「愛・地球の環音楽祭」(愛環音楽連盟主催、「第九」他を歌う)の実務を担当していて超多忙であった。そこへ私にその「音楽祭」番組制作・構成の依頼がきたのだ。「ひたすら愛知」の打ち合わせ、準備、練習の合間をぬって、番組の打ち合わせ、ロケハン。9月9日から今日までの一週間は、芸コンで綿密なオケ・合唱台押し込み会議、11日が小松先生の合同練習、12日が愛環音楽連盟合唱団練習場取材、13日が万博会場での本番収録、14日と15日が万博会場での早朝ロケ、メールの練習、16日が万博会場周辺ロケと続いて、昨日がリハーサルで、今日が本番という壮絶を極めた強行軍だった。しかも、その間に深夜までメールで各団へ連絡作業である。良く身体が持ったものだ。これも和子の援助があればこそである。感謝。 「五つの民俗旋律」が終わる。ここまで3時間20分が経っている。聴いていらっしゃる方は、さぞお疲れであろう。さて、いよいよ、メインイヴェント「水のいのち」管弦楽編曲版初演である。 18:24 「水のいのち」 真ん中より少し上手、入口に近い最後列にもぐりこむ。リハでそこだけ空けてもらっておいたのだ。鈴木順ちゃんのすぐ後ろである。最後列から見下ろすと凄いスケールである。びっしりとオルガン席に詰まっている合唱団員。天界の眺めである。始まりだ。小松先生が指揮台に上られる。「水のいのち」の第一曲「雨」。弦に乗ったハープにトライアングルが雫を光らせて雨を降らせる。もう、無我夢中で歌に没入してゆく。歌える、歌える。混声合唱と管弦楽のための「水のいのち」初演に参加出来たのだ。 何か、壮大な創造に立ち会っているようだ。新しい世界が眼前に開かれて行く。田先生のお顔が大きく迫ってくる。誰もが夢に見た「水のいのち」の管弦楽編曲版は、遂に、今、実現したのだ。 夢心地で「水のいのち」が終わってしまう。惜しい。もっと、この世界に止まっていたかったのに。ブラボーの声が響き渡る。大成功だ!留奈子先生と編曲者のマイヤー先生を小松先生が紹介され、満場の拍手を受けられる。留奈子先生の嬉しそうなお顔に、胸が詰まる。 この壮大な「ひたすらないのち 愛知演奏会」を締めくくるのは「平和の祈り」。留奈子先生のご希望でアンコールということになっていたが、是非、プログラムに入れたかった。アンコールでは記録に残らない。「平和のための祈り」に始まり「平和の祈り」で幕を閉じるのが美しい。曲目表に載った。 「平和の祈り」管弦楽伴奏版は、田先生の編曲である。オーボエの優しい響きの前奏。ああ、田先生だ。先生、お久しぶりです。また、お目にかかれましたね。厳しい練習に耐えて全国から参集した600人の混成部隊合唱が一つとなって8分の6拍子を軽々と見事に舞う。ミューズの神を従えて、田先生の"オーラ"は満ち、"祝福"を歌う者に送って見えるのだ。清清しい空気で会場が浄化される。 19:00 「平和の祈り」を歌い終って、私は急いでステージ脇へ下りる。足が硬張ってがくがくである。この膝も良く最後まで保ったものだ。急いでカーテンコールの進行をしなければならない。最後の詰めである。19時5分までに終わりたい。列車に乗れない人が出るといけない。カーテンコールが興奮の内に終了。お客さんのお帰りを待たずに、すぐ「解散式」に入る。客席の留奈子先生を、お迎えに行こうと客席に下りると、主催団体の南山学園カルマノ理事長お見えになり、「素晴らしい、大成功でした。ありがとう。」と、ねぎらいのお言葉を頂く。感激で涙が出てしまう。 19:06 解散式 西脇純ちゃんの司会で解散式が始まる。最初にマルクス南山大学学長。お心のこもった感謝のお言葉を頂く。続いて、留奈子先生のお礼のお言葉。とても、晴れ晴れとしたお顔である。最後に小松先生。「田音楽の伝統の継承という演奏会に加わることが出来てありがとうございました。」というお言葉をいただく。解散式の締めくくりにふさわしいお言葉であった。大満足のうちに目出度く解散。 19:30 時間通りに全部終了。いそべ男声の方に「最初スケジュールを見たとき、時間通りに終わる筈はないと思いましたが、本当に時間通りピッタリに終わりましたね。」とおほめの言葉をいただく。スタッフが本当に良く頑張ってくれたおかげだ。だが、今回、この演奏会が無事、成功裡に、スケジュール通り終わることは、私にとって大きな意味があった。実は、今回、中部日本放送時代に培ったノウハウを全て使ったのだ。全体の構築、演奏会構成、出演者依頼、練習計画、練習事務、本番までのスケジュール立て、スタッフ人員配置、舞台配置、連絡網作成と連絡事務、進行表作成、プログラム作成、出演者送迎など。こうして無事成功したことは、私が会社で得たノウハウが役立ったことが証明された訳だ。嬉しい。主催者控え室へ帰って、まず着替え。和子と東海フィメールの高木さん、野田さん、清水さんとで4階楽屋の片づけにかかる。地下楽屋の撤収の様子を見に行く。川瀬副会長が総指揮で曽我さんはじめ東海メールの若手が、南山の学生さんと共に、原状復帰にキビキビ働いている。各合唱団が楽屋で使用した机や椅子を倉庫へ返し、ごみを集め掃除をするのである。みんな昨日から今日まで働きづめだ。東海メールの連中は、いやな顔ひとつせず、本当に良く働く。今日は夜間まで借りてあるので、時間はある。どの会場もそうだが、このホールも1分でも時間がオーバーすると莫大な超過料金を取られる。以前、東海メールの37回定期で16時30分完全撤収のところ16時20分になっても、田先生がズボンを、ご自分で悠々と、ゆっくり丁寧にしまわれているのに、やきもきしたのを思い出した。この1994年第37回定期は、14時開演だったので、この「田先生ズボン事件」以来、東海メールの定期は13時30分開演にしたのである。主催者控え室へ戻る。もう、殆ど片付いたようだ。ホールの楽屋係の方と4階楽屋を全部回り、ハンガーの数のチェック、机、椅子の原状復帰を確認。舞台の方は、まだ山台バラシの真っ最中である。これは大変だ。相当、時間がかかるなあ。太田さん、福田さんに、後をお願いして、思い出のいっぱい詰まった芸術劇場コンサートホールを後にする。 さあ、「ひたすらないのち 愛知演奏会」打ち上げ大パーティへ出発だ! |
9月18日
19:56 「ひたすらないのち 愛知演奏会」打ち上げ大パーティへ出発。 楽屋は東海フィメールの鈴木典子さん、野田美津枝さん、清水美代子さん、高木ひろみさんが点検。「和子さん、3番楽屋OKです。」「5番OKです。」と声をかけてくれる。「後はいいから先に打ち上げに行って。」と和子が声を返す。良いコンビネーションである。東海メールの奥様方も、良く協力してくれた。皆さん、実に責任感が強い。コンサートホールの各所を見回って、ステージ以外は、片づけが終わっていることを確認してから、痛む足を引きずり重い荷物を持ってホールを後にする。和子の肩にすがらなければ歩けないくらいだ。疲れた。朝からテンション上げっぱなし、神経も使ったし。でも、こんなことは現役時代は毎日だった。12時に局入りして23時から24時30分までラジオで生放送をディレクトして4時帰り。テレビ時代も徹夜はしょっちゅうだったな。てなことを、和子と話している内に打ち上げ会場の「嘉文」に着く。中区役所の地下でコンサートホールからは歩いて7分くらいだ。 20:01 打ち上げ大パーティ始まる。 「嘉文」の入口を入るといっぱいの人である。ホールの近くで大人数が入り手ごろな値段の店は、中々見つからない。いつも行きつけ、東海メール御用達しのこの「嘉文」はどうかと提案、水貝さんが早速、店長と交渉して、本当にお値打ち値段で貸切りにしてくれた。参加団体に声をかけて、人数は集まってきた。これからが水貝さんの腕の見せ所である。こういう打ち上げで一番難しいのは人数確認と席割りりである。そこは天才水貝。超多忙の中、各団に何度も連絡、先生方にも確認し、場所の地図を配布し席割りを考えて配置する。水貝さんじゃなきゃ出来ない仕事である。須賀先生、今井先生、木島先生、西岡茂樹先生、各先生もお揃いである。良く来て下さった。各部屋とテーブルの上部、目に付き易いところに紙で番号が表示してある。人数が多いのでそれぞれの団が座る席を表示してあるのだ。このへんが水貝さんの才能である。この打ち上げ会の参加は、アトリエが10名、ヴェルフィーヌ10名、新居浜21名、原コール・フリンメル3名、クールピシェット5名、大阪メールの具志堅さん、いそべ18名、南蛮コール国家団長ほか18名、OSAKAMENS 3名、滋賀男声亀村団長ほか14名、金沢畠山団長ほか8名、やまびこの西澤さん、鈴木きよしさん、所沢メンネル井花団長と金子英二さん、市川男声渡邉団長ほか8名、八戸の類家さん、フルトンの荒川さん。そして東海メールが55名の総計192名という、大人数である。すでに宴会は始まっている。これだけの人数を整理し、着席してもらって、この時間ですでに、お酒と食事が行き渡っているという、水貝さんの凄い手腕。飲み放題で3000円という破格料金である。今をときめく、エビフリャー、味噌カツなどの名古屋名物の数々。全国からこの演奏会にはせ参じてくださったみなさんに、心ゆくまで勝利の美酒を味わってもらうのだ。今日の主役、成功の最大の功労者はこの合唱団のみなさんだ。もう第一回目の乾杯は終わったらしい。水貝さんの司会で打ち上げ会がはじめる。最初に挨拶をさせていただくのは名誉である。みなさんにお礼の言葉を述べる。このように200人もの方が一堂に会し、顔を輝かせて嬉しそうに歓談されているのを見ると、感無量である。大勢の方が喜んで下さっているのだ。大演奏会、大成功だったのだ。須賀先生をはじめ、各先生方のご挨拶が始まる。みなさんが合唱団にねぎらいの言葉を贈って下さる。各団交流が始まっている。東海メールの指揮者陣、鈴木順さんと高木秀一さんが、各団のテーブルを回り始める。ビールを注ぎながら、お礼の言葉を述べているのだ。JAMCA事務局長の川瀬治通さんが、参加男声合唱団のテーブルの挨拶回りを始める。今回の「男声典礼聖歌合同」はJAMCAのネットワークでお集まりいただいたのだ。ほかの東海メールの団員も各自担当各団の席を回って、お世話をしている。水貝さんは各テーブルを走り回ってお料理、お酒が行き渡るように大童である。東海メールのみんなは半年間この演奏会のために努力して来た。そしてその努力はこうして、お集まりのみなさんの笑顔によって報われているのだ。 20:56 須賀先生の指揮で大合唱が始まる。もう、21時である。私は和子と「嘉文」を出て道を隔てて東どなりのイタリア料理店へ向かった。留奈子先生をお迎えするためだ。立派な店構えの入り口から覗くと、マルクス学長、留奈子先生、江里先生、マイヤー先生、吉田徳子先生、文ちゃん、西脇神父、お揃いで宴たけなわである。ご挨拶をして「すみません。ちょっと、留奈子先生を、お借りします。」といって、お連れしようとすると、三沢さんが「私も一緒に。」4人で連れ立って「嘉文」へ。三沢さんは今回、留奈子先生のお世話をされている。三沢さんは「凄い演奏会だったわ。」といまだ興奮おさまらず。留奈子先生に改めてお礼を言われて恐縮。和子は「あなたは東海メールのマリア様ね。」と留奈子先生に言われて喜んでいる。和子の今回の奮闘ぶりは良くご存知のようだ。「嘉文」に入って行くと、みんな、びっくりである。大拍手のうちに、留奈子先生のスピーチが始まる。お礼のお言葉が全員の心に身に沁みる。「田もさぞ喜んでいることでしょう。」みんなと握手をされて、お帰りになろうとすると、なんと「行け地のはてまで」の大合唱が沸き起こるではないか。私はすかさず留奈子先生に「指揮していただけませんか。」留奈子先生がさっそうと振り始められる。その力強くあざやかなこと。須賀先生、今井先生始め全員、夢中になって高らかに歌う。良い気持ちだ。フラッシュの嵐。そりゃ興奮するわな。留奈子先生の指揮で「典礼聖歌」を歌えるなんて、輝かしい機会、孫の代まで語り継げる自慢話となる。大拍手、万歳の歓呼のうちに「嘉文」を後にされる。イタリア料理店までお送りする。「門前の小僧で私も指揮出来るのよ。」とご機嫌である。いやー実に素晴らしい指揮ぶりだった。 21:55 お開きの時間である。須賀先生の指揮で「遥かな友に」を歌ってお別れだ。「嘉文」を出て階段のところで写真を撮る。嬉しくて大騒ぎである。みんな良い顔をしている。再会を祈って解散だ。「ひたすらないのち 愛知演奏会」は終わったが、また、新たな「高田音楽」の栄光を求めて進もう。 次は2010年の「田大会」だ! |
「ひたすらないのち 愛知演奏会」ご感想 總集編。
2005.9.19. 9:27 都築義高 「このたびは、"ひたすらないのち 愛知演奏会"にご出演いただきありがとうございました。正に奇跡の夢の演奏会が実現し、大成功しましたこと、皆様のおかげと厚くお礼申し上げます。また、楽屋、進行その他、数々のご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます。反響はすばらしく、感嘆の声が上がっております。留奈子先生は何度も何度も感謝の言葉をおっしゃってみえます。懇親会での、留奈子先生の指揮で歌った「行け 地のはてまで」は、一生の思い出になりましたね。また、ご一緒に歌える日を楽しみにしております。」 "男らが 熱き心の 高田節"和音。 演奏会が終わって、お世話になった方達にメールやお手紙、FAXでお礼を申し上げたら、感動的な、お返事をたくさん頂きました。その中から、主なものを選んで要旨だけを、ご紹介させていただくことにしました。一部を省略させて頂きましたことを、お許し下さい。
☆コール・フロイデの内田千佳子さんは、私のお礼のメールより早い。一番乗りでした。
2005.9.19。 10:39 ヴェルフィーヌ 中村桂子 様
2005。9。19。 12:04 感謝!感謝!感謝!大感謝! やまびこ 鈴木きよし 様
2005.9.19 15:18 大感謝。 滋賀男声合唱団 団長 亀村弘夫 様
2005.9.19 16:20 京都男声合唱団 三宅正房 様
2005.9.19 22:17 所沢メンネルコール 金子英二 様
2005.9.19. 23:54 新居浜混声合唱団 細川真由美 様
2005.9.20. 9:04 刈谷女声コーラス 平松智子 様
2005.9.・20 9:58 大感謝 市川男声合唱団 渡邉 清 様
2005.9.20。 10:03 クール・ビシェット 佐々木香代子 様
2005.9.20. 11:58 金沢市中央公民館合唱団 本多大和 様
2005.9.20. 12:24 仙台・元寺小路教会 園部眞知子 様。
2005.9.20. 15:51 鷹来女声コーラス・エッレ 加藤美南子 様
2005.9.20。 16:01 東海メールクワィアー、いそべ男声合唱団 バス 辻 純一郎
2005.9.20. 23:30 やまびこ男声合唱団 西澤睴雄
2005.9.21.2:00 女声アンサンブルアトリエ 花戸朋子 様
2005.9.21. 2:23 原コール・フリンメル 平山和代様
☆ ☆ ☆
素晴らしいお便りの数々を宝物として、これからも諸先生方、東海メールの仲間共々、「田音楽継承活動」に力を注いでゆきます。今後とも、ご支援下さい。また、ご一緒に歌えることを願っております。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」
東海メールクワィアー 会長 都築義高
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第1回
4月2日 | 6:30 | 起床。昨夜は興奮してあまり良く眠れなかった。昨夜、木島先生から「ソレムから無事帰着。」の電話あり。これで一応安心。でも時差ボケよ。とのこと。何事もなければよいがと思ったのだが。しかし、この二週間「参加団体の参加者確認」にはじまり、「スケジュール」「参加者名簿」「須賀・木島先生との連絡応答」「南山大学の西脇神父との連絡応答」「東海メールの川瀬・鈴木・水貝氏との連絡応答」「参加者ご案内」「詩篇参加者への連絡案内・応答」「参加者名簿の訂正・最訂正」「参加者宿泊ホテルリスト」「参加者行動表」「座席指定表」「最終ご案内」そして昨日の、東海メール担当者への「最終連絡レジメ」に至るまで何通のEメールを発信したことだろうか。数えてみたら1000通に達していた。しかし、みなさんも良くつきあってくれて、丹念に応答してくれた。名簿は7回訂正した。水貝さんには「会長あまりメールが多くてどれが最終かわかりません」と泣きつかれ、川瀬さんは「日付けで確認するのだ」と平然。須賀先生は「都築ファイルが作ってあるのだ」。みなさんに迷惑かけましたが、Eメールのおかげでスムースに行くのだ、と信じて。 |
11:45 | 名古屋中央教会着。東急ハンズで「座席表示作成用紙」を買っていたので須賀先生との待ち合わせ時刻に遅れる。塩田さんがすでに待っておられて、一階に待合室を設けておられた気配りに驚く。急に「オルガンコンサート」が練習会場の二階聖堂で12時40分まで開催されることが判明したので一階に部屋を借りてくださったのだ。中央教会の責任者、鈴木先生に、須賀先生と塩田さんとご挨拶に行く。鈴木先生に「こういう時にこの教会で神を讃美する歌を歌ってくださることは喜ばしいことです。」とのお言葉を賜る。須賀先生が「名古屋へきたら山本屋の味噌煮込みうどんだ」。ので水貝さんと三人で中日ビル地下の山本屋へ。奇跡的にすぐに座れる。これは幸先良い。力を付けて中央教会へ戻る途中、地下道で詩篇レッス受講者、グリークラブ香川の指揮者鬼無律友さんと出会う。鬼無さんは明日、演奏会があるのにかかわらず駆けつけてくださったのだ。須賀先生の指導を受けたい一心である。 | |
12:15 | 中央教会には、もう京都男声の野田さん、宮崎フルトンの荒川さんが到着されている。練習会場担当者の曽我さんと座席指定表示作成にかかる。ぞくぞくと詩篇レッスン受講者が到着。木島先生が華やかにパリ購入新ファッション?で登場。役者は揃った。 | |
12:55 | 東海メールをはじめ滋賀男声、所沢メンネルコール、京都男声、やまびこ男声の西澤さん、鈴木さん。大分・南蛮コールの団体参加メンバーも集まってきた。名古屋中央教会はテレビ塔のすぐ南側、名古屋の中心街にある、歴史の古い簡素だが立派な教会である。地下鉄栄駅下車1分という絶好のロケーション。我が団のバス、塩田さんはこの教会の重鎮である。綺麗な西脇神父デザインの名札が出来てきた。「ひたすら愛知」参加者個人のナンバーが決定している。私は「B1047」である。バリトンの47番目ということだ。川瀬夫人による楽譜販売も始まる。ご苦労様です。 | |
13:00 | いよいよ、史上初の男声による詩篇レッスンのはじまりである。メンバーを紹介する。名古屋のオペラ歌手で合唱指揮者の神田豊寿さん。所沢の長谷川さん、井花さん。京男の野田さん。香川の鬼無さん。宮崎フルトンの荒川さん。大分・南蛮コールの国家さん。の7人が受講者である。長谷川さんと神田さん以外はEメールで口説いた方達である。よくぞ集まってくださいました。絶対に勉強になりますからと説得したのだが、成果やいかにと見守る。東京から駆けつけた高田典礼聖歌の信奉者、北村正之さんも真剣な表情。曲は「エルサレムよ、おまえを忘れるよりは」からはじまる。全員が一人ずつ順番に須賀先生の厳しいご指導を受ける。みなさん、楽譜は勿論読まれてきているが、詩篇歌唱は簡単ではない。須賀先生は歌詞の意味、聖書の内容などを話されながら丁寧に初心者向きに根気良く指導される。「主は豊かなあがないに満ち」「谷川の水を求めて」と進む頃には形になってきた。「主はわれらの牧者」が最後に各団の答唱と相呼応して「典礼聖歌」の豊かな世界が形成されてゆく。受講者は詩篇とはこれほど底が深く内容がとてつもなく廣い世界を持つものかを実感して感嘆の声を挙げていた。故に一朝一夕にはゆかない。でも今回、その扉は開けられたのだ。 | |
15:30 | 詩篇レッスンが終わり休憩に入る。流石に須賀先生もお疲れのご様子。ホテルでお休みいただく。東海メールの曽我さんが座席表示の紙を貼る作業にかかる。今回は各団をばらばらに混じってお座りいただくように座席表を前もってEメールで各団に送っておいたのだ。初めて典礼聖歌を歌われる方も、お見えなので指定席にした。効果が出ることを祈る。東海メールの名テノール、高田先生に詩篇歌唱をほめられた中世古さんが、「歓迎 ひたすらないのち愛知演奏会 ご一行様」の旗をかかげての薄茶サービスである。詩篇レッスンで疲れたみなさんに至福の一服であったであろう。もうこの時刻には参加者のほとんどがこの中央教会の二階聖堂に入られていた。Eメール連絡だけなのでお顔を存じ上げない市川男声の団長渡辺清さんと旧来の友のごとく握手を交わす。一週間前に練習に伺った滋賀男声の亀村団長はじめ団員のみなさんと声を交わす。大阪メールクワィアー代表の具志堅さん(前東海メール団員)と今後の練習スケジュールの打ち合わせをしていると、この後、16時から講義する予定の西脇純神父が原稿を校正しているので、ちょっと貸して、と取り上げて(純ちゃん、すみませんでした)具志堅ちゃんが「コピーしてきやるわー」というので頼んでコピーに行ってもらう。さすが凄腕マネージャ−。堂内に127名の熱気が渦巻く。よくぞ集まってくださった。身体が震えてくる。遂に、遂に、実現したのだ。 | |
15:55 | 開催に先立ち名古屋中央教会の鈴木重正先生にご挨拶いただく。感銘深いご挨拶に、全員なにか大事なことが起こるのを感じる。須賀先生、木島先生をご紹介した後、各団と個人参加者を紹介する。なんと東北の八戸メンネルコールの類家さんが参加されているのが判明。私も全員もびっくり。半年前に全国の合唱関係者と高田音楽に関心がある方にEメールでこの会があることはお知らせしてあって、その中に八戸メンネルコールもあったのを思い出した。やって見るもんですねー。全員が驚きと感嘆の拍手で盛り上がる。連帯感満つ。 | |
16:00 | 西脇純神父(「ひたすらないのち愛知演奏会」の発案者で実行委員)の典礼聖歌について」の講義がはじまる。 | |
16:40 | 休憩に入り、各団の交流がはじまる。「ひたすらないのち愛知演奏会」のチラシが配布されチケットも販売された。各団が相当数、預かって行かれたようだ。チケット争奪戦になると思われるで、皆様も早く購入された方が良いと思います。 | |
16:55 | いよいよ、全員の合同練習に入る。「神を求めよ」からである。須賀先生の渾身の棒に祈りが籠もる。木島先生のオルガンの響きは気迫に満ちる。127名の男声による「高田典礼聖歌」が名古屋中央教会に響き渡った。「ひたすらいのち 愛知演奏会」への道を127名の男達は歩きはじめたのだ。高田先生の栄光を求めて。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第2回
田先生との特別に予定された出会い 1987年、40周年を迎えた翌年は定期演奏会が開けなかった。東海メールは迷っていた。1985年に故永井前会長の後任として会長を仰せつかった私は中部日本放送テレビ制作のプロデューサーとして、ザ・ベストテンの生中継や演歌番組からヴァラエティー、クラシック番組まで週二本の番組を制作していて、心身ともに超多忙であったが気力は充実していた。低迷している原因は常任指揮者制による企画の束縛であった。そこで思い切って常任指揮者制を廃止し、作曲者自身による作品・指揮の演奏会を企画した。第一回は石井歓先生で団員の眼も輝いてきた。次に名古屋のご出身ということもあって、田先生に団の現状を書いてお願いのお手紙を出した。1990年6月のことである。 数日をへて田先生からご承諾のおハガキが届いた。これから東海メールの再生が始まった。田先生のご指導は凄く厳しかった。一瞬も気が抜けない。私たちは自分自身と対決することを常に迫られた。田音楽に全力を尽くして立ち向かわなければならない。田先生は私たちの心の中に深く入り込み、魂をゆさぶって下さったのだ。東海メールは田先生と一心同体となり、生まれ変わっていった。幸運なことに、東海メールのOB、須賀先生のお力添えがあった。須賀先生は田先生がご高齢なのでステージの半分を指揮して下さることになったのだ。今、思うと田先生は、東海メール再生のために貴重な残り時間を使って下さったのだ。1991年7月、田先生が指揮された豊中混声合唱団が歌う「典礼聖歌」を聴いて、私は衝撃を受けた。この曲だ。この曲こそ、私たちが求めていた心を揺さぶる、感動の曲だ。 私は田先生に「典礼聖歌」の男声合唱への編曲を切望し、翌1992年5月3日、東海メールの東京演奏会で「男声合唱による典礼聖歌」の演奏が実現した。感動こそが人を救い動かすエネルギーとなる。35名だった団員は3年間で60名となった。 1994年3月田先生からお電話があり南山大学神言神学院の学生が司祭に叙階するにあたり、式の聖歌の指揮を頼まれたが男声が足りないので応援してくれないかと依頼があった。田典礼聖歌による叙階式も翌朝の新司祭による初ミサも感動的であった。私たちは「典礼聖歌」の意味と力の一端を知ることが出来、理解を深めたことに大きな意義があった。その時の司祭が西脇純神父である。純ちゃんは田先生に何回も何回も電話し切望して実現したのだった。東海メールの団員にトップテノールで浅野繁政さんという方がいた。この叙階式で歌った一人だが、この後「神の言葉(聖書)を宣べ伝える者になりたい」と会社を辞めて、西南学院大学神学部に入られプロテスタントの牧師さんになられた。浅野さんの耳には田典礼聖歌「呼ばれています」が常に聴こえ浅野さんを励ましていた。2002年2月17日北村正之さんの奥様で熱心な田典礼聖歌の推進者、北村佳代子さんの献身的奉仕で東京の聖イグナチオ教会大聖堂で「世界平和を祈るミサ アフガン難民支援チャリティーコンサート」が開かれ、第二部、東海メールクワィアーの「典礼聖歌によるチャリティーコンサート」(指揮:須賀敬一、オルガン:木島美紗子)の中で「エルサレムよ、おまえを忘れるよりは」の詩篇を、当時、病におかされていた浅野さんに懇願して歌っていただいた。心に響く絶唱であった。 その年の11月17日、浅野繁政さんは、帰天された。私たちは18日夕、日本バプテスト名古屋キリスト教会で須賀先生も参列され、鈴木順の指揮、木島先生のオルガンで田典礼聖歌「いつくしみと愛」を浅野さんに捧げた。 東海メールクワィアーによる「田典礼聖歌」のステージは11回に及ぶ。教会でのコンサートは名古屋・主税町教会(田先生が育たれたお宅のそば)に始まり、東京・カトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)、仙台・元寺小路教会、東京・聖心女子大聖堂の4回を数えた。各地の男声合唱団、南蛮コール、グリークラブ香川、金沢メンネルコール、大阪メールクワィアー、フルトン男声合唱団、京都男声合唱団、所沢メンネルコールでも「田典礼聖歌」が取り上げられ、人々に感動を与えて、その輪は全国に広がっている。 「ひたすらないのち 愛知演奏会」における「男声合唱による田典礼聖歌合同合唱」の企画・実現は、田先生と東海メールクワィアーと西脇純神父との15年にわたる永い縁と、全国男声合唱団との深い繋がりがあるのだ。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第3回
4月2日 | 16:40 | 西脇神父のお話しは随分オーソドックスだったが今回はお願いして入門編にしていただいた。なにしろ初めて「典礼聖歌」を歌われる方が多いので基本から入らねば。私も初めてじっくり聞くことが出来、勉強になった。各団に前もってEメールでお願いしておいたので演奏会のチラシを持参された。みなさんにお配りする。大阪メールは急遽コピーされたようだ。少しお願いするのが遅かったのでご迷惑をかけた。しかしPRのお役にたったであろう。なにしろこれだけの男声合唱団仲間がこの時期に集まって下さるのは奇跡に近い。チラシを見ると我が東海メールもそうだが2カ月後、3カ月後には定期演奏会を開催される団が多いのだ。これで今回の試みが成功しなかったら大変なご迷惑となる。早速、須賀先生の肩と足を揉みにゆく。我が団の渉外担当役員水貝さんが須賀先生にお茶を買ってくる。彼は元カリスマ旅行添乗員でケアーは天才的である。ホテルの手配からお迎え送り、常に気を配り微塵の隙もない。先生方の身体の調子を常に気遣っている。お茶も好みのお茶をちゃんと買って用意している徹底ぶりである。2日の日は自費で先生と一緒に泊まるという完璧のフォローである。水貝さんには、今回も各団のホテル手配をお願いした。一方、副会長の川瀬さんは内科医で川瀬医院院長である。現在、日本男声合唱協会の事務局長を務めている。素直に人の心を包み込む温かい信頼のおける人である。顔見知りも多いので各団の応対にあたってもらう。まかせておけば安心である。今回は多くの資料を用意した。お荷物になって申し訳なかったが貴重な資料で、今後お役に立つであろう。特に今回の特別練習会のために南蛮コールの指揮者、佐藤信夫さんに曲目解説を書き下ろしていただいた。須賀先生も感心されていたすぐれものである。是非手許において熟読されたい。 |
16:55 | いよいよ、全員の合同練習に入る。今回の曲目に関しては、それこそ十数回の打ち合わせ、論議を須賀先生と重ねた。半分以上が初めて「高田典礼聖歌」を歌われる方である。どれだけ理解していただけるだろうか。そして聴衆のみなさんに「男声典礼聖歌」の真髄をちゃんとお伝えすることが出来るだろうか。すべては選曲にかかっている。「神を求めよ」は導入としては最高である。これは文句なく決定。次に華やかに力強くゆこう。「天は神の栄光を語り」はどうか。詩篇の部分が全員で唱和出来るので勉強になるだろう。次に詩篇のソロのある曲は「エルサレムよ」と「谷川」の勝負になる。私が「先生、答唱部分が少ないから、暗譜できまっせ。」と頼み込む。みなさんの記憶力のスタミナも考えねばならぬ。「詩篇部分ソロはレッスンしてから決めればいいし、いざとなったら中嶌もいるから。」と説得。名曲だもんな。「おお 神の富」は高田先生も「これは男声合唱が一番良いよ」とおっしゃったほどの男声合唱向きの名曲。260人が良いピッチでユニゾンしたら凄いだろう。北村さんの言わせると「この曲は、東海メールが歌うまでは幻の名曲だったんですよ。」次が「神のみわざがこの人に」である。この曲に決定するのに一番時間をかけた。どれだけの方がこの曲の持つ意志と意味を理解し、この曲のメッセージ力の強さに耐えて歌えるだろうか。私は疑問だった。魂が入らねば演奏する意味はない。誤解を招くことになるのではないか。その試練に耐えることも今回の「特別練習会」の意義でもある。気合だけではなんともならない。その答えは明日3日の公開リハーサルで出るだろう。参加者の皆様のお気持ちにおまかせするしかないのだ。この難曲を和らげる意味で「ちいさなひとびとの」を置いた。この曲は高田先生が何度も典礼聖歌の指導に行かれた釜石市では全市民の歌として愛唱されている。南蛮コールの指揮者で別府聖書研究会佐藤信夫さんは、2004年10月9日の福岡国際会議場における、無教会全国集会2004・福岡「生きるキリストと共に」で"「ちいさなひとびとの」との出会いについて"という題で歌唱指導された。「多くの方々が高田三郎のフアンになってくれました。しかし、今日まで高田三郎のライフワークが典礼聖歌だとは知らなかったと感激しておられました。また、キリスト教の高校の校長先生がうちの高校では教職員全員が大事な行事では必ずこの「ちいさなひとびとの」を混声四部で歌うのですよ、と教えてくれました。われわれには見えないけれども、歌詞にある「一つの輪」というのはこういうことをいうのかと思わされました。」とお手紙にありました。最後はもちろん「行け 地のはてまで」で決まり。いそべでは打ち上げ、宴会の最後はこの「行け 地のはてまで」を歌ってお開きだそうだ。私もバスの落合さんとのお別れはこの歌を歌って再会を誓う。別れの歌ではない。戦いの地に赴く男たちを力づける聖歌なのだ。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第4回
「男声合唱のための典礼聖歌」楽譜出版のこと。その1 田留奈子先生から4月14日 8時25分にFAXを戴いた。 「典礼聖歌の合宿のお写真 大よろこびで拝見いたしました。木島さんからもすばらしい会だったと お電話いただきました。すごい!すごい!としか言ません。夫(勿論、田三郎先生のこと)は何と しあわせ者なのでしょう。感謝!!」 北村正之さんの「典礼聖歌に寄せて」によれば「この日(2000年5月23日)、田先生はいきなり"宮沢賢治が法華経を1千部印刷して知己友人に分けるように遺言したことを知っているだろう"と切り出された。先生は演奏会当日(2000年の米寿コンサート)の5月21日に刷り上がったばかりの「混声合唱のための典礼聖歌」を持ち出され、"僕にとって法華経に当たるのは典礼聖歌だ。死ぬ時にはこの「典礼聖歌」を1千部、知己友人に配るよう遺言したいね。」とこともなげに言われた。妹の死を悼む宮沢賢治の絶唱「無声慟哭」を8年がかりでカンタータに作曲された先生は、あれほど多くの不朽の作品を残しながら「典礼聖歌」を配るように遺言したいと言われるのである。」 2005年4月11日現在で東海メールクワィアーが出版した「男声合唱のための典礼聖歌」の部数は第一集が1100冊、第二集が900冊、第三集が300冊。総計 2300冊に達した。
2000年の10月22日、田先生は帰天された。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第5回
「男声合唱のための典礼聖歌」楽譜出版のこと。その2 この「男声合唱のための典礼聖歌」楽譜出版を「田三郎先生追悼事業」の第一弾としたのだが、同時に「東海メールクワィアーによる 田三郎男声合唱作品集」のCDを出すことにした。典礼聖歌の楽譜を出すのに音源も必要だということだったのだが、よし、これを機会にこれまでの「田作品の演奏」をCD化しょうと思いたった。これも2001年の6月24日の第44回定期に間に合わせよう。これを逃すとみなさんに購入していただく機会は少なくなる。楽譜出版と同時進行の大車輪の活動が始まった。「男声合唱のための典礼聖歌」の楽譜は、まず田先生の指揮で歌ったものを収録することにして、手元にある楽譜を永岡さんに浄書してもらう。2000年11月18日に須賀先生から「神のみわざがこの人に」の男声合唱編曲譜がFAXで届いた。表紙に田先生自筆で「須賀敬一様」と書いてある。この曲は2001年2月に開催された須賀先生の古希を祝うジョイントコンサートのために田先生が書かれたもの。2000年10月11日、田先生の米寿のお祝いの小宴で、須賀先生に手渡された。私も同席していて、田先生のお気持ちに感動した。今回の楽譜出版のために須賀先生が編曲してくださったのだ。須賀先生の意気ごみもすごい。是非加えよう。楽譜作成の永岡さんの苦しみたるや想像を絶したであろう。しかし彼は「神のみわざ」以外は全曲歌っているので、歌いながら作成したのであろう。楽譜を作成しては須賀先生に校正してもらう作業がえんえんと続いた。12月5日に須賀先生から第44回定期演奏会「田三郎追悼ステージ」の選曲案がFAXされてきた。須賀先生の案の6曲に絶筆「神のみわざをこの人に」を加えることにした。田先生から須賀先生へ最後に託されたメッセージを東海メールが聴衆に届けなければ。2001年5月29日に鈴木順さんからFAXが届いた。CDの曲目を私と相談した案にもとづいて決めたのだが、なんと3枚組みになってしまった。「戦旅」の音源は、高田先生のお孫さんが激賞してくださった2000年の「ひたすらないのち東京演奏会」の演奏を是非、入れたかったのだが、ビクターからCDで出ている関係上、使わせてもらえるかを、問い合わせ中だったのだ。どうなるか。5月30日に「ひたすらないのち東京演奏会」実行委員会の箕島さんからFAXが届いた。「本日、宅配便にてマスターテープを送付致しました。ビクターより本日、届きましたため送付が遅くなりました。」簑島さんが努力して下ったのだ。やった。遂に音源は揃った。6月4日に川瀬さんから「典礼聖歌楽譜の件」でFAXが届いた。「JASRACに行ってきました。著作権申請については間に合いそうです。明後日手続きに行きます。平行して作成の準備を進めなくてはなりません。うまくいけば定演に間に合います。須賀先生に校正を至急お願いしなければなりません。」川瀬さんは肝臓専門医で川瀬医院院長である。鈴木順さんは会社社長である。激務の二人が一生懸命、この「田三郎先生追悼事業」に尽くしている。永岡さんも多忙の中、寝もやらず細かい作業に打ち込んでいる。私は胸が痛くなった。しかし、やり遂げねばならぬ。後、20日しかない。果たして6月24日までに楽譜とCDの出版は、間に合うのだろうか。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第6回
「男声合唱のための典礼聖歌」楽譜出版のこと。その3 6月4日に私も楽譜に掲載するメッセージを印刷の金森さんにFAX。片山和弘さん(1975年入団)の熱情溢れる名文「東海メールクワィアー わが典礼聖歌」も届いた。川瀬さんがJASRACへ行ってくれてる間に、そのほかの権利をクリアーしなければならない。田先生以外の歌詞は典礼聖歌委員会作である。典礼聖歌委員会に留奈子先生から連絡していただいた。6月7日の21時50分に留奈子先生からFAXが届いた。内容は「典礼聖歌編集部の宮越さんと連絡がとれ、カトリック中央協議会から書類を送るから、至急記入して提出してください。」というものだった。歌詞の著作権は「アカシ書房」にある。留奈子先生自ら面倒なことを処理していただいた上に、連絡が遅れたことのお詫びまで先方にしていただいたのだ。その上、私宛のFAXに「いろいろご配慮ありがとうございます。」とまでしたためてあった。涙が出た。こちらの一方的突っ走りに正面から応えてくださった深いお心だった。同時に楽譜に掲載するメッセージも頂いた。「(前半略)これからも、多くの典礼聖歌が男声用に編曲され、出版されることを心から望んでおります。この分野は、主人が望みながらも果たすことができませんでした。須賀先生によって、主人の遺志が果たされますことを感謝しております。 男声合唱のための典礼聖歌の出版にあたって田留奈子」原稿用紙に手書きのこの原稿は大切にとってある。生前、田先生は「東海メールクワィアーによる典礼聖歌の録音」を望んでおられたと留奈子先生からおききした。その夢は叶わなかったけれど、この原稿にあるように「男声合唱による典礼聖歌の出版」は田先生のご遺志に適うことである。この原稿を読むたびに心は振るい立つ。6月7日に印刷の金森さんに題名は「男声合唱のための 典礼聖歌」とすることと、掲載曲目の決定をFAXした。6月8日にJASRACから6月7日付けの著作権物使用許諾書が届いた。川瀬さんのすばやい手配の賜物だが、JASRACの担当者も良く早く対応してくださったものだ。7日の東海メールの練習時に須賀先生に永岡さんの浄書楽譜の第一稿を手渡しし、各自確認作業に入る。木島先生にもオルガン譜の点検でご尽力いただいた。定期での典礼聖歌の練習も熱を帯びる。8日に須賀先生から早速永岡さん宛て、FAXが入る。「昨日はお疲れさま。新しく頂いた楽譜 3箇所訂正お願いします。@「いつくしみと愛」4小節3拍目T2 F♯→A 」など。CDの製作も最終段階に入っていた。6月8日に製作元のアールミック/ジョヴァンニ・レコードの木村さんから鈴木さんへメールが入った。「CDマスターのデジタルデータ分編集終了。テープマスターのマスタリング8割終了。(「戦旅」の)ビクターマスター明日着予定。スケジュール的には当初予定の一週間の遅れぐらいです。CDプレスは12日には工場へ出さないと時間的にぎりぎりです。」後、4日だ。間に合うだろうか。楽譜の方は6月11日に典礼委員会の宮越さんから歌詞の「著作権使用許諾申請書」が届いた。FAXで「許諾申請書」の内容下書きを宮越さんに送り、承諾を得て「許諾申請書」を宅配便で送る。郵便では間に合わない。その11日14時37分、須賀先生から永岡さんにFAXが届いた。「もう一つ見つけました。「いつくしみと愛」冒頭 バリトンにもヒゲをつけて下さい。」最終段階に来ていた。一方、定期演奏会のプログラムも作らねばならぬ。金森さんも大変だった。14日に宮越さんから、歌詞の著作権が許可された書類が到着した。この楽譜の出版意義を認めていただいたので間に合わせてくださったのだ。なにもかもが、いっときに動いていた。しかもこの年、4月27日から5月5日まで北欧演奏旅行に出かけていたので、各自の仕事は相当程度たまっていた。その多忙の中、全員がそれぞれの分野で必死に働いた。期限が迫っていただけテンションは上がっていたのだ。みんなを激しく突き動かしていたのはなんだったろう。それは、田先生への湧き上がってくる追慕であった。CDは木村さんの懸命なご努力でかろうじて間に合い、定期演奏会当日、会場へ運び込まれた。楽譜は多分に見切り発車であった。須賀先生の意に適わなかった点が多々あったことを、お詫びしたい。ようやく完成した楽譜「男声合唱のための 典礼聖歌」は、2001年6月24日の第44回定期演奏会に間に合った。この初版楽譜を手に、「高田三郎先生追悼ステージ」をみなさんに聴いていただくことが出来て本当に良かった。私たちは、ステージ袖に祭壇を設け、田先生の遺影を飾り、両側に花を置き、田先生の前にビールを注いだ杯と、出来たての楽譜「男声合唱のための 典礼聖歌」を捧げた。全員が祭壇に祈りを捧げて、ステージに向かった。清清しい気持ちだった。出来るだけの事はやった。「高田三郎先生追悼事業」はこうして始まった。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第7回
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その4 定期演奏会では「田三郎男声合唱作品集」のCDは1セット4500円という高額にもかかわらず50セットがすべて完売。「典礼聖歌」の楽譜も30冊売れた。なんと幸せなことだろう。多分、だめだろうと、少な目に持ち込んだすべてのCDと楽譜は売り切れた。私たちの必死の努力は認められた。いかに「男声田音楽」が待たれていたかを示す画期的な出来事だった。私たちが信じた「田男声典礼聖歌」は、受け入れられた。人々の心に届いたのだ。聴衆のみなさんが一人一人、この活動に賛同してくださり、CDと楽譜を購入してくださったのだ。感動されたのだろう。これに力を得て、私は次の計画を考えていた。 第44回定期演奏会が終わって四日後、竹山友枝さんという未知の方から、お電話をいただいた。「定期演奏会で田先生の典礼聖歌を聴き大変に感銘を受けました。私たちの教会では、田先生の典礼聖歌で祈りを捧げております。私たちの教会で東海メールの方々に田先生の典礼聖歌を歌っていただけないでしょうか。」どちらの教会ですかと、おたずねしたら「主税町教会です。」ということだった。待てよ、宮崎先生のお宅の近くではないか。確か、田先生が住んでおられたお宅もこの辺りでは。これは、なにか「予定された出会い」ではないのか。 早速、「主税町教会」へ出かけた。「主税町教会」は名古屋市東区主税町3−33。宮崎先生宅に通った時に降りた清水口バス停から歩く。暑い日だった。ああ、ここだったんだ。大きな門を入ると少し奥に聖堂と鐘楼が静かに微笑んで待っていてくれた。なにか日本風である。それもそのはず、この「カトリック主税町教会(被昇天の聖母聖堂)」は1887年(明治20年)フランスの宣教師テユルペン神父が名古屋に最初にカトリックの教えを広めるため、現在地にあった武家屋敷を買いとり、邸内のお長屋を教会として使用したのが始まりで、東海3県では最古のものなのだ。武家屋敷の長屋を聖堂に改修したので、聖堂内部はなんと「畳敷き」である。この中で「典礼聖歌」を歌うことが出来るのだろうか。 この2001年4月27日から5月6日までの第2回北欧演奏旅行にはラトビアのリガ、スウェーデンのストックホルムでの二つの演奏会のほかに私には、もう一つ目的があった。それは北欧の大聖堂で「田典礼聖歌」を歌うことであった。旅行に出かける6日前の4月21日(土)「田三郎先生 追悼ミサ」が東京カテドラル大聖堂で行われ、私たち東海メールは29名が参列し、須賀先生の指揮で「いつくしみと愛」を歌わせて頂いた。その響きと気持ちはみんなの中に深く残っていた。私は北欧の大聖堂で「田典礼聖歌」歌ったらどんな響きで、どんな気持ちになるのだろうか、と考えていた。5月1日、「田先生追悼ミサ」からちょうど10日目、リガのドム大聖堂で「いつくしみと愛」を鈴木順ちゃんの指揮で歌うことが出来た。鈴木順さんは第2回北欧演奏旅行記念文集にこう書いている。「私はリガのドム大聖堂で"いつくしみと愛"を指揮させていただいたが、歌い終わりの優しいハーモニーが教会の天井に吸い込まれていくのが確かに目に見えた。何年かにわたって歌いつづけてきた聖歌を、田先生の追悼ミサで歌ったわずか10日後にヨーロッパの大聖堂で歌い献納できたことは、得難い体験だったと思う。」バスの行松敏明さん(1987年入団、蓬莱小学校勤務)は「リガ大聖堂のパイプオルガンやステンドグラスはとても素晴らしいものだった。田先生の典礼聖歌を歌わせていただいたが、その響きが教会での演奏のために作られていると改めて感じた。」セカンドの嶋田浩文さん(1984年入団。少年少女合唱団「空」指導者)は「リガやストックホルムの大聖堂で典礼聖歌を歌っていて、何だか本当に自分が神に見つめられているような気がしたものです。」北欧の大聖堂で「田典礼聖歌」の演奏は、東海メールの連中をまた新たな次元に誘ったようだ。このように、なにがどうしたのでもない自然な流れが、新たな展開を作ってゆく。「田先生追悼ミサ」以来、みんなの胸の中には、ずっーと「田典礼聖歌」が奥深く響いていたのだろう。そして、その響きが「田典礼聖歌男声版」を世に広めようという気持ちを突き動かしていたのだ。その活動は聴衆のみなさんの心に届き、50セットのCDと30冊の楽譜が完売になったのだった。東海メールの団員が田先生に出会って以来、育んだ気持ちは「高田先生追悼ミサ」、北欧演奏旅行での聖堂における湧き上がった「高田典礼聖歌」の演奏につづき、第44回定期における追悼ステージで結実する。何か大きな波が起こっていた。その波が教会での「典礼聖歌コンサート」へと続いて行く。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第8回
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その5 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第一回 2001年6月の第44回定期終了後、竹山友枝さんのお導きで「カトリック主税町教会」に出かけ、「教会コンサート」のお申し出を受けた。ひよっとしたらと思ったが、田先生が少年時代に住まわれたお宅の前にあった教会は「愛知教会」で「主税町教会」ではなかった。でも主税町教会は田先生が幼少の日々を過ごされたお宅を向いて立っていた。私は竹山さんのすごく真剣な眼差しに感銘を受け、とりあえず文書で依頼状をいただけだけないかと告げ、その日は帰ってきた。7月18日に、カトリック名古屋教区主税町教会 信徒会会長 榊原幹夫さんからFAXを頂いた。「突然のお便りをさせていただきますことをお許し戴き、私どもの要請についてご検討いただけたら幸いに存じます。私たちカトリック主税町教会では、今年11月に"地域との交流会"としてミニ・コンサートの開催を予定しております。主税町教会は、東海地区に於いて一番古くに建設されこの地域の信仰の発祥の教会です。日曜日には50名程度の老人子供の集まる小さな教会です。ミサの聖歌には、田三郎先生の曲を主に使用し、子供も大人も大変よく歌います。"地域との交流会"ですので、当日のためにはこの地域の新聞折り込み広告を入れ地域の皆様に来ていただき、貴合唱団の素晴らしい祈りの歌声にみんなで心を震わせたいと思います。十分なお礼などもできませんが、もしいろいろな条件にお譲り頂けましたら、是非お願い申し上げたいと思います。11月11日(日)か18日(日)はご都合いかがでしょうか。ステージは、祭壇の部分をお使い戴いたらどうでしょうか。本来祭壇は、その様なことに使いませんが、貴合唱団の歌声は祈りそのものであることで、神父様からもご許可をいただくことができました。聴衆席は120名が限度ではないかと思います。オルガンを必要とされるならALLEN DIGITAL COMPUTER ORGAN(CHURCH ORGAN)を使用しています。以上勝手なことばかり申し上げましたが、ご検討戴き、是非良いお返事の頂けますことを祈念いたします。」心のこもった文章に感服した。我々にどれだけのことが出来るのだろうか。しかし、このお話は田先生のご先導であるかも知れぬと考えた。田先生のCDと楽譜が定期演奏会で完売したこと。竹山さんが演奏会の「典礼聖歌」を聴きにきてくださり、ご自分の「田典礼聖歌」で祈りをささげている主税町教会の方々に、教会では歌ったことのない東海メールの「典礼聖歌」を聴いてほしいと願われたこと。しかも、この主税町教会は、この地域の信仰の発祥の地であり、田先生のお宅に向かって立っており、宮崎先生旧宅のお隣りである。これは偶然ではない。田典礼聖歌を歌い続けておられる三沢みよ子さんに尋ねたら「私の通っている教会では最近、田典礼聖歌を歌わなくなったので、主税町教会へ歌いに行っているわよ。」ということだった。へえー。そうなのか。田典礼聖歌はすべてのカトリックの教会で歌われているのではないことを、その時知った。これは、やらねばならぬ。時期が11月でどうですか。ということであったが、えっ!!11月は4日が伊丹でバッカスフェスタ、11日が嶋田君の「空」合唱団定期を松原先生が指揮されるので賛助出演。24日が日本男声合唱協会創立30周年記念第15回演奏会「JAMCA in 石川」に出演、という東海メール始まって以来の超過密スケジュールである。そうなると、もう11月の18日しかないではないか。しかもこうなると、4週連続で伊丹と金沢にも出かけねばならぬ。北欧へ行って来たばかりだしなあ。でも、田先生に呼ばれている気がするし。よし、これは、まず須賀先生にお願いするしかない。お電話すると快諾された。木島先生は大乗り気であるが、「教会でコンサートするなら、ミサ曲やらなあかんで。」ミサ曲なんてないがな。「ミサ曲 T、があるけどね。」うーん。須賀先生に、ご相談すると「"やまとのささげうた"はどうかね。」あーツ、これだ。田先生が、1963年に作曲された最初の典礼聖歌で浄土宗の「経文」「来迎和賛」「詠歌」ほかが、旋律的特徴の源となっている。田先生が小学校時代に浄土宗のお経を覚えられたお宅の近く、畳のヴァージンロードを持つ教会で「男声合唱による高田典礼聖歌コンサート」を開催するのにふさわしい曲は、この「やまとのささげうた」しかない。しかし、スケジュール、練習日程に練習場所とり、編曲と楽譜、団員への説得など、難問山積である。果たして、この「主税町典礼聖歌コンサート」は実現できるのだろうか。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第9回
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その6 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第二回 2001年11月18日しか主税町教会コンサートの日はないと思ったのでいろいろ、実現方法を考えた。まず石川JAMCAの曲に典礼聖歌を加えることにしよう。そして主税町教会を借りて、石川の曲の練習と同時に「主税町教会コンサート」の曲目を練習しよう。石川の曲目は「東京・ひたすらないのち演奏会」で好評の「戦旅」に典礼聖歌を加えることにした。石川県立音楽堂コンサートホールにハイ・レヴェルなパイプオルガンが据付られることが分かったからである。そこでおそるおそる須賀先生に「やまとのささげうた」の編曲をお願いした。「分かった」とおっしゃって、それから15日後、8月2日に私の自宅に須賀先生から大封筒が届いた。ななんと、封筒の中身は「男声合唱のためのミサ賛歌 やまとのささげうた」であった。「東海メールクワィアーのために 須賀敬一 2001.7.31」と記してあった。須賀先生はこの「やまとのささげうた」の編曲のために四国の実家にこもられて、ひたすら編曲に打ち込まれたのだった。このお気持ちに応えねばならない。よし、決心した。この「やまとのささげうた」を中心に楽譜「典礼聖歌」第二集を発行しよう。第一集がこの定期で30冊売れた。パナムジカに勤めている東海メールOB服部さんに頼んで第一集をパナムジカで扱って貰うことにした。東海メールの初出版物である「典礼聖歌」楽譜を服部さんはとても喜んでくれた。東海メールのピアニストであったカワイに勤めている荻野千恵実さんに頼んで栄・テレビ塔西のカワイショップにCDと楽譜を置いてもらった。これがコンスタントに売れて行く。この勢いだ。第二集の曲目は「神はキリストのうちに」と「父はいる」の田先生編曲の二曲に須賀先生がこれまで書きためられた11曲を加えて、17曲である。「母は立つ(スタバートマーテル)」ほかの「聖母賛歌」が入っているのも特徴である。しかし、いつの間に須賀先生は男声用に編曲されていたのであろうか。田先生は私が「男声への典礼聖歌編曲」を依頼したとき逡巡され、須賀先生の勧めで編曲に踏み切られたことは以前に伺っていた。須賀先生は、「典礼聖歌」は男声が良い、男声合唱団こそが「典礼聖歌」に深く共感すると、確信されていたのだろう。この第二集楽譜を出版し、この中の曲を中心に選曲し主税町教会のコンサートと石川JAMCAに結集してゆこう。やはり楽譜は演奏してからじゃないと売れないと分かった。すぐに永岡さんに楽譜浄書作成を依頼した。なんと、永岡さんは夏休みを返上して超人的努力で8月20日には23曲の浄書を仕上げたのだ。留奈子先生のお言葉にあったように、この年の夏から秋、東海メールには不思議な力が働いていた。留奈子先生からお手紙で田先生の出生地は、名古屋市中区矢場町五ノ切六番地、その後、転居され名古屋市東区主税町二丁目六番地に、昭和7年(1932年)まで住まわれたことが判明した。8月20日の時点で田三郎男声合唱作品集CD三枚組の東海メール担当分は完売。「典礼聖歌」第一集は、南蛮コールの国家君が先の定期で東海メールの典礼聖歌ステージを聴いて感激して二冊買って帰り、団で検討し取り上げることに決定して40冊購入してくれたので、初版300冊も残り少なくなっていた。発売以来2カ月でほぼ完売だった。副会長の川瀬さんが診察で多忙の中、注文をとりまとめ、自宅に山のように積んである楽譜を自ら梱包し、郵便局へ足を運んで郵送する作業を毎日の如く続けてくれたおかげだ。片山さんも自費で相当数のCDと楽譜を購入して各所へ配布していた。この片山さんが贈った田作品CDの三枚目「典礼聖歌」の部分を聴いていただく「典礼聖歌コンサート」が、各所で開かれるようになっていた。その時は分からなかったが日本中で大きな反響が起きていた。10月に第一集は300冊増刷する。「典礼聖歌」第二集の発刊を決めたと同時に「啄木短歌集」と「この地上」の発刊準備に入った。東海メールでは一年先まで演奏曲目とスケジュールを決めてしまう。7月19日の時点で、12月27日までの練習スケジュールと曲目は、ほぼ決定。2002年の定期の曲目は田中信昭先生で「月ピエ」と「コンポ六番」。松原先生は、シベリウス、オルフ、プーランクとバルトークとなり、村瀬てるちゃん(1990年入団)の博識と独自ルートで、楽譜は入手済みで練習にかかっていた。8月に、11月11日は「空」の演奏会でプーランク演奏が決定。11月24日の石川JAMCAの合同曲は「学生王子」である。ここへどうやって「主税町教会」のコンサートと練習を、組み込むことが出来るだろうか。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第10回
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その7 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第三回 東海メールでは一年先まで演奏曲目とスケジュールを決めてしまう。2001年7月19日の時点で、12月27日までの練習スケジュールと曲目は、ほぼ決定。2002年の定期の曲目は田中信昭先生指揮で「月ピエ」と「コンポ六番」。松原先生は、シベリウス、オルフ、プーランクとバルトークとなり、11月11日は「空」の演奏会で松原先生の指揮でプーランク演奏が決定。11月24日の石川JAMCAは東海メール単独ステージのほかに合同曲は英語で「学生王子」である。11月4日の「バッカスフェスタ」もある。ここへ典礼聖歌だけで一時間以上は歌わなければならない「主税町教会」のコンサートと練習を、組み込むことは不可能だと思われた。この年には偶然に不思議なことが重なる。7月15日に豊田合唱連盟「合唱交歓会」が行われ、昨年2000年亡くなられた田先生を偲んで、女声合同「機織る星」「花野」、混声合同「白鷺」「蜘蛛」が須賀先生の入魂の指揮で演奏され、聴きにいった東海メールの団員も、改めて田音楽と須賀先生の指揮ぶりに深い感銘を受けた。北欧演奏旅行、定期と続き、その時、東海メールには合唱がこれまで以上に生活の一部になっていた。定期のプログラムには田先生への追悼文、バスの清水一郎さん(1985年入団)の「本当にそう思って歌っているのか。」村瀬輝恭さんの「田スピリッツは全ての音楽を生かす源」が、掲載されていた。東海メールには田魂が充満していたのだ。東海メール通信(村瀬輝恭編集、毎週発行)、6月28日発行、第694号を読まれた7月8日付けの北村正之さんの片山さんあての手紙にはこうあった。「(田典礼聖歌が追悼ステージに入った定期演奏会を聴かれて)男たちが生命をかけて歌う"歌のこころ"は、初めて聞く人々にも確実に受け止められている事実にも、改めて音楽の持つ力を考えさせられました。71人のメンバーがステージで歌い、聴衆が1500人に達したことも新記録であることを知りました。レセプションで都築会長とお話し、ことに・・・「水のいのち」も「わたしの願い」もすべて「典礼聖歌」だと私は思います・・・という条は、私の思うところと全く同じで心強く有難いことであります。さらに日本唯一の「男声典礼聖歌隊」と言い切っておられるのにも心おどり励まされる思い。天上の田先生も、顔をクシャクシャにされて"嬉しいじゃないか、あのバカヤローどもはとうとう日本唯一の男声典礼聖歌隊と名乗りやがった"と言っておられることでしょう。」7月24日には「主税町教会」での「典礼聖歌コンサート」は決定していた。8月2日付けで田留奈子先生からお手紙が届いた。「主税町教会で典礼聖歌をお歌い下さいますとのこと、主人は幼時から、ずっと主税町に(多分昭和十七年ころまで)住んでおりました。その地での典礼聖歌のご奉仕、どんなによろこんでいることでしょう。そのうち東京でもぜひお願いします。CDも楽譜も好調とのこと、ほんとにありがとうございます。次のご出版も楽しみにしています。なくなりましてから、ますます神さまのお恵が多く注がれているように感じます。皆様のおかげと心から感謝申し上げます。」留奈子先生はさぞかし驚かれ、喜ばれたことだろう。田先生がご幼少のみぎり住んでおられた主税町にある教会で東海メールが日本で始めて「男声合唱による典礼聖歌の教会コンサート」を行うというのだから。しかも曲は田先生が幼い頃に主税町の家で聞かれて覚えられた浄土宗の旋律も入っている「やまとのささげうた」の男声版編曲初演である。8月27日には「やまとのささげうた」の練習用楽譜が出来上がった。須賀先生の渾身の編曲楽譜が私宅に届いたのが8月2日、永岡さんが夏休み返上の浄書楽譜が出来上がったのが8月20日。楽譜係りの村瀬輝恭さんが一週間で印刷してくれたのだ。なんという凄いスタッフであろうか。鈴木順さん、高木秀一さん(1989年入団)両指揮者による練習に入った。いよいよ、「主税町教会典礼聖歌コンサート」を含む、東海メール始まって以来の4週連続コンサート出演への練習開始である。 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第11回
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その8 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第四回 2001年8月27日に大分で南蛮コールの第一回演奏会が開かれた。団長の国家さんは1961年から1967年の東海メールが3年連続コンクールで全国優勝した時期に在籍され、1999年に川瀬副会長と大分で再会、それ以来メールの定期を毎年聴きに来名。東海メールの田音楽に感銘を受け創立以来5年、満を持しての第一回の定期は「水のいのち」がメイン。そして「典礼聖歌」第一集を40冊購入して12月には典礼聖歌を歌うという。「典礼聖歌」の楽譜大量購入は南蛮コールが最初だった。片山さんにコーロファンタジアの宮下静江さんから8月28日付けで第44回定期のCDの感想が届いた。「典礼聖歌は前に聞かせていただいた時よりもはるかに表現が繊細に、また深みを増したと存じます。"神のみわざがこの人に"は、これが田先生が望まれたものだったのではないか と思われました。アンコールの"来なさい重荷を負うもの"は自然に涙が溢れました。東海メールで歌われる人々は幸せです。」9月に入った。「典礼聖歌」第二集に収録曲目を決定。 とりあえず出版までの仮楽譜で「やまとのささげうた」須賀先生編曲男声版の練習に入る。9月30日に須賀先生が見えることになっている。9月15日(土)にバス系パート練習、16日(日)に特別練習を組むことになる。練習曲は来年定期のオルフ、プーランク、シベリウス、バッカスの「学生王子」組曲、金沢JAMCAの組曲「戦旅」、そして主税町教会コンサートのための「典礼聖歌」の約27曲である。どうやって覚えるのだ。9月9日に田留奈子先生から「典礼聖歌」第二集のためのメッセージが届いた。「男声合唱によって歌われる典礼聖歌は、力強く、魂をゆり動かし、きく人の心に強い感銘を与えます。夫は生前刊行する予定であったCDにぜひ東海メールクワィアーによる典礼聖歌を収録したいと考えておりました。それを実現できなかったことは大変残念に思いますが、楽譜の刊行により、日本中にひろく歌われるようになりましたことを、どんなにか喜んでいることでしょう。今回、第二集の刊行に当たり、心から感謝申し上げると共に、更に第三集、第四集と続けて世に出されることにより、歌う人にも、きく人にも、真の平和と幸福がもたらされますようにと大きな期待を抱いております。」2005年7月19日現在、第一集は、六刷、1100冊、第二集は四冊、900冊に達した。9月11日は須賀先生から同じく「典礼聖歌」第二集のためのメッセージが届いた。「東海メールクワィアーは田三郎先生に出会い、そのご指導を受けることで蘇った。自他ともに認めるところである。合唱団ではそのご恩を記念し、次々と追悼事業を展開しているが、典礼聖歌男声譜の出版もその一つである。大手出版社では採算が合わない男声合唱曲、まして聖歌集である。採算を度外視したこの行動は、先生のご指導でその偉大さを知ったこと。なによりも記憶に生々しい感動が、彼らを衝き動かすからであろう。その感動を、同じ合唱を愛する仲間たちと共有したいとの止まれぬ願いからであろう。この集には第一集に納めることができなかった先生ご自身による珠玉の編曲が2曲含まれている。その他は私が長年折に触れて書き溜めたものに、新しく「やまとのささげうた」を加えることとした。それは仏教和賛の旋法によって書かれたこの異色のミサ賛歌に、心を打たれた都築会長のたってののぞみがあったからである。」 |
ドキュメント「2005・4・2〜3 典礼聖歌特別練習会」第12回
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その9 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第五回 2001年9月11日に大事件が起きた。ニューヨークの同時爆破テロである。なんという時代であろう。平和への祈りを一層、強めねばならない。桐生市の高橋千代子さんから片山さんへお手紙が届いた。「主の平安。この度は貴重なコンサートのCD(第44回定期など)を沢山お送り下さいまして、本当にありがとうございました。この間、田先生に思いを馳せながら、じっくりCDを聞き、プログラムを見、追悼文集(東海メールでは団員から募集して田先生追悼文集を編んだ)を読み、"三郎の世界"に浸りきる事ができました。皆様と強い連帯感をいただき、又、それが非常な慰めとなりました。本当に感謝しております。CDを聞かせていただきまして、音楽的にも精神的にも格段に皆様が成長されていることを感じました。先生の音楽を大切に大切に魂をこめて表現されていることがよく分かります。先生のお目がねにかなった合唱団、先生の身内であり、非常に愛された合唱団・・・。とてもうらやましく思いました。私共は田舎の小さな教会の聖歌隊。東海さんとは比較になりませんが、力がない為、先生がおいで下さるというのを何度もお断り致しました。がっかりさせたくないという気持ちとこの力量では、ご指導について行けないという判断からでした。 どうぞこれからも田先生につちかわれた精神を大事に、いつまでも仲良くハーモニーを重ねて下さいね。 ―アメリカでは大事件があり、株が下がり、悪魔の力を感じます。聖歌をもって少しでも、この世界が清められますように。―」 9月20日に留奈子先生から「田先生 一周年祈念ミサ」のご案内が届いた。10月21日(日)ニコラ・バレ修道院聖堂でとりおこなわれるとある。もう、田先生が亡くなられてから1年近くになるのだ。その20日(木)に須賀先生の久しぶり練習があった。「やまとのささげうた」から「あわれみの賛歌」「栄光の賛歌」を練習したのだが、初見なのに「典礼聖歌」は、なんとか形になる。田先生に薫陶を受けた精神は、健在である。須賀先生のご指導で典礼聖歌が歌える幸せを満喫。須賀先生がすごく嬉しそうだったので、こちらもうれしくなる。9月3日の須賀先生の70歳の誕生日をバースディケーキと「ハッピーバースディ」の合唱で遅ればせながらお祝い出来た。10月22日に刊行予定の「典礼聖歌」第二集が、須賀先生、木島先生、永岡さん、金森さんの献身的努力で、いよいよ最終校正に入った。私はどうしても、10月22日の田先生一周忌に「典礼聖歌」第二集の出版を間に合わせたかったのだ。11月18日に決定した主税町教会での初めての「典礼聖歌コンサート」の曲目を決めなければならない。木島先生に、オルガン独奏をお願いすることにしよう。曲目は、第一部「いつくしみと愛」「あわれみの賛歌」(やまとのささげうた)、「栄光の賛歌」(やまとのささげうた)、「母は立つ」「わたしは門の そとに立ち」「愛の讃歌」。オルガン独奏がバッハ「主よ 人の望みの喜びよ」「トッカータ 二短調」。第二部「おお 神の富」「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」「呼ばれています」「神のみわざがこの人に」「平和の祈り」そして、会衆とともに「神を求めよ」となった。全12曲。そのうち第二集に収める新曲を4曲歌う。9月30日に、特別練習を組んだ。須賀先生と木島先生にご無理をお願いして来ていただいた。練習後、主税町教会に下見に行くことにしたのだ。30日の練習は午前中がJAMCA石川のためにピアノをお願いした中村先生に来ていただいて「戦旅」。中村先生の曲の内容を知りつくしたピアノに支えられて、須賀先生の的確指導で核心に入っていける楽しさ。午後の典礼聖歌は、15時に駆けつけてくださった木島先生が加わって「田いのち」が更に吹き込まれる。須賀先生は、この日のために綿密に練習計画を立ててくださったので、効率良い練習ができた。ほとほと感心し、大感謝。プロの指導者に恵まれて、東海メールに本当に幸せである。過密スケジュールである。時間がない。一瞬の無駄もない練習がどれだけ大切なことか。練習後、須賀先生、木島先生と、教会側の信徒会会長榊原さん、お手紙を下さり今回の教会コンサートの実現の功労者である竹山友枝さんとご一緒に、主税町教会へ下見に出かける。鈴木順さん、片山さんにも同道してもらう。 |
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その10 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第六回 2001年9月30日、特別練習の後、主税町教会に下見に赴く。須賀先生、木島先生に、東海メールから鈴木順さん、片山さん。教会側の信徒会会長の榊原さん、今回の教会コンサートの企画者竹山友枝さんに同道していただく。須賀先生は主税町教会に入られてとても感銘を受けられたようだ。なにしろ、1887年(明治20年)武家屋敷の長屋を教会として使用した東海3県では最古の教会である。10月3日に竹山さんからお葉書が届いた。「きんもくせいの香りがただよい、いよいよ秋のおとずれを感じます。須賀先生、木島先生にもわざわざお越しいただき心より感謝もうし上げます。打ち合わせをさせていただき今まで色々と気がかりの事がいっきに解消し、ずいぶん気持ちが楽になりました。聖堂から旧田先生のお宅に向かっての演奏で、良い祈りのコンサートになることと思います。私共も精一杯の準備をし当日を迎えたいと思います。」ああ、聖堂は西を向いて建っているので、田先生の住んでおられたお宅の方を向いて歌うことになるのだ。誠に、「田典礼聖歌の第一回教会コンサート」にふさわしい。典礼聖歌の第二集の楽譜は、10月20日に発行できることになったので、11月18日の主税町教会コンサートは、この新しく出る楽譜を持って歌えるのだ。10月8日に発行された「ハーモニー」の2001年秋号、日下部先生のCD新譜紹介欄で、東海メールクワィーが発行したCD「東海メールクワィアーによる 田三郎男声合唱作品集」が「特選」の栄誉に輝いた。須賀先生の編曲・指揮された「わたしの願い」が激賞されている。このCD三枚組は再版を重ね、現在も売れ続けている。2005年の6月に発行した「東海メールクワィアーによる田三郎男声合唱作品集」も先ごろ、同じ「ハーモニー」のCD新譜紹介欄で、再び「特選」となった。10月7日に東海メールの役員会が開かれ、2002年秋に「高田作品東京演奏会」が決定した。(第十四回へつづく) |
「男声合唱のための 典礼聖歌」楽譜出版のこと。その11 「主税町教会フェスティバル特別演奏会」への道 第七回 2005年8月4日の東海メールの練習で、片山さんが、昭和4年(1929年)の名古屋市東区主税町付近の地図のコピーをくれた。苦労して探して手に入れてくれたのだ。それを見ると「主税町教会」は「天主公教会」という名称で、田宅はその北左、角から6軒目。昭和4年といえば、田先生は、中学4年、15歳で、家から次の西ブロック、お父上の仕事場である高等裁判所の前を通り、北へ2ブロック上がった愛知縣第一中学校へ通われたのだ。剣道の竹刀、胴着などを持って通われていたのだろうか。 2001年9月30日、特別練習の後、主税町教会に下見に行った時に頂いた「カトリック主税町教会」の案内パンフレットを10月11日の「東海メール通信 NO.708号」に、通信編集の村瀬輝恭さんが掲載してくれた。主税町教会コンサートへの知識と関心を深めるためだ。みんなも段々と意義を理解してきてくれた。なにしろ、11月から毎日曜日に4回連続本番である。それぞれ全然違う曲を、「バッカスフェスタ」は広瀬康夫さん、「空」は松原先生、主税町と金沢は須賀先生と三人の指揮者で歌うという大事業である。それぞれの演奏会の意義を理解して、気持ちと身体をその演奏会に向けて整えていかなければならない。これは、東海メールにとって、一つの勝負どころだった。10月11日に久しぶりに松原先生で「空」で歌うプーランクの練習。松原先生の名指導に応えたメールの気迫が、凄かった。なにかが起こって、違う合唱団になったようだ。 10月14日に田留奈子先生から、「東京でも典礼聖歌を演奏してくれませんか」と、お電話があった。「典礼聖歌 第二集」に解説を書いて頂いた北村佳代子さんが、メールの第44回定期と「田先生の追悼ミサ」で東海メールの典礼聖歌を聴かれ、「東京の方に、是非、東海メールの典礼聖歌の演奏を聴かせたい。」と望んでおられ、留奈子先生にお話しされたらしい。これが、北村佳代子さんの大プロジェクトに発展するとは、その時は誰も想像しなかった。 2002年10月27日に「田作品による東京演奏会」を、開催することになった。会場は「石橋メモリアルホール」を申し込んだ。指揮は須賀先生のほかに阿部先生をお願いした。久し振りの東京公演である。勿論、田先生追悼の演奏会だ。私たち、東海メールに頂いた先生のご指導の実りを、東京の皆様に聴いていただくのだ。そして、この際、 須賀先生に、田先生の曲をこの東京演奏会のため、新編曲をお願いしようと考えた。 実は、その時、心に決めていた曲は「心の四季」だった。 10月22日、没後一年目の田先生のご命日に、「男声合唱のための典礼聖歌」第二集を出版することが出来た。感無量。初版300冊。この時点で6月24日に300冊出版した「典礼聖歌」第一集は、川瀬副会長宅に10冊を残すのみ。なんと4ヶ月で290冊売れたことになる。第二集は全17曲。北村佳代子さんにお願いして、解説を書いていただいた。第一集は無我夢中で出版したので、解説までは気が回らなかったのだが、「典礼聖歌」を一般の男声合唱団に理解してもらうためには、言葉の意味を知ってもらわねばならない。北村さんの解説は実に有意義であった。「ミサ」には、いつかは参加しなければならない、と考え、「典礼聖歌」の楽譜も第二集で打ち止めかも知れないので、須賀先生に無理に、お願いして「やまとのささげうた」を編曲して頂いて入れた。今後の展開を心配したのだが、その成果は2004年9月25日「東京・聖心女子大聖堂コンサート」で明らかになった。「環太平洋西岸教父学会」で演奏した「やまとのささげうた」は、教父学会の権威の皆様の賞賛を浴びたのだ。このコンサートでは、特に「谷川の水を求めて」の詩篇歌唱、中嶌暁さん(東海メールで田曲を歌いたいばっかりに東京から定年前に帰団)が絶唱だった。翌日、聖堂にお電話された木島先生は、お聴きになったシスターからの「あの歌によって生かされています。」とのコメントに涙された。私は、典礼聖歌を展開し歌い続ける大切な力を、この言葉から貰った。 永岡さん(T1、1992年入団)と金森さん(T2、1999年)の献身的努力により、10月22日に「男声合唱のための典礼聖歌第二集」は出版できた。正に、奇跡的に間にあったのだ。この第二集がこの時期に、この内容で出版できたのは大きな意味合いを持つ。楽譜がなければ、なにも出来ない。2005年の「ひたすらないのち 愛知演奏会」で、男声合同合唱が実現できるのは、この時期に楽譜をこの内容で出版しておいたからだと、つくづく思う。「男声典礼聖歌」が全国的に受容されるまで、4年かかったのだ。 その10月21日に東京のニコラ・パレ修道院で「田先生没後一周年記念ミサ」が、司祭は山本量太郎神父、西脇神父が助祭を務めて行われた。私と川瀬副会長と片山さんが参列した。ミサ後のパーティの閉会に際し、田留奈子先生は「数々の追悼演奏会などが、各地で行われているが、名古屋の東海メールは活火山のごとく燃えている。すさまじい勢いで出版事業を次々と行い、来年の10月には東京で田作品の演奏会を開いて下さるそうで、本当に感謝しています。」というお言葉をいただき、「是非、東京で典礼聖歌の演奏会を開いてください。」と、おっしゃった。ミサの司祭の説教も、パーティの折のスピーチも田典礼聖歌のことに終始した。田典礼聖歌を、いかに普及し伝えてゆくかということが、大問題になっていた。その大事業に、あまたたくさんの典礼聖歌を歌う団体の中で、私たち東海メールに、ご指名を受けたことは大変名誉なことだった。留奈子先生をはじめ北村ご夫妻が、東海メールの典礼聖歌を高く評価してくださったのだ。 更に、驚くべきは、北村佳代子さんが2002年2月17日(日)に東京・四谷の「カトリック麹町 聖イグナチオ教会 主聖堂」を押さえられたことだった。日本中の聖歌団体が一度は演奏してみたいと切望し押さえることが超困難な、この「主聖堂」が押さえられたことに北村さんは夢みたいだと、喜んでみえた。北村ご夫妻の「田典礼聖歌」普及の情熱に感嘆したのだが、実はこの企画には、とても深い大義があったのだ。 今、思うと大変に大きな流れが起こっていた。北村佳代子さんが企画されたこの「聖イグナチオ教会の平和のミサ」は、後で詳述するが、東海メールクワィアーの「田典礼聖歌活動」の一大金字塔だった。「主税町教会コンサート」に発した小さな流れは、段々と多くの人の心を揺さぶって大きな流れとなり、日本各地に支流を作り、それは「聖イグナチオ教会の平和のミサ」で高みに至り、そこから新たに発した流れが仙台はじめ各地を潤し、「ちいさなひとびと」を癒し、その収穫を携え「豊かなあがないに満ち」て、日本各地から「兄弟のように」、男声260名が、9月18日、名古屋に相集う。田先生、これにすぐる喜びがありましょうか。 |
