東海メールクワイアー

第48回定期演奏会
「委嘱作品特集」

2005年6月19日(日) 13:30開演
愛知県芸術劇場コンサートホール
入場料:2,000円

2003年度委嘱作曲:松下 耕Miserere (2004年完成/初演)指揮:松原 千振
1996年度委嘱作曲:高田 三郎渡辺直己短歌集指揮:須賀 敬一
1961年度委嘱作曲:磯部 俶かやの実指揮:須賀 敬一
2005年度委嘱作曲:信長 貴富くちびるに歌を (初演)指揮:飯沼 京子


信長先生にサインをいただきました。


東海メール第48回定期演奏会に期待する―有神無我

2005・06・06朝 北村 正之

 東海メール創立60周年記念定期演奏会シリーズ第1弾となる第48回定期まで2週間を切りました。定期演奏会は、過去一年間の音楽活動を集約する晴れの場(頂点)であり、新たな出発点なのだと思います。
 松原千振氏とエストニア国立男声合唱団指揮者のアンツ・ソーツ氏のコンビにより、北欧合唱曲のあくことなき魅力を知らしめた第47回定期は、日本の男声合唱史に新しい1ページを開きました。同時に鬼のソーツ氏の苛烈な指導は一気にメールの技量を高めました。
 かくして迎えた昨年9月25日の聖心女子大学における「典礼聖歌を聴く夕べ」では、ソーツ効果により、一段とダイナミック、かつ精緻、きめ細やかを増した合唱力と、磨き抜かれた「祈りのこころ」を、須賀敬一指揮・木島美沙子オルガンのもと、余すところなく発揮、太平洋の両岸から参集した教父学者、新旧両派の邦人教父学者・聖書学者、信徒、さらに一般の合唱ファンを心底から揺り動かす深い感動を巻き起こしました。田典礼聖歌の新しい国際展開の始まりです。
 東海メールの勢いは止まるところを知らず、ことし4月2―3日には9月の「ひたすらないのち愛知演奏会」に向け、全国から約140人の合唱人を集め、男声典礼聖歌特別練習会を団の総力を挙げて実現、大成功させました。メールが師父と仰ぐ田三郎帰天後の過去5年間、私は東海メールの演奏に、一度としてマンネリズムを感じたことがありません。
 ことしは戦後60年、東海メールの歴史と重なる60年です。第48回定期とは何かを私なりに考えてみましたが、「委嘱作品特集」として演奏される4作品の連関とその深い意味を直ぐに分かりませんでした。
 ただ、田三郎の「渡辺直己短歌集」(1996年度委嘱)を持ってきた理由だけは言わずとも分かります。
 東海メール通信No.880(05年4月14日)に掲載された村瀬Jr. の気合いの入った一文「渡辺直己短歌集の背景」を読み「さすが東海メールは違う」と唸ってしまいました。Jr. の考察に比べると、岩波現代短歌事典掲載の「渡辺直己歌集」解題など、なんと薄っぺらなことか。追いかけるように畏友・片山和弘から手紙を貰い「戦旅」「渡辺直己短歌集」「争いと平和」を"鎮魂三部作"とする「片山的」視点を教示されました。都築義高会長が「渡辺直己になりきろう」と激を飛ばせば、仏の須賀先生は「全曲暗譜」と容赦なし。この組曲の再演を通してメールが伝えようとする熱意が伺われます。
 しかし、松下耕「Miserere」(2003年度委嘱/04年完成/初演)、磯部俶「かやの実」(1996年度委嘱)、信長貴冨「くちびるに歌を」(2005年度委嘱/初演)となると、連立方程式さながらの組み合わせに見えます。