第一日目 4月2日 名古屋中央教会 16:40 西脇神父による講座「典礼聖歌について」のお話しが終わる。なにしろ初めて「典礼聖歌」を歌われる方が多いので基本編は随分、勉強になったことだろう。なにしろ、「典礼聖歌入門」なんて本はないのだから。今回は多くの資料を用意した。お荷物になって申し訳なかったが貴重な資料で、今後、お役に立つであろう。特に今回の特別練習会のために南蛮コールの指揮者、佐藤信夫さんに曲目解説を書き下ろしていただいた。須賀先生も感心されていたすぐれものである。今回の「ひたすらないのち 愛知演奏会」のプログラムには少し加筆していただき掲載した。「男声合唱のための 典礼聖歌」は再版のたびに手を加えて、理解を深めていただけるように努力している。一昨年、佐藤信夫さんからご自身の勉強のために作成されたということで、第二集の楽曲のその歌詞は聖書のどの部分から採られているか、ということを明示した「歌詞と聖書」の一覧表が届いた。一読驚嘆。なんという強靭な精神力による努力であろうか。佐藤さんは「田典礼聖歌」を、ご指導される際に聖書の原典に当たることが、一般人に理解を深める早道だと考えられたに違いない。「谷川の水を求めて」は、パレストリーナの名曲もあり有名な詩篇42の歌詞であることは知られているが、「ちいさなひとびとの」がマタイ伝25章「すべての民族を裁く」であることや、「行け 地のはてまで」がマタイ伝28章「弟子たちを派遣する」であることが分ってなるほどである。勿論、再版の際に掲載させていただいたが、第一集もお願いして書いていただき掲載した。随分、皆様のお役に立っているのだろう。東海メールの「田典礼聖歌」普及事業も、佐藤さんのような方のおかげで振興して行くのだ。感謝。 休憩時に名古屋中央教会聖堂入り口横に、東海メールのトップテノール、中世古俊一さんが「歓迎 ひたすらないのち愛知演奏会 ご一行様」の旗をかかげて、三重の銘菓を携えての薄茶サービスである。中世古さんは田先生の厳しい試練に耐えた「詩篇歌唱者」で、田先生に「いい!」とほめられた「エルサレムよ、お前を忘れるよりは」の名唱がCDに入っている。 中世古さんは、1975年入団の高校の先生だが様々な苦難の末、ようやく4年ぶりに復団を果たした。この演奏会に参加できる恵みに感謝して、こうして薄茶をふるまっているのだ。薄茶もおいしい。それ以上に中世古さんの喜ぶ気持ちがおいしい。そして、一緒に「田典礼聖歌」を歌えるのが嬉しい。セカンドの島田さん(1984年入団、小学校の先生で合唱団を率いて全国的に輝かしい成果を収めている。)が、制作した「田先生の典礼聖歌レッスン」のDVDを発売したが、驚異的売れ行きを示した。なぜ、こんなに売れるのだろうね。当たり前でしょう。田先生の聖歌レッスン映像は、東海メールだけの宝物で、そんじょそこらにないものなんだ。 今回の特別練習は指定座席にした。初めて顔合わせの方が多いし、「典礼聖歌」を初めて歌われる方が殆どなので、東海メールや経験者が混じった方が歌い易いし、緊張感がある練習になると考えたのだ。参加者が決定してから 苦心惨憺、一週間熟慮した。各団別とパート別も考慮しなければならない。中央教会聖堂の座席は一列、12人。127名だから11列である。最前列は団の代表と個人参加者と詩篇歌唱者に座ってもらおう。まず、列外に共同通信社の北村正之さん、そして左から京男の竹島さん、渡辺市川男声団長、亀村滋賀男声団長、岡谷"やまびこ"の西澤さん、宮崎フルトンの荒川さん、東海メールの中嶋(谷川の詩篇ソロ)、井花所沢団長、"やまびこ"の鈴木きよしさん、国家南蛮団長、グリークラブ香川の指揮者の鬼無さん、京都男声の野田さん、所沢の長谷川さん、名古屋のテノール歌手で豊田市民合唱団指揮者の神田さん、そして一番右に中世古さんという布陣である。いそべ代表の米川さんと塩崎豊中団長には3列目と4列目の一番左に座っていただいた。なるべく初心者を包囲する形にした。東海メールを中心に大阪メール、南蛮コールの経験者を配備してある。事前にメールで送付し、入り口でも配布したので東海メールの曽我さん(1996年入団、名古屋大学大学院文学研究科在籍)が作成し貼り付けた表示に従って座席に着く。お互いの団名、名前を確認しながら親しく交歓が始る。良い雰囲気である。成功だ。 16:50 今後のスケジュールを説明する。後で行うパート練習を担当する東海メールの指揮者、鈴木順(1974年、18歳でメールに入団)と高木秀一(1989年入団)を紹介する。二人とも、田先生がお出でになった時からご指導受け、田音楽の下振りを永年続けている。ピアノの津野有紀さんも田先生ご指導の際、ピアノを受け持ち、木島先生のオルガン・アシストを勤め、現在、須賀先生の薫陶を受けている。田音楽を直接に学んだ三人が、揃ってお役に立てるのだ。 16:55 いよいよ、須賀先生ご指導による全員の合同練習に入る。 |
第一日目 4月2日 名古屋中央教会 16:55 いよいよ、須賀先生ご指導による全員の合同練習に入る。 とりあえず、須賀先生に全体の設計図を示して頂き、初心者の皆さんに「典礼聖歌」とは、こういう曲なんだ、こういう風に歌うのだ、ということを知って頂こうという試みである。楽譜を読んだり、コンサートや教会で聴きCDやビデオで見聞していても、歌ってみると大違いである。分かっているように思えても実はなにも分かっていなかったことに、気がつかれたであろう。「典礼聖歌」の譜面は易しいが、その中には実はとてつもなく深い世界が含まれている。その入り口を入ろうとする瞬間が今や訪れた。今日、お集まりの多くの方々は、その重大さが、何がこれから、自分の内部に起ころうとしているのかは、意識されなかったであろう。それは、東海メールの連中もそうだった。「典礼聖歌を歌うぞ。この歌は、東海メールを救うのだ。」と叫んだ時も、また、会長がほらを吹いてると思ったに違いない。でも、東海メールに奇跡は起きた。誰もが奇跡を起こせる訳ではない。現在では、須賀先生と木島先生の田名人コンビが指導され、心を一つにした「田典礼聖歌」合唱団に於いてのみ、奇跡を起こせる。それは、4月3日の南山教会大聖堂でローマ法王の遺影に捧げた「典礼聖歌」の歌声に呼び覚まされ、天井のランプがいつまでもいつまでも揺れたことで、立証されたのだ。 さて、合同練習は「ひたすらないのち 愛知演奏会」の曲順通りに行われる。最初の「神を求めよ」は、田先生が東海メールで「典礼聖歌」を持ってこられた時、最初に練習した曲で、「典礼聖歌」のステ−ジで最初に演奏された曲である。つまり、「男声合唱による田典礼聖歌」はこの「神を求めよ」により産声を上げたのだ。すべては、神を求める、ことから始る。これが、また、難しい曲で最初のクレッシェンドに心がこめられずに、何度、田先生に「バカヤロー」と怒鳴られたことか。何回、歌っても「神は私たちの近くに出現されない」のだ。でも、私たち東海メールは、どこへ行ってもまず「神を求めよ」である。北欧の聖堂でもこの曲を歌った。次は「天は神の栄光を語り」。この曲は木島先生が「凄いスケールの大きい曲で、男声合唱向きよ。」との推薦で須賀先生が編曲された。ので、弟二集に収められている。この曲を今回選んだのは、詩篇の部分を独唱ではなく、全パートで歌唱するので、詩篇歌唱の勉強になると思ったからである。本番では、セカンドのパートソロで歌唱するのだが、この練習では、これを編曲通り、4パートで練習した。これで全員、詩篇歌唱が勉強できる。須賀先生は、2回通されたが上手く行かない。詩篇歌唱は簡単ではない。メールでも10年かかっても上手く歌えない。上手く行かなくても、時間がない。25分で全曲を通さなくてはならない。次も詩篇で「谷川の水を求めて」。パレストリーナ同じ歌詞による名曲があるが、田典礼聖歌は日本語。感銘度が違う絶品である。特に詩篇歌唱が心を打てば打つほど、それに答唱が呼応して心をこめて、深く神を慕うのである。昨年、9月25日の聖心女子大聖堂コンサートでの中嶋暁の「谷川の水を求めて」の詩篇歌唱は須賀先生も唸った絶唱であった。それに呼応しての答唱も深く感動的演奏となった。合唱団「鯨」のホームページ投稿で「硬い椅子、冷房もなく、せみの声の中、オルガンだけの伴奏で、どうしてこれだけの感動が得られるのだろうか。我々の壮大なオーケストラ、豪華な歌手陣、高名な指揮者を迎えての宗教大曲演奏会はなんだったのだろう。」とありました。翌日、木島先生の電話に出られた聖心女子大聖堂の修道女の方は「昨日のあの歌で生かされています。」と話されたそうだ。この練習では、この後すぐ高松まで帰られるグリークラブ香川の指揮者、鬼無さんに「谷川」の詩篇歌唱をお願いする。さすがに信者であられる鬼無さん、歌詞の内容を理解されている歌唱である。13時から行った「詩篇レッスン」が生きてきた。鬼無さんにとって、計り知れない収穫となったに違いない。勿論、他の「詩篇レッスン」を受講された方もそうであろう。こうして、新たな谷川の流れが生まれる。 |
第一日目 4月2日 名古屋中央教会 承前 17:05 いよいよ、「おお 神の富」である。この曲も田先生が最初に持ってこられたもの。ユニゾンで歌われる。男声の重厚で輝かしい音色を最大限に発揮できる音域に設定されている。これこそ、男声合唱。もともと会衆が歌うユニゾンの曲で、田先生は男声ユニゾンのためにこの曲を作曲されたと思われるほどだが、それもそのはず「仏教の声明」からインスピレーションを得られている。北村正之さんに「この"おお 神の富"は東海メールが歌うまでは殆ど知られていなかった幻の名曲なんですよ。」と聞かされた時には、エーツ、と驚いた。1968年に作曲されたがあまり歌われず、田先生指揮により東海メールが演奏して1992年に蘇った名曲ということになる。これは奇しくも東海メールの低迷時期と一致する。「おお 神の富」と共に東海メールも蘇ったのだ。留奈子先生は「"おお 神の富"は東海メールの演奏が一番よ。」といつも言われる。今は、その精神も包含し名古屋中央教会聖堂いっぱいに、120人の男声の熱気溢れ大音声が轟き渡る。「男声典礼聖歌」黎明である。次の曲は、2000年10月11日の米寿のパーティの際、田先生が須賀先生に贈られた、遺作「神のみわざがこの人に」である。私もこの会に同席させて頂いたが田先生から須賀先生に「須賀さん、出来たよ。」とこともなげに渡されたこの楽譜が、このような重みを持つとは想像できなかった。この「典礼聖歌」で試練を与えられ、自分自身に生き様と価値観を問うことになる。それは、いつでもどの場所でもそうなのだ。この「神のみわざがこの人に」は「男声合唱のための 典礼聖歌」第一集に間に合って奇跡的に収録出来たので、皆さんに歌ってもらえるのだ。CBCのテレビ制作プロデユーサー時代の私のモットーは「無い絵は放送出来ない。」である。須賀先生が夜に日をついで編曲されて間に合ったのだ。遺作となった大事な大切な曲であるが、凄くエネルギーを要するので練習が大変だ。次の曲は「ちいさなひとびとの」を配した。2002年2月17日の聖イグナチオ教会「世界平和を祈るミサ アフガン難民支援チャリティーコンサート」の際、主宰の北村佳代子さんと中心の曲にしょうと意見が一致したのがこの曲である。南蛮コールの指揮者の佐藤さんが2004年10月9日に福岡で「無教会全国集会」で「讃美」と題して講演と歌唱指導され多大の感銘を与えられた。あるカトリック系の中学校の先生は「集会など、ことあるごとにこの聖歌を歌っています。」と言われたとのこと。釜石では市民の愛唱歌になっている。歌う企業戦士たちの心は随分と癒されてゆく。最後は「行け 地のはてまで」。人々を雄雄しく力づける名歌。段々と歌う男たちの声が高まってゆく。今回の選曲意図は、大体、分かっていただけたらしい。グリークラブ香川の指揮者、鬼無さんが翌日に練習があるため帰られる。詩篇歌唱レッスンと須賀先生の合同練習を経験されて、「随分に勉強になりました。こういう機会を与えてくださったことに感謝します。」とおっしゃっていただいた。何度も何度もEメールを送ってお誘いした甲斐があった。一度は須賀先生のご指導を受けていただかないと何事も始らない。 17:30 この後は、テノール系は高木先生の指揮、木島先生のオルガンで名古屋中央教会にて、バス系は鈴木順さんの指揮、津野有紀さんのピアノで芸文センター中リハーサル室にて、それぞれパート練習を行う。須賀先生に設計図をお示しいただき、それにしたがってパートで確認し、音を磨くのだ。須賀先生にはしばしホテルでお休みいただくことにする。なにしろ、「典礼聖歌」を初心者に、しかも100人の男声に教えていただいたのだから、くたくたである。しかし、須賀先生にしか出来ないお仕事、がんばってもらわねば。パート練習は大成功だった。音の確認に始まり、言葉の扱い、ブレスの箇所、楽譜には記入してない発想記号と須賀先生の細かい指示の確認など、高田先生、須賀先生のご指導ぶりを永年にわたって目の当たりにしていた高木、鈴木の両指揮者とピアノの津野さんは、見事に職責を果たしてくれた。 18:45 休む間もなく、芸文センター中リハーサル室に全員が集結しての合同練習が須賀先生の指揮、木島先生のピアノで行われる。お互いに親交を深め、少し緊張がとれ余裕が出てきた。プレに「詩篇歌唱レッスン」、全員の顔合わせ、西脇神父の「典礼聖歌入門講座」、須賀先生の「典礼聖歌入門合同レッスン」、「パート練習による細かい確認作業」を経て相当に理解が深まったであろう。さあ、これからは、弟一日目のまとめである。パート練習をやった効果が出た。パートの音がまとまって、何を歌っているかが理解出来てきた。「西脇講義」の内容が歌ってみて理解応用されてきたのだ。須賀先生の目の配りで、みるみる音が、歌い方がまとまって曲が形をなしてくる。流石、一流合唱団員の集まりである。北村さんが、しきりに不思議がり感心している。「どうして、初心者の集まりなのに、こんな短時間で典礼聖歌が形になってくるのだろう。聖歌隊でもこんなに上手く歌えないのになあ。」一つの合唱団の体を成してくる。背筋がパット伸びてくる。みんな嬉しく楽しそうに、身体も喜んで歌っている。終わり近くに思いがけないことが起こった。須賀先生が「心の四季」を練習しようとおっしゃったのだ。実は2006年の大分JAMCAで九州合同合唱団が須賀先生の指揮で「心の四季」を歌うことに決定しているのだが、須賀先生の指揮で「心の四季」を歌ったことのある人は参加資格があるのだ。みんな大喜びで歌いまくり。鳴るわ、響くわ。120名の「風が」「水すまし」。あっというまに曲が出来上がる。一つの合唱団になってくる。高田=須賀マジックである。これがまた「典礼聖歌」の理解を深めるのだ。「心の四季」も「水のいのち」も、私は「典礼聖歌」だと思っている。「水すまし」は、そのまま「ちいさな ひとびとの」に直結している。同じ時間帯に、このニ曲を歌われた今日の参加者は納得されたことであろう。「高田典礼聖歌の精神」は、すべての高田作品に包含されていることを。こういう機会じゃないと分からない。 20:15 この日は過密スケジュールで13時の詩篇レッスンから参加の方は9時間、ぶっつづけになってしまって申し訳なかった。が、その成果は絶対にあると信じて。みなさんの顔が輝いている。なにか、素晴らしいものを見つけて、自信が湧いてきたようだ。 20:30 長時間、お疲れさまでした。「懇親会」にゆきましょう。今回の「典礼合宿」に関しては参加の団体それぞれに懇意の方がおられる東海メール団員を配備した。名城大学理工合唱団の後輩、櫛田君が所属する「市川男声」は、先輩の間瀬さんが、今も所属しておられる「いそべ男声」は辻さん、という具合である。それぞれの担当団員が懇親会後、ホテルへご案内する。翌日はホテルへお迎えに上がり、練習会場へご案内することにした。お店は名古屋中央教会に近い私がひいきにしている「世界の山ちゃん 錦三大津店」である。土曜日、超繁盛の20時30分というこの時間、水貝さんが必死の努力で、72名席を確保してくれた。この辺が東海メールの底力。「山ちゃん名物 手羽先」と名古屋名物の「エビフリャー」「味噌串カツ」「鳥料理」「どて煮」「天むす」を遠来の「典礼聖歌合唱隊」のみなさんに堪能してもらわなければならない。愛知独特の味噌味を中心とする、この店独特の美味が皆様のお口に合い大好評であった。それぞれの席で合唱団同志の歓談が始まる。なんと、京都男声のお三方は団から補助金を貰って参加されたとのこと。今回の「典礼合宿」を京団がいかに大事にされているかが分かって感激。「典礼聖歌」を歌って心が一つになった男同志の語らいのなんと熱く、深く、楽しいことか。最後は、勿論、須賀御大の指揮の「はるとも」で嬉しく、しめである。店の表へ出て、「行け 地のはてまで」を歌いながら明日の再会を誓っての別れである。 |
第ニ日目 4月3日 南山高・中等学校男子部チャペル カトリック南山教会 聖堂 09:25 地下鉄「杁中駅」到着。いよいよ、「典礼聖歌特別練習会」の最終日である。大事な日なので、家内の和子(豊田市民合唱団団長)を同道した。午前中の「練習会」はこの近くの「南山高・中等学校男子部チャペル」で行われる。西脇神父(今回の実行委員)のご努力で、貸していただけることになった。地下鉄の出口で京都男声の野田さんに出会う。10時30分から開始なのにもう来られたのだ。これはいけない。南山側の案内人もまだ来てないので、丁度、来合わせた東海メール、セカンドの森川勝之助さん(1966年入団)に、「ちょっとここにいて、どなたか見えたら、ご案内して下さい。そこの角を左に曲がったところが会場ですからね。」と頼んでおいて野田さんと歩き出す。南山高校へ曲がる角まできたが、案内看板の肝心の南山高校の表示が消えているので、和子をそこへ残して案内を頼む。陽射しがきつい。南山高校まで来たが、西脇神父の姿が見えない。携帯電話で呼び出す。「今、スタッフと打ち合わせ中です。すぐ行きます。」続々と皆さんが集まってこられる。お互いに声を掛け合う。嬉しい。嬉しい。昨日一日がとても楽しかったようだ。ようやく、西脇神父到着。みなさんを、2階の「チャペル」にご案内する。こじんまりして簡素だが荘厳なチャペルで、ステンドグラスが美しい。 10:20 水貝さんから携帯がかかる。「会長、木島先生がコンタクレンズを、お忘れになったので、今、お店をさがしてはいます。少し遅れます。須賀先生は先に行かれました。」水貝さんは先生方のケアーのため、昨夜は泊り込みである。えらいこっちゃ。オルガン奏者がなくては練習出来ないぞ。有紀ちゃんに頼まなくては。でも、こういう時に津野さんがいてくれるから助かるわな。どんどん、みなさん集まってこられる。チャペルはみるみるうちに一杯になる 10:30 時間稼ぎをしなくては。今回、参加された団の代表の方にご挨拶いただく。大分・南蛮コールは国家さん。大阪メールは具志堅さん。京都男声は野田さん。滋賀男声は亀村団長。豊中混声は森隆哉さん(今回の関西練習の取りまとめ役として大活躍。)。いそべ男声は米川さん。所沢は井花団長。市川男声は渡辺団長。個人参加の宮崎・フルトン男声の荒川さん。やまびこの西澤さん。いきなり予告なしで参加された、八戸の類家さん。そして北村正之さん。それぞれ実に含蓄あるお言葉。みなさん、今回の「典礼合宿」に参加して、本当に良かったとのことで、胸が熱くなる。 10:40 木島先生がようやく、ご到着。先生、大丈夫ですか。「コンタクトは間に合わなかったので、まあ、無しでやるわ。」ええのかな。練習に入る。須賀先生は、昨日2日夜、ローマ法王 ヨハネ・パウロニ世が亡くなられたので、今日、最後の公開リハーサルの曲目に「主は与え」(男声合唱のための典礼聖歌 第一集に掲載)を追悼として加えられた。ので、「主は与え」から。一同、初見である。しかし、すぐに「典礼聖歌」になる。昨日の練習は実に有効であった。中世古さんに、「主は与え」の「三番を独唱で」と須賀先生が指示され、朗々とこともなげに初見で歌いあげたのには、驚嘆。田精神は中世古内部に健在である。その後、須賀先生は12分にわたって田音楽の基本である「グレゴリア聖歌」の自由リズムとアルシス、テイシスを日本民謡などを例に挙げて分かりやすく説明された。一同感心し、納得。あっ、家内を、きつい日差しの中、案内版のところに立たせたままだった。急いで携帯で謝り、チャペルへ来てもらう。須賀先生、絶好調である。全曲に亘り、細かく内容の説明をされながら、歌い方の呼吸をたくみに、打ち込んでゆかれる。曲が生命を吹き込まれてゆく。あっとゆう間に時間が立つ。 11:30 休憩にする。中世古さんが先日につづいての「薄茶ふるまい」である。甘露甘露。田典礼聖歌の味が深まる。中世古さんの心配りが皆さんの気持ちを癒す。みなさん、とても良い顔をされている。 11:45 練習再開。「神のみわざがこの人に」に入る。大変な意味深い曲であるということがようやく、みなさんにお分かりいただけたようだ。一つ一つの言葉が食い込んでゆくたびに深まってゆくのが分かる。「ちいさなひとびとの」は、特派員報告にならないようにと。いつものご指摘。「行け 地のはてまで」を颯爽と歌い上げて午前の部は終了。 12:30 須賀先生、木島先生と水貝さんがとってくれたイタリアレストランに走り込む。昨日から今日にかけての練習の反省会となる。午後は大きな南山教会聖堂である。コンタクトのない木島先生にはがんばってもらわないと。でも、木島先生はイスラエルなどの環境劣悪な外地で伝説的名演を繰り広げられたオルガニスト。大丈夫であろう。注文のスパゲッテイがなかなか上がってこない。鈴木順ちゃんに早く行って発声練習やっておいてと頼む。 13:40 ようやく、南山教会聖堂に到着。みなさん、もう待っておられる。祭壇に亡くなられたローマ法王、パウロ二世の写真が飾られてある。そこへ、西脇神父がローソクを捧げ持ってこられた。ああ、今日は歴史的な日なのだ。みんなの気持ちがひきしまる。南山大学マルクス学長(今回の実行委員長)に、ご挨拶いただく。西脇神父に今回の「ひたすらないのち 愛知演奏会」の趣旨をお話しいただくようにお願いしてあったのだ。マルクス学長が流暢な日本語で会の内容を的確に説明され、皆さんは良く理解されたようだ。その後の練習から声が変わった。この雰囲気だと典礼聖歌は威力を発揮してくる。響きを重視しながらも言葉が良く伝わるように、須賀先生は指導方法を変えられてゆく。なにしろ126人の男声合唱である。みんな本気になってくる。凄いエネルギーが満ちてくる。恐ろしく緊張感がただよう。15時45分の公開リハーサルが近づき修道尼の皆様が入ってみえたのだ。少し休憩をとる。西脇神父を呼んで、これから「典礼聖歌の公開リハーサル」を行いますが、カジュアルな服装で歌いますのでご了解ください。とのコメントをしてもらう。(今回の「ひたすら愛知」プログラムに写真を掲載。) 15:50 いよいよ、二日間に亘る「典礼聖歌特別練習会」のしめくくり、南山教会での「公開リハーサル」である。初心者が約60名。「ひたすらないのち 愛知演奏会」男声典礼聖歌隊のデビューである。全員祭壇に整列する。須賀先生がまず、「パウロ二世の逝去に際し"主は与え"を捧げます。」とコメントされ、おごそかに始る。中世古さんが飄々と歌唱する三番が心を震わす。涙されている方がみえる。パウロ二世は微笑まれておられるようだ。(お写真が見えるように空けて並んでいる。)「神を求めよ」を歌いだすと、不思議なことが起こる。丁度真ん中、天井のランプシェードが回りだした。和子が、にこにこしながら振り仰いでいる。どうしたんだね。と後で聞いたら、「田先生が降りてみえたのが分かったのよ。」「谷川の水を求めて」の詩篇独唱は、今までは鬼無さん、野田さんにお願いしたが、「公開リハーサル」は東海メールの中嶋である。淡々と歌うのだが、心に染み渡る。田音楽の真髄を極める絶唱である。「おお 神の富」のユニゾンが聖堂に響き渡る。みんなの気持ちが一体になる極めつきの瞬間である。木島先生、渾身のフォルティシモ。 「神のみわざがこの人に」になると、ランプシェードが大きく回り始めた。どうなっているのか。歌ったいるみんなも、なにか尋常ならざることが起きていると感じはじめた。「神のみわざ」はつかえつかえの歌になった。一部の男声聖歌隊の方(京男の野田さんほか。)が涙まじりで歌えなくなったのだ。みなさん、自分と対決する姿勢を会得されたらしい。「ちいさなひとびとの」悲しみ、怒りが聖堂の隅々に行き渡る。いつのまに、こんな暖かく深い歌が歌えるようになったのだろう。田先生がやさしく微笑んでおられる。「行け 地のはてまで」を楽しく堂々と歌い挙げる。「田典礼聖歌」が全世界に広がってゆくよう、願いをこめて。田先生の「いいぞ。バカヤロー。」の声が聖堂一杯に響き渡る。やはり、来ておられたのだ。お互いに握手を交わす。嬉しい。全員が聖堂の玄関前に整列して記念写真を撮る。みんな新たらしく生まれ変わったようだ。お互いの信頼を確認し、心が一つなった。「田典礼聖歌」に明日から生きてゆく力をもらったのだ。こうして「田典礼聖歌合宿」は大成功で幕を閉じた。この成果は9月18日の「ひたすらないのち 愛知演奏会」の「典礼聖歌男声合同」のステージで出る。この合宿に参加された方たちを軸にして東西で須賀先生のご指導を受けてきた。歴史に残る名演になることを確信している。いよいよ、男達が新しい宝物を得て、雄雄しく立ち上がるのだ。田先生、嬉しいですね。おいでをお待ちしています。 |