   第1ステージはなぜMiserereなのか、Miserereでなければならないのか?第48回定期プログラム用原稿「東海メールクワイアー 創立60周年に寄せて」の中で松下先生は「この曲で、私は、まず私自身を徹底的に糾弾しようとした。そして、私自身をさらけ出そうとした。そのことにより、視界が開けてゆくのか、それとも閉じてゆくのか、自分自身、見当もつかなかった」と驚くべき率直さで心情を吐露しています。
 また、第1楽章が初演された第46回定期演奏会プログラムの中で「この曲は、私が今書きたい、書かなければならない曲である。私の存在とともに在る、私の罪の数々が、この曲によって贖罪となるはずがなく、しかし、私は、この曲を書くことにより、私の中に住まう、自分では今のところコントロールできない『負』の部分と対峙しなければならないと思ったのだ」とも告白しています。
 邦人作曲家には希有な、まことに胸を打たれる真摯な精神的姿勢・実存的問いかけです。大変な難曲のようですが、東海メールを置いて、この真摯な問いかけを真っ正面から受け止められる団体はありますまい。
 詩編51編をテキストとするMiserereを作曲された動機には、「谷川の水を求めて」や「主は豊かなあがないに満ち」と同じような魂の叫びが感じられます。松原千振先生指揮による東海メールはどのような演奏を聴かせてくれるのでしょうか。

 ちなみに田典礼聖歌のテキストの基になっている「ともに祈り・ともに歌う『詩編』現代語訳」(翻訳者/典礼委員会詩編小委員会)では詩編51編には「悔い改める心」というタイトルがつけられています。(日本聖書協会訳では「正しい霊を与えて下さい」)また、詩編51編による典礼聖歌6―7番(男声譜には未収録)の曲名は「あなたの いぶきを うけて」であり、答唱句は「あなたのいぶきをうけて わたしはあたらしくなる」です。

 第2ステージの「渡辺直己短歌集」は、戦後60年の節目に相応しい、すべての戦争犠牲者に対する鎮魂の歌です。終戦時、15歳の少年だった"戦中派"の須賀先生の指揮、大勢の熟年世代を擁するメールの演奏は、にわかに論議が高まりつつある「平和憲法」についても、大きな示唆を与えてくれそうな気がしてなりません。
 定期演奏会の後半を飾る第3ステージは「じゃむか通信」No. 19掲載の『 磯部俶の男声合唱曲B』によると、こどもの目で見た田園世界をしっとりと叙情的に描いた組曲「かやの実」です。それは私たちが次の世代に伝えるべき「美しき日本」の心象風景そのもの。指揮は磯部先生の直弟子に当たる須賀先生。44年ぶりの再演が待ち遠しい。
 大団円の第4ステージは松下先生ともども、当代の二大人気作曲家と評判の高い信長貴冨先生の新作「くちびるに歌を」の初演です。
 「あなたが何を歌っているかを知れば、あなたがどんな人かをいいましょう」(バルジョン)。歌なら何でもいいという訳ではありませんが、「くちびるに祈り」のメールにピッタリの素敵なタイトルですね。
 信長先生への委嘱を熱望された飯沼京子先生による指揮というのですから、胸がわくわくしてきます。
 信長先生は定期演奏会プログラム原稿の中で「テキストはドイツ語の名詩とその日本語訳」「歌が言語の違いを越え、国境を越え、人々の心に響き合い、心を結びつける、そんな日が必ず来ることを願っています」と作曲の狙いを書いています。
 団員の間では「くちびるの歌を」が既に大好評で、都築会長によるとことに最終曲は「堂々たる希望を歌い上げる雄大な人生賛歌」の由。7分45秒もの大曲のようですが、第4ステージも沢山の精神的お土産を与えてくれるに違いありません。

 こうしてみると、今回の4作品には、東海メールの歴史と「第2の春」を迎えた現在の東海メールの人生・人間・音楽に対するスタンス、片山的表現を借りるなら「《祈り》東海メールの使命」が凝縮されているかのようです。
 「(歴史とは)現在と過去との尽きることのない対話」であり、さらに「過去の諸事件と、次第にあらわれてくる未来の諸目的との間の対話」(E・H・カー)であるという定義があります。
 第48回定期演奏会の4委嘱曲の組み合わせは「現在と過去との尽きることのない対話」であり(平和と共生へ向け)「あらわれつつある未来の諸目的との間の対話である」と言い換えることも可能でしょう。

 大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。(マザーテレサ)

   定期演奏会という晴れ舞台は「一期一会の精神」による「忘己利他」「如己愛人」の奉仕実践です。今こそ無心になって自分をささげつくすときです。祈りを運ぶ音楽のカギは「有神無我」の4字にあります。(完)


恒例の打ち上げの模様です。


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Ichiro Shimizu <i-shimizu@music.email.ne.jp>
Created: 04/10/2005, Updated